【105歩目】胡蝶の夢を読む ④ - 薛偉の魚化と夢応の鯉魚 -
前回のつづき。

前回は、「胡蝶の夢」の発展形として、夢の中でアリの王国の太守になった「南柯の夢(なんかのゆめ)」を紹介しました。今回も動物がらみで。
1.よたび、胡蝶の夢を読む。

❝昔者莊周夢為胡蝶,栩栩然胡蝶也,自喻適志與。不知周也。俄然覺,則蘧蘧然周也。不知周之夢為胡蝶與,胡蝶之夢為周與。周與胡蝶,則必有分矣。此之謂物化。❞
➙ その昔、私こと荘周は夢の中で蝶になった。 夢の中で蝶としてひらひらと心地よく空を舞っていた。自分が荘周であることなんてまったく意識になかった。
やがて、ふと目が覚めると、現実の荘周にもどっていた。
その時、自分が夢を見て蝶になっていたのか、それとも、蝶が荘周を夢みていたのか分からなくなった。
荘周と蝶との間には、形の上では確かに区別があるはずである。 このような変化のことを「物化(ぶっか)」と呼ぶのである。
斉物論篇の「胡蝶の夢」においては「蝶の夢」について書いてありますが、『荘子』という書物では、他にも多くの篇で「動物と夢」について言及しています。
2.夢の中で訴える神亀。

❝宋元君夜半而夢人、被髮闚阿門、曰「予自宰路之淵、予為清江使河伯之所、漁者余且得予。」元君覺、使人占之、曰「此神龜也。」君曰「漁者有余且乎。」左右曰「有。」君曰「令余且會朝。」明日、余且朝。君曰「漁何得。」對曰「且之網、得白龜焉、其圓五尺。」君曰「献若之龜。」龜至、君再欲殺之、再欲活之、心疑、卜之、曰「殺龜以卜、吉。」乃刳龜、七十二鑽而無遺筴。❞
→ 宋の元君(げんくん)が真夜中に夢を見た。髪を振り乱した一人の男が家の脇門からのぞき込み 「私は『宰路(さいろ)の淵』からやってきた者です。清江(せいこう)の使者として河の神(河伯)のもとへ向かう途中、漁師の余且(よしょ)に捕まってしまいました。どうか助けてください」と訴えかけてくるのだ。
元君が目覚めて占い師に尋ねると、「それは神聖な亀(神亀)です」と答えた。 元君が「郷に余且(よしょ)という名の漁師はいるか?」と側近に問うと「おります」と言う。そこで、元君は余且を翌朝参内させるよう命じた
翌日、余且が御前に参内してきた。元君が「漁で何かを捕らえたか?」と問うと、彼は 「網に白い亀がかかりました。その大きさは五尺(約1.5メートル)ほどございます。」と答えた。 元君が「その亀を献上せよ」と命じ、亀が運ばれてきた。
元君はこの不思議な亀をを生かすべきか、殺すべきか大いに迷ったが決断できず、占ってみたところ「亀を殺して(その甲羅で)占えば吉」とのお告げが出た。 そこで亀の腹を裂き、その甲羅を使って七十二回も占いをしてみたが、果たしてその占いはことごとく的中し、一回も外れることはなかった。
これは『荘子』の「外物篇」にある神亀の話。紀元前の書物のくせに、現代でいうところの「テレパシー」だの「予知能力」だのが当たり前のように載っているというのが『荘子』の特色です。
亀の甲羅で吉凶を占う「亀卜(きぼく)」は古代中国において発達し、優れた亀の甲羅は貴重なものとして、珍重されてきました。

この『荘子』に登場する神亀も、元君の夢枕に現れ、七十二回も未来を予見するという優れた能力を有していましたが、残念ながら一介の漁師の網から逃れる方法を見出すことはできなかったようです。
3.鳥になる夢、魚になる夢。

❝且也,相與吾之耳矣,庸詎知吾所謂吾之乎。且汝夢為鳥而厲乎天,夢為魚而沒於淵,不識今之言者,其覺者乎,夢者乎。造適不及笑,獻笑不及排,安排而去化,乃入於寥天一。」 ❞
→ そもそも、我々は互いに『私』と言い合っているが、その『私』と言っているものが、本当に『私』であるとどうして分かるだろうか?」
「君は、夢の中で鳥になって天高く舞い上がることもあれば、魚になって深い淵に潜ることもあるだろう。今こうして語っている君が、目覚めている者なのか、それとも夢を見ている者なのか、誰に判別できようか。 真に心地よい境地に至れば、笑う暇さえない。無理に笑みを作れば、自然な変化に逆らうことになる。 自然な安らぎの中に身を置き、万物の変化と同化し去る。そうして初めて、何もない空な境地に入ることができるのだ。」
というわけで、今回はこういったお話の延長線上にある「魚になる夢」を。
4.夢で魚になる薛偉(せつい)。
今回は北宋の時代に編纂された『太平広記』より、薛偉(せつい)という役人が魚になった話をご紹介します。
❝ あらすじ
唐の乾元元年、蜀州青城県の役人(主簿)であった薛偉(せつい)は、重い病に倒れて意識を失った。死んだかのように呼びかけにも応じなくなったが、胸のあたりだけがわずかに温かかったため、家族は葬ることもできず二十日間見守り続けた。すると突然、薛偉は大きなため息をついて生き返った。
起き上がった薛偉は、同僚の役人たちが今まさに魚の膾(なます)を食べようとしているところへ使用人を走らせ、箸を止めさせて自分の元へと呼び寄せた。そして驚く同僚たちに向かって、彼らが魚を購入した経緯、門前で別の役人が囲碁を打っていたこと、同僚たちが双六に興じながら桃を食べていたこと、料理人の王士良が魚を殺そうとしたことなど、その場にいないと絶対に知り得ない詳細なディテールをピタリと言い当てた。すべて事実であったため同僚たちが驚愕すると、薛偉は「先ほど殺されそうになっていたあの大きな鯉は、私だったのです」と告げ、事の顛末を語り始めた。
病の高熱に苦しんでいた薛偉は、涼しさを求めて彷徨ううちに夢うつつで川のほとりに辿り着き、衣服を脱いで川へ飛び込んだ。水を得た快さから「魚になって泳ぎ回りたい」と願うと、河の神(河伯)の使いが現れ、一時的に「東の潭(ふち)の赤鯉」に姿を変えられた。ただしその際、「釣り針の餌に惑わされて身を亡ぼすな」と強く警告を受ける。
魚となった薛偉は、思うがままに水の世界を泳ぎ回り、束の間の自由を謳歌した。しかしある時、激しい飢えに襲われる。そこに漁師の趙幹が香ばしい餌のついた釣り針を垂らした。一度は警告を思い出して踏みとどまった薛偉だったが、飢えに耐えかね、「自分は人間の役人なのだから、捕まったとしても知己である趙幹が殺すはずはない。県庁へ送り届けてくれるだろう」と油断し、ついに針を飲み込んでしまった。
趙幹に捕らえられた薛偉は必死に声を上げて正体を訴えたが、人間の目にはただ魚が口をぱくぱくしているとしか映らず、まったく届かなかった。エラを貫かれ、そのまま県庁へと運ばれた薛偉は、同僚たちが自分を「見事な大魚だ」と喜び、料理人に引き渡す光景を魚の視点から目撃することになる。まな板の上で、料理人の王士良に首を切り落とされた瞬間、薛偉はその恐怖と激痛によって人間の体へと覚醒し、元の世界へ戻ってきたのだった。
話を聞いた同僚たちは大いに震え上がり、哀れみの心から膾(なます)を投げ捨て、生涯にわたって魚の膾を食べなくなった。その後、薛偉の病はすっかり完治し、のちに昇進を重ねてその生涯を全うした。❞

病でこん睡状態になった薛偉(せつい)が魚として生き、魚として死んだ瞬間に再び人間に戻る。これも「胡蝶の夢」の後継と言えるでしょう。このお話は唐の時代、日本でいうと平安時代初期に書かれた李復言(りふくげん)の怪異小説集『続玄怪録』に収録されていたものが原点とされ、「魚服記(ぎょふくき)」としても知られています。
5.夢応の鯉魚。
続いて、この「魚服記」のお話をベースに、江戸時代中期に上田秋成がリメイクした『雨月物語』の「夢応の鯉魚(むおうのりぎょ)」を。
❝ あらすじ
平安時代の延長年間、三井寺に興義(こうぎ)という絵の巧みな僧がいた。彼は仏像や山水ではなく、琵琶湖の漁師から買い取った生きた魚を湖に放ち、その泳ぎ跳ねる姿を好んで描いていた。絵に心を凝らすあまり、夢の中で本物の魚と泳ぐこともあり、目覚めてはその姿を克明に描いて「夢応の鯉魚」と名付けた。しかし、生き物を殺して食らうような凡俗の人間には、決してこの鯉の絵を与えようとはしなかった。
ある年、興義は重病に罹り、息絶えてしまう。しかし、胸のあたりがわずかに温かかったため、弟子たちは葬らずに見守った。三日後、興義は奇跡的に蘇生する。起き上がった彼は、日頃から親交のあった檀家の役人・平の助(たいらのすけ)の屋敷へ使いをやり、今まさに宴会で魚の刺身(膾)を食べようとしている彼らを寺へと呼び寄せた。
駆けつけた平の助たちに対し、興義は、彼らが漁師の文四から大魚を買い取ったこと、碁を囲みながら桃を食べていたこと、料理人が得意げに包丁を研いでいたことなど、その場にいた者しか知り得ない細々とした出来事も次々と言い当てた。一同が狐につままれたようになると、興義は「先ほど皆様に殺されそうになっていた大魚は、私だったのです」と言い、不思議な夢の出来事を語り始めた。
病の熱に苦しんでいた興義は、我を忘れて琵琶湖へ飛び込み、思いのままに泳ぎ回った。さらに魚になりたいと願うと、海の神(海若)の使いが現れ、これまでの放生の功徳によって一時的に「金色の鯉」の姿を授けられた。ただし、「餌の香ばしさに目を眩まされて釣り針にかかるな」と固く戒められる。
鯉となった興義は、長等の嵐に身を任せ、竹生島や沖の島など琵琶湖の美しい名所を巡り、水府の自由を心から謳歌した。しかし、激しい飢えに襲われたとき、知人である漁師の文四が垂らした香ばしい餌に出会う。一度は神の戒めを守って踏みとどまったものの、飢えに耐えかね、「自分は仏弟子であり文四とも顔なじみだ、まさか殺されはしないだろう」と油断して針を飲み込んでしまった。
捕らえられた興義は必死に声を上げて正体を訴えたが、人間にはただ魚の口が動いているようにしか見えず、言葉は届かない。エラを貫かれ、平の助の屋敷へ運ばれた興義は、かつての友人たちが自分を「見事な魚だ」と歓声を上げて喜び、料理人に引き渡す光景を魚の目で見届けることになった。そして、まな板の上で料理人に包丁を入れられ、切り殺されるという絶望と恐怖の瞬間、興義は夢から覚めて人間の体へと戻ったのである。
事の真相を知った平の助たちは大いに驚き、恐れおののいて残った刺身をすべて湖へと捨てさせた。その後、病の癒えた興義は天寿を全うする。臨終の際、彼がこれまで描いた鯉の絵を湖に流すと、描かれた魚たちは紙や絹を離れて水の中へと泳ぎ去っていき、彼の鯉の絵は後世に一枚も残らなかったという。❞

こちらは『雨月物語』の中でも特に人気がありますので、朗読もたくさんあります。ただし、対比してみればわかりますが、枠組みは「魚服記」のお話をそのまま使っているので、「夢応の鯉魚」は他のお話と比べるとオリジナリティは少ないですね。
ちなみに、「魚服記」と「夢応の鯉魚」って両方とも魚になる夢のお話で、両方とも釣り針の餌の誘惑に負けています。誰も言っていませんが、私は昔からこのお話が「およげ!たいやきくん」の元ネタだと思っています。
6.太宰治『魚服記』。
ちなみに、このお話は昭和に入って太宰治が『魚服記』として大幅なリメイクをして小説化しています。

実は太宰の「魚服記」は「夢」の要素は少なく、原型から大幅に改変されましたが、この荘子から始まる「魚になる夢」のモチーフは、紀元前から現代まで、連続したものであると言って支障はないでしょう。
今日はここで限界、続きは次回お会いしましょう。それではฝันดี(ファン ディ)!
