迷いと写真。
「たゆたう」という言葉が好き。
揺れ動く、定まらない、行き先が決まっていない。
そういう状態を表す言葉として、実は本業の屋号にも使っている言葉。
写真を撮っていて僕がずっと惹かれているのは、人の機微だったり、矛盾を抱えたまま生きている姿。
仕事として撮る写真でも、フィルムシミュレーションを試しながら発信している写真でも、根っこにあるものは同じです。
きれいに割り切れない部分を、写真の中に残しておきたいって思っています。

人生は長くて、その中で自分はとても小さい。広い海の上で波に揺られながら漂っているような感覚が、ふとした瞬間にあります。
これは、決して悲観しているわけじゃないんです。
迷うこと、悩むこと、答えの出ない矛盾を抱えたまま日々を過ごすこと。それは弱さではなくて、生きているということそのものかなって感じます。
定まらないからこそ、次の瞬間にどう動くか分からない面白さがある。たゆたう、という言葉にはそのポジティブさを込めています。
写真を撮るときも同じことを考えていて、全部を説明しない。全部を見せない。見る人が入り込める隙間を、意図的に残しておくようなイメージ。

ポートレートの中では、あえて少しピントを外す事もある。輪郭ははっきりせず、目の表情も細部までは追えない一枚。
撮っている瞬間は「これでいいのかなぁ」と迷いながらでした。でも後から見返して、その「はっきりしなさ」の中に、見る人それぞれが自由に感情を重ねられる余地があることに気がつきました。
楽しそうにも、物思いにふけっているようにも見える。どちらが正解かは写真の中には描かない。

断定しない写真は、時にふわっとしていてスルーされてします。でも、その中にこそ、見る人自身の記憶や感情が入り込む余地があるではないでしょうか。全部を撮ろうとするより、何を撮らないかを選ぶことの方が実は難しいんです。

フィルムシミュレーションという設定も、突き詰めれば同じ思想の延長にあります。色を作り込みすぎない。ここまでは自分が決めて、その先は光や被写体に委ねる。
撮って出しという行為自体が、コントロールと余白のバランスを取ることだと思っています。設定を追い込みすぎると、写真から余白が消えていく。どこかで、手を止める勇気も必要。
きっとこれからも、迷いながら撮っていくのかなーと思います。
その迷いごと、たゆたいながら、残していきたいですね。
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