僕はクレーマーになってしまった
僕はいつも何をするにしても“目的”を考えるようにしている。なんのために。誰のために。それが曖昧なままだと、途端に意味を感じなくなるのだ。
数日前のこと、出かけ先で初めて立ち寄った店舗のコンビニにクレームを入れた。入れたというよりも、入れてしまったと思っている。
いつもはクレームを入れられる可能性もある立場で働いているからだろうか、反対にクレームを入れる側になってしまったことに、自分でも後から少々戸惑った。
クレームの発端というのも、そう大きな問題でもない。ただ店員さんの態度がよろしくなかっただけのこと。
ある程度は我慢どころか気にしない範囲も持ち合わせてはいるけれど、“めんどくさそう”を通り越して何故か初対面のお客である僕に対してキレている様子に、僕の中でも感情を行動に移してしまうに事足りるほどの衝動は存在していたのだろう。
お釣りの小銭を半分投げつけられるように渡されて、僕の中の衝動は行動に変わった。
といっても店長さんらしき人を探しても見つからなかったので、スマホを開いて本社にメールを送ることにした。
お問い合わせフォームにクレームの文章を入力しながら考える。今僕がやっているこの行為は、なんの目的のためなのだろうと。
いわゆる執拗な悪質クレーマーと呼ばれる人は、自分の行動が“正義”という意識があるらしい。
自分の怒りや身勝手さを「自分がやっているのは正しいこと」という意識で蓋をして、その悪質さには気づきにくいそうだ。
メールを送ろうとしている僕の指は、自分の感情を抑えられない衝動を鎮める目的で動いているのか、それとも世直しを目的として正しいことという意識があって動いているのか。
少なくとも指を動かす分のカロリーを生み出している発生源は、抑えきれない感情の方だ。
書きながらそこにも薄々勘付いてはいたから、僕は何度も手を止める。
止めるたびに、あの舐めくさった態度の店員さんの顔が目に浮かぶ。
だから結局400文字くらい、およそ原稿用紙1枚分のクレーム文章を書ききって送信してしまった。
外にいたから時期だろうか、蚊が僕の腕の周りを徘徊している。僕は蚊に刺されやすい体質なのだ。
「この蚊は生きるための目的で僕の血を狙っている」
叩き潰されるリスクを承知なのかどうかは知らないけれど、蚊は生きる目的で僕に針を刺していて、その僕は感情を鎮める目的が7割と世直しが3割の目的で人に釘を刺している。
自分がクレーマーという名の怪物になってしまったようで、なんだか今になっても気持ちがモヤモヤとしている。
これはやはり、その目的が自分の感情のためだったからかもしれない。感情のためには人に文句を言える存在になってしまった。
やはり感情も衝動も全て飲み込んで、何も行動せずに立ち去った方が良かったのだろうか。
ただこうやって後から悩んでいる方が、クレームに快感を覚えてしまうよりも前にこちらの世界に戻ってこれる気もしている。
クレームという単語を書きすぎて、途中から文字がクリームに見えてきた。
これがクリームの話だったらどれだけ優しく甘く口溶けのよい話だろう。
僕はクレーマーよりも、クリーマーでありたい。
いいなと思ったら応援しよう!
路上にチップもらう用のシルクハットを置いてパントマイムするの、実はやってみたかったんです