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【104歩目】胡蝶の夢を読む ③ - ヒトと動物、ヒトと虫 -


前回のつづき。

1.みたび胡蝶の夢を読む。


❝昔者莊周夢為胡蝶,栩栩然胡蝶也,自喻適志與。不知周也。俄然覺,則蘧蘧然周也。不知周之夢為胡蝶與,胡蝶之夢為周與。周與胡蝶,則必有分矣。此之謂物化。❞

➙ その昔、私こと荘周は夢の中で蝶になった。 夢の中で蝶としてひらひらと心地よく空を舞っていた。自分が荘周であることなんてまったく意識になかった。

 やがて、ふと目が覚めると、現実の荘周にもどっていた。

 その時、自分が夢を見て蝶になっていたのか、それとも、蝶が荘周を夢見ていたのか分からなくなった。

 荘周と蝶との間には、形の上では確かに区別があるはずである。 このような変化のことを「物化(ぶっか)」と呼ぶのである。

『荘子』斉物論 第二

 前回までは「夢と現実」を中心に荘子の「胡蝶の夢」を読んでみましたが、今回は、後半部分を中心に読んでみようかなと思います。

すなわち、「不知周之夢為胡蝶與,胡蝶之夢為周與。周與胡蝶,則必有分矣。此之謂物化。(自分が夢を見て蝶になっていたのか、それとも、蝶が荘周を夢いていたのか分からなくなった。荘周と蝶との間には、形の上では確かに区別があるはずである。 )」の部分。荘周と蝶との違いについて。

2.荘周と蝶との間にある「分」。

 「胡蝶の夢」という説話は、『荘子』という書物の中心的な思想が書かれている「斉物論(せいぶつろん)篇」に書かれてあります。この篇で荘子は「万物は斉(ひと)しく同じ」であるという「万物斉同(ばんぶつせいどう)」という理念を打ち立てるわけですが、この「斉物論篇」には多くの動物たちが登場します。


❝且吾嘗試問乎女。民溼寢則腰疾偏死,鰌然乎哉。木處則惴慄恂懼,猨猴然乎哉。三者孰知正處。民食芻豢,麋鹿食薦,蝍且甘帶,鴟鴉耆鼠,四者孰知正味猨,猵狙以為雌,麋與鹿交,鰌與魚游。毛嬙、麗姬,人之所美也,魚見之深入,鳥見之高飛,麋鹿見之決驟。四者孰知天下之正色哉。❞

➙ それでは、試しにお前に尋ねてみよう。

 人間は、湿気のある場所で寝れば、腰の病気になったり、身体の片側が麻痺して死んでしまったりする。だが、ドジョウ(鰌)だってそうだと言うだろうか?

 人間は、高い木の上に登れば、足がすくんでガタガタと恐怖に震える。では、サル(猨猴)だってそうだと言うだろうか?

 さて、人間、ドジョウ、サルの「三者」のうち、いったい誰が、本当に正しい住処(正処)を知っていると言えるだろうか。

また、人間は牛や豚や羊の肉(芻豢)を美味しく食べる。麋(おおじか)や鹿は草(薦)を食べる。ムカデ(蝍且)はトカゲやヘビ(帯)を好物とし、トビやカラス(鴟鴉)はネズミ(鼠)を喜んで食べる。

 さて、この「四者」のうち、いったい誰が、本当に正しい味(正味)を知っていると言えるだろうか。

 サル(猨)は犬に似たサルの仲間(猵狙)をメスとして愛し、おおじかとシカは交わり、ドジョウは他の魚たちと一緒に泳ぎ回る。かの有名な美女である毛嬙(もうしょう)や麗姫(れいき)は、人間なら誰もが美しいと褒め称える存在だ。しかし、魚が彼女たちを見れば水底深くへと逃げ込み、鳥が見れば空高くへと飛び去り、シカが見れば脇目も振らずに走り去ってしまう。

 さて、この「四者」のうち、いったい誰が、この天下の「本当の美しさ(正色)」を知っていると言えるだろうか。

『荘子』斉物論 第二

 ここでは、人間の感覚の相対性を指摘しています。「おいしい」とか「美しい」というものは絶対的なものではなく、あくまでも相対的なものです。これを荘子は人間以外の動物と対比することで示そうとしています。

❝夫隨其成心而師之,誰獨且無師乎?奚必知代而心自取者有之。愚者與有焉。未成乎心而有是非,是今日適越而昔至也。是以無有為有。無有為有,雖有神禹,且不能知,吾獨且柰何哉!夫言非吹也。言者有言,其所言者特未定也。果有言邪。其未嘗有言邪。其以為異於鷇音,亦有辯乎,其無辯乎。

➙そもそも、人間の言葉というのは、風が吹き抜けるただの音とは違う。言葉を発する者には、何かを主張したいという意図がある。しかし、その語られている中身(何が正しくて、何が間違っているか)は、いまだ絶対に正しいと決まったわけではない。

 では、彼らには果たして「言葉(意味のある主張)」があると言えるのだろうか? それとも、実は「言葉など初めから無い(ただの音)」のだろうか?

 人々は「人間の言葉」は「ひな鳥の鳴き声」とは違う高尚なものだと思っているようだが、果たしてそこに明確な違いがあるのだろうか? それとも、大した違いなど無いのだろうか?

『荘子』斉物論 第二

 ここでは、ひな鳥の鳴き声と人間の言葉とは何が違うのか?ということを問うています。

  最近注目されている動物言語学者の鈴木俊貴先生の研究の視点は、すでに『荘子』では指摘されているんですよね。

❝謂之朝三。何謂朝三。曰狙公賦芧,曰「朝三而莫四。」眾狙皆怒。曰:「然則朝四而莫三。」眾狙皆悅。名實未虧,而喜怒為用,亦因是也。是以聖人和之以是非,而休乎天鈞,是之謂兩行。❞

➙これを「朝三」という。なぜ「朝三」というのだろう?それには、こんな話がある。

 狙公(そこう)という猿回しの男が猿たちの前で「朝にはトチの実を三つ、夕方にはトチの実を四つあげよう」と言ったところ、猿たちは怒り出した。そこで猿回しの男は猿たちに「ならば、朝は四つ、夕方には3つでどうだ?」というと猿たちは喜んだ。数字と内容をもてあそび、猿回しの男は猿たちの喜怒を利用してる。これは、猿の本性を見抜いてそうするのである。

 
さればこそ、聖人と言われる人は、事物に囚われず、是非の調和につとめ、自然の成り行きに任せるが、これを両行という。

『荘子』斉物論 第二

 そして、サルが数字に一喜一憂する「朝三暮四」。最近の動物行動学における研究でも、猿はもらう餌の量や質を見て、それを不公平だと感じると怒りだすということが分かっています。『荘子』における「斉物論篇」にある動物にまつわる話も「動物や昆虫がどのように感じたり考えたりしているか」について、紀元前の荘子が動物や虫の様子をつぶさに観察したうえで書物に記していることが分かります。
 そしてその「斉物論篇」の最後に、夢を通して「人である荘周」と、「昆虫である胡蝶」に区別がないという「胡蝶の夢」の話があるわけです。

3.南柯の夢(なんかのゆめ)。

 では、ここで唐代の李公佐の『 南柯太守伝 (なんかたいしゅでん)』にある南柯(なんか)の夢について。長いのであらすじを。

❝ 昔、中国の唐の時代に、淳于棼(じゅんうふん)という武官がいた。 ある日、彼は自宅の庭にある大きな槐(えんじゅ)の木の下で、友人たちと熱心にお酒を飲んでいたが、すっかり酔っ払ってしまい、友人たちが足を洗っているのを横目に、いつしか彼は木陰で居眠りを始めてしまった。
 夢の中で、「大槐安国(だいかいあんこく)」という国からの使者がやってきて、淳于棼が誘われるままに王宮へ赴くと、彼は国王に大歓迎され、なんと王女を妻に迎えることになる。さらに、政治の才能を認められた彼は、「南柯郡(なんかぐん)」という地方都市の太守(長官)に任命された。
 南柯郡に赴任した淳于棼は、行き届いた治世を敷いて、領民からも深く慕われ、妻との間に七人の子宝に恵まれた。地位も名誉も手に入れ、まさに誰もが羨む最高の人生を歩んでいた。その栄華は20年もの間続いた。
 しかし、突然の不幸が彼を襲うこととなる。敵国が攻めてきて彼の軍勢は敗北し、さらに最愛の妻も病気で亡くなってしまう。 悲しみに暮れる淳于棼は、周囲からも敗戦の責任を問われるようになり、ついに太守の地位を追われて王都へ送り返されてしまった。失意のどん底に落とされ、「もうここには居場所がない」と絶望した瞬間、淳于棼はハッと目を覚ました。
 目を開けると、そこは自分の家の庭であった。 先ほどまで一緒に飲んでいた友人たちは、まだ足を洗っている最中で、飲み干した杯もそのままであった。夢の中で過ごした激動の20年は、現実ではほんの一瞬の出来事だったのだ。
 不思議に思った淳于棼が庭の槐の木の根元を掘ってみると、そこには大きな蟻(あり)の巣があり、その巣はかつて20年の歳月を過ごした王宮や南柯郡の地形とそっくりであった。よくよく見ると蟻の巣の中に、連れ添った妻の墓まであった。彼は、自分が蟻の国の太守になった夢を見ていたのだと悟り、人間の世界の富や権力がいかにはかないものであるかを痛感するのであった。❞

『南柯太守伝』
南柯の夢(なんかのゆめ)

 これも夢の中で虫になるお話です。「南柯の夢」では「蝶の夢」ではなく「蟻の夢」ですが、当然、「胡蝶の夢」を含めた古代中国の夢物語のエッセンスを多く受け継いでいます。夢の中でアリの社会を生き、そこでの人生の栄枯盛衰を知る。アリのコミュニティには社会性があるので、話の内容もとてもリアルに感じますね。

4.虫は夢をみるのか?

 こう読んでみると、荘子の思想においては、人間と動物、人間と昆虫もまた斉同であるという結論は当然導き出されるものであり、「胡蝶の夢」から始まる夢物語の系譜においても、動物や虫が重要な意味合いを持っていることが分かります。

 ちなみに、最近の動物行動学の研究によると、ハエトリグモという小さな小さな蜘蛛を観察したところ、このクモが眠っている間に網膜が激しく動く現象が確認されたそうです。つまりハエトリグモも「レム睡眠」をするとのことです。

 そうなると、小さなクモでも人間と同じようにレム睡眠の間に「夢」を見る可能性があるらしいのです。

 ハエトリグモも、昨日捕りそこねた蝶の夢をみるかもしれません。

はい今日はここで限界。続きはまた次回お会いしましょう。それでは、"Lala salama(ララ・サラマ)"

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