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【五十一歩目】北極星と東アジア。


1.「天長節」と老子。

 本日は、天皇誕生日。天長節ですね。ちなみに皇后陛下の誕生日は地久節といいます。この「天長」「地久」は『老子』に由来します。

天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私邪、故能成其私❞
➙ 天は長く、地は久しく。 天地が永遠であり続けられるのは、天地が「長生きをしよう」などと執着していないからだ。 だからこそ、結果としていつまでも生き長らえているのである。これと同じように聖人は、 自分を後回しにすることで、かえって人から先に立てられる。 自分の身を顧みず無私でいることで、かえってその私を全うすることができるのだ。

『老子道徳経』第七章

 

玄宗(712-756)

 「天長節」というのは、唐の第六代皇帝、玄宗のお誕生日として748年に定められたものです。玄宗というと、前半生は開元の治、後半生は楊貴妃と安史の乱という波瀾万丈の人生で、日本でもよく知られる皇帝ですが、じつは玄宗は『開元御注道徳経』という老子の注釈書を自ら書くほど老子に入れ込んだ人物です。

   そもそも、初代皇帝・李淵から始まる唐の皇帝の血族・李氏は老子とゆかりがあります。
 老子には、周の図書館の司書であったものの争乱を避けて西へと逃れたという伝説があります。また、一説には老子の本名は「李耳(りじ)」といい苗字が「李」さんなんです。李淵の一族は西方の隴西の出身なので、彼らは「老子の子孫」を自称し、唐の時代には、道教は国教と呼べるほどまで保護され、老子や荘子の教えも尊重されていました。

2.キトラ古墳と道教。

 日本で道教の影響は、唐の時代に入ってからはっきりしてきます。

キトラ古墳の玄武

 例えば7~8世紀に作られたとされる奈良県のキトラ古墳には、東西南北に青龍・朱雀・白虎・玄武の聖獣が描かれていますし、ほぼ同時期に、道教における八極(東西南北に乾(けん)坤(こん)艮(ごん)巽(そん)の八つの方位)に相応する八角墳も日本各地に作られるようになります。


八卦

 陰陽道や修験道、日本の場合には節分のときに言われる「鬼門」も中国の民間信仰由来のものですが、これも道教の範疇に入ります。古事記や日本書紀では方位についてはアバウトな表現しかありませんが、節分のときの恵方巻でもわかるように、道教って方位について細かいんです。

3.四方拝と北斗七星。

 今日は天皇誕生日で「天長節」ですが、戦前には「四大節」という祝日がありました。

すなわち、
 1.四方節(1月1日)天皇陛下が行る祭祀「四方拝」の日
 2.紀元節(2月11日)神武天皇即位日
 3.天長節(4月29日)昭和天皇の誕生日
 4.明治節(11月3日)明治天皇の誕生日

以上の4つです。

四方拝

 このうち、1月1日の「四方節」に行う「四方拝(しほうはい)」という儀式は、天皇が四方を拝礼するというもので、これも方位に関係します。この四方拝も道教の色彩が色濃くて、明治に入るまでは「急急如律令」という道教の呪文も使っていたそうです。また、四方拝の際には、その年に相応する北斗七星の名前を唱えていたそうです。現代の日本では、お正月には初日の出を拝む人が多いんですが、天皇陛下は星の名前を唱えるんですよね。

北斗七星の名称

❝入御之間献御笏、閇御屏風、次皇上於拜属星座端笏、北向稱御属星座 名字(七遍、此北斗七星也)、子年貪狼星(字司希神子)丑亥巨門星(字貞文子)、寅戌禄存星(字禄会子)、卯酉文曲星(字微恵子)、辰申年廉貞星(字衛不隣子)、巳未年文曲星(字賓大恵子)、午年破軍星(字持大景子)❞

『江家次第』

4.古代中国の星辰信仰。


❝『以本為精、以物為粗、以有積為不足、澹然獨與神明居、古之道術有在於是者。關尹、老聃聞其風而悦之。建之以常無有、主之以太一、以濡弱謙下為表、以空虚不毀萬物為實。❞
➙形なき本根をもって精緻なるものとし、形ある物をもって粗雑なるものとする。富の充実を不足とし、じっとしていながら独り神明と共にある。古の道術には、こういった立場にある者がいた。関尹子(かんいんし)や老聃(ろうたん)はその風を聞いてこれを悦び、常有・常無という観念を打ちたてて、【太一】を主とした。柔弱にして謙下を表とし、自己を空虚として万物を傷つけず内なる徳を守ることとした。

『荘子』天下 第三十三

 『荘子』の中に、老子や関伊子といった人物が重視したものとして、「太一(たいいつ)」という言葉があります。この太一とはなにか、あまりはっきりは書いていませんが、答えの一つが『淮南子(えなんじ)』にはあります。


太微者、太一之庭也。紫宮者、太一之居也。軒轅者、帝妃之舍也、咸池者、水魚之囿也。天阿者、群神之闕也。四宮者、所以守司賞罰。太微者、主朱雀、紫宮執斗而左旋、日行一度、以周於天、日冬至峻狼之山、日移一度、凡行百八十二度八分度之五、而夏至牛首之山、反覆三百六十五度四分度之一而成一歲。❞
太微は太一の庭であり、紫宮は太一の住まいである。軒轅は、帝妃の舍であり、咸池は、水魚を養う園である。天阿は、群神の関である。この四宮は、賞罰を司りこれを守る門である。太微は、朱雀を主とし、紫宮は北斗を手に執って左に旋回する。一日に一巡し、天を周行して冬至の日に峻狼山に至る。日に一度移動して、おおよそ半年で182と8分の5度を巡り、夏至の日に牛首山に至る。365と4分の1度の運行により一年という歳月が経過する。

『淮南子』天文訓

ちなみに、これは『論語』にも載っています。


❝子曰「為政以徳、譬如北辰。居其所而衆星共之。」❞
➙ 孔子はこうおっしゃった「徳による政治は北辰に喩えられるだろう。天の中心にじっとして、諸々の星々はそれを共(めぐ)る。」

『論語』為政 第二
北極星

 道教における太一、孔子のいう北辰、いわゆる北極星です。北極星によって我々は方位を知ることができますし、北斗七星の位置を観察することによって、季節や時間を計測できるようになります。古代人にとって空間と時間の基軸となるのがこの北極星というわけです。

4.北極星と天皇。

 前回、日本神話と道教の関係を書いたんですが、たとえば『古事記』の中で最初に出てくる神様は、造化三神の一人、アメノミナカヌシ(天之御中主神)という神様で、特に何かをしたというような記載はありません。何もしない神様、この神様の名前の漢字「天之御中主神」を読むと、これは北極星のことだと推測できます。

 それともう一つ、道教において北極星の化身と言える神様は何人かいるんですが、そのなかのひとりに「天皇大帝」という神様がいます。紫微というところに住んでいるそうですが、この天皇大帝こそが日本の「天皇」の呼称の由来であろうと言われています。

高宗(649-683)

 日本では天武天皇の時代に「天皇」という呼称を使い始めたんですが、ほぼ同時期に唐の第三皇帝・高宗も「天皇大帝」を自称していた時期がありますので、おそらくはそれが起源であとうと思われます。

明日も早いので今日はここまで。続きは五十二歩目でお会いしましょう。それでは、Doviđenja(ドヴィジェーニャ)!

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