【四十九歩目】荘子と盤古。
1.盤古天地を分かつ。
今日は唐の時代に編纂された百科事典、『芸文類聚(げいもんるいしゅう)』という書物から。

❝徐整『三五歴紀』曰:天地渾沌如雞子、盤古生其中。萬八千歲、天地開辟、陽清為天、陰濁為地、盤古在其中、一日九變。神於天、聖於地。天日高一丈、地日厚一丈、盤古日長一丈。如此萬八千歲、天數極高、地數極深、盤古極長。后乃有三皇。數起于一、立于三、成于五、盛于七、處于九、故天去地九萬里。❞
➙ 徐整の『三五歴紀』にこうある。 天地がまだ分かれていなかった頃、その様子は鶏の卵の中身のように混じり合って混沌としており、その中に盤古が生まれた。一万八千年の時が経ち、ようやく天と地が分かれ(天地開闢)、清らかで明るい陽の気は上昇して「天」となり、濁って重い陰の気は下降して「地」となった。
盤古はその間にあって、一日のうちに九回も姿を変えた(変幻自在であった)。その神格は天よりも尊く、その聖性は地よりも優れていた。天が一日に一丈ずつ高くなれば、地も一日に一丈ずつ厚くなり、盤古の背丈もまた一日に一丈ずつ伸びていった。
このようにしてさらに一万八千年の歳月が流れ、天は極めて高く、地は極めて深くなり、盤古の体も極めて長大になった。その後、ようやく三皇(伏羲・女媧・神農など)が現れたのである。 (宇宙の)数は「一」に始まり、「三」に立ち、「五」に成就し、「七」に盛りを迎え、「九」に極まる。ゆえに、天と地の間は九万里も離れているのである。
今回は、中国の創世神話に登場する巨人、盤古(ばんこ)のお話を。


うちのgeminiに描かせてみたら一発でこの出来だったので採用。盤古は、世界の始まりに登場する巨人で、中国神話における「天地開闢(てんちかいびゃく)」の神です。天と地が分かれる前の混沌とした卵のような存在から生まれて、天と地を分かつ盤古。彼の働きにより天と地は九万里まで離れたそうです。

❞北冥有魚、其名為鯤。鯤之大、不知其幾千里也。化而為鳥、其名為鵬。鵬之背、不知其幾千里也。怒而飛、其翼若垂天之雲。是鳥也、海運則將徙於南冥。南冥者、天池也。齊諧者、志怪者也。諧之言曰「鵬之徙於南冥也、水?三千里、摶扶搖而上者九萬里、去以六月息者也。」❞
➙ 北冥に魚がいる。その名を鯤(こん)という。鯤の巨大さたるや幾千里あるかわからないほどだ。化して鳥となり、その名を鵬(ほう)という。翼を広げた鵬の巨大さたるや、これまた幾千里あるかわからないほどだ。ひとたび鵬が飛び立つとなれば、その翼は天空に雲がたれこめるのと見紛うばかり。大海に嵐が湧き起こるのを見るにおよび、巨鳥はおもむろに南冥へと飛び行く。南冥とは天の池のことだ。怪しげな事象を記述する『齊諧(さいかい)』によれば、「鵬が南冥へと移るとき、三千里の水面を打ち、風の助けを得て、半年もの間休むことなく、九万里の空へと上昇する。」とある。
『荘子』の冒頭、逍遥游篇も巨大な魚が変化して鳥になり、九万里の空を飛翔するところから始まります。

❝道生一、一生二、二生三、三生萬物。萬物負陰而抱陽、沖氣以爲和。❞
➙ 「道(TAO)」は、根源的な一を生み出し、その一は、陰と陽という二つの対立する気を生み出した。二つの気は、それらが混じり合うことで調和を生み出し、その三つの働きによって、この世のあらゆるものが生み出された。万物はすべて、背に「陰」を背負い、胸に「陽」を抱いている。そして、その間で「沖気」取り持ち、陰陽の二つを調和させているのである。
陰陽や「一」「三」の数字についてもやりました。なんか老子や荘子に似ていますね。
徐整の『三五歴紀』とありますが徐整というのは三国志の呉の国の人です。『三五歴紀』も『老子』や『荘子』の時代よりも500年も後に描かれた書物です。この『三五歴紀』は原書は残っていませんが、当時の百科事典にはちゃんとこの神話が収録されています。
2.盤古の死体が世界を作る。
次も百科事典のような内容の魏晋南北朝時代の『述異記(じゅついき)』(任昉(じん ぼう)著)から。
❝盤古氏
昔盤古氏之死也。頭為四岳、目為日月、脂膏為江海、毛/髮為草木、秦漢間俗說盤古氏頭為東嶽、腹為中嶽、左臂為南嶽、右臂為北嶽、足為西嶽。先儒說盤古氏泣為江河氣為風、聲為雷、目瞳為電。古說盤古氏喜為晴、怒為陰・吳楚間說盤古氏伕妻陰陽之始也、今南海有盤古氏墓、亙三百餘裏俗雲後人追葬盤古之魂也。桂林有盤古氏廟今人祝祀。❞
➙昔、盤古氏の死ぬと、その頭は四岳となり、目は日月となり、脂膏(しこう)は江海となり、毛髪は草木となった。
秦漢の間の俗説に、盤古氏の頭は東岳、腹は中岳、左腕は南岳、右腕は北岳、足は西岳となるともある。
先儒(せんじゅ)は説く、盤古氏の涙は江河となり、息は風となり、声は雷となり、瞳は電(いかずち)となると。
古説に、盤古氏の喜びは晴となり、怒りは陰(くもり)となると。呉楚の間の説に、盤古氏は夫妻にして陰陽の始だという。
今、南海に盤古氏の墓があり、亘(わた)ること三百余里。俗に云う、後人の盤古の魂を追葬と。桂林に盤古氏の廟があり、今の人も祝祀している。
混沌から生まれ、天と地を開いた巨人盤古が死に、その遺体からこの世界の様々なものが生まれたとするお話。インド神話のプルシャとも似ていますし、北欧神話でもユミルという巨人が登場して、その遺体から世界が創造されますが、それともそっくりです。ちなみにこういった神話を「死体化生神話(したいけしょうしんわ)」と言うそうです。
混沌から生まれた盤古の眼は死んでから日月になります。『荘子』においては目や鼻に穴を開けた結果、渾沌は死んでしまいますね。

❝南海之帝為儵,北海之帝為忽,中央之帝為渾沌。儵與忽時相與遇於渾沌之地,渾沌待之甚善。儵與忽謀報渾沌之德,曰「人皆有七竅,以視聽食息,此獨無有,嘗試鑿之。」日鑿一竅,七日而渾沌死。❞
→南海の帝王を儵(しゅく)いい、北海の帝王は忽(こつ)、中央の帝王は渾沌(こんとん)という。儵(しゅく)と忽(こつ)とは、たまたま中央の渾沌の土地で出会った。渾沌は心から二人の帝王を歓待した。儵と忽はそのお返しに何をしたらよいかと相談したところ「人間はみな目、耳、口、鼻に七つの穴を持っている。それらのおかげで見たり聞いたり、食べたり呼吸したりすることができるが、この渾沌にはそれがない。御礼として、ためしに穴をあけてみよう。」という話となった。二人は毎日一つずつ穴を掘っていったが、七日目に渾沌は死んでしまった。
『老子』や『荘子』の思想は、神話世界の言葉を素材にして、これを哲学的に昇華して使っている場合が多いです。したがって、神話の描写と老子や荘子の言葉とが似ているのはある意味当然です。
しかし、この盤古の場合には老子や荘子が死んでから500年後の著作であり、むしろ、一度哲学用語になった言葉を、再び神話世界に引き戻したというべきかもしれません。本来中国の土着の神話が、老子や荘子の思想によって再構築されていく、宗教としての道教の展開の一側面であろうと思います。
3.盤古の神話と西遊記。

❝詩曰:
混沌未分天地亂,茫茫渺渺無人見。
自從盤古破鴻濛,開闢從茲清濁辨。
覆載群生仰至仁,發明萬物皆成善。
欲知造化會元功,須看西遊釋厄傳。❞
➙ 詩に曰く。
天地が分かれる前の混沌の中では、すべてが入り乱れ、果てしなく広がるばかりで、それを見ることのできる人間など誰一人いなかった。
ひとたび盤古がその根源的な闇を打ち破ってからは、世界が切り開かれ、清らかなもの(天)と濁ったもの(地)がはっきりと分かれたのだ。
天はすべてを覆い、地はすべてを載せて、生きとし生けるものはこの大いなる慈しみを仰ぎ見ている。
万物は命を与えられ、それぞれが善き姿を成している。 もし、この世界の造化の功の深遠なる理を知りたいと思うならば、すべからくこの『西遊記(西遊釈厄伝)』を読むべし。
現代の日本人にも親しい『西遊記』も、この盤古による天地開闢の神話から始まります。まるで卵のようなカオスから生まれた盤古のように、卵のような石からカオスの化身が生まれるお話ですので。
“In the worlds before Monkey, primal chaos reigned.
Heaven sought order.
But the phoenix can fly only when its feathers are grown.
The four worlds formed again and yet again,
As endless aeons wheeled and passed.
Time and the pure essences of Heaven,
the moisture of the Earth,
the powers of the sun and the moon
All worked upon a certain rock, old as creation.
And it became magically fertile.
That first egg was named “Thought”.
Tathagata Buddha, the Father Buddha, said,
“With our thoughts, we make the world.”
Elemental forces caused the egg to hatch.
From it then came a stone monkey.
The nature of Monkey was irrepressible!”
「猿が生まれる前の世界、そこは根源的な混沌が支配していた。
天は秩序を求めたが、たとえ鳳凰であっても羽が育たねば飛ぶことはできない。
四つの世界は、果てしない永劫の時が巡り過ぎゆく中で、 形作られては、また壊されるというサイクルを繰り返えしていた。
大いなる時間、そして天の純粋なる精気、 地の潤い、 太陽と月の力。 それらすべてが、天地創造の古より存在する、あるひとつの岩に働きかけていた。
やがて、その岩は魔法のような生命力を宿した。 最初に出現したその卵は、「思考(Thought)」と名付けられた。 父なる仏陀、如来は言った。 「我らの思考によって、我らは世界を創り出すのだ」と。
四大の力がその卵を孵した。 そこから現れたのは、一匹の石猿であった。
その石猿の本性を、何者であろうと抑え込むことはできない!」
この西遊記の漢詩にでてくる「造化」も荘子です。

❝夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。故善吾生者,乃所以善吾死也。今之大冶鑄金,金踊躍曰『我且必為鏌鋣』,大冶必以為不祥之金。今一犯人之形,而曰『人耳人耳』,夫造化者必以為不祥之人。今一以天地為大鑪,以造化為大冶,惡乎往而不可哉。成然寐,蘧然覺。」❞
➙ 大塊(大自然)は、私に形を与えて載せ、生を与えて私を働かせ、老いを与えて私を安楽にさせ、死を与えて私を休息させる。 ゆえに、私の生を「善し」とするのは、そのまま私の死を「善し」とすることでもある。
今、優れた鋳物師(いものし)が鉄を鋳造しているとする。その鉄が突然飛び跳ねて「私はどうしても名剣・莫邪(ばくや)になりたい!」と叫んだとしたら、鋳物師は必ずやそれを「縁起の悪い不吉な金だ」と思うことだろう。
それと同じように、たまたま一度、人の形を授かったからといって、「人間でありたい、人間でいたい」と執着するのは、造化(造化者)から見れば「不吉な人間だ」ということになる。
今、天地を「巨大な炉(ろ)」とし、造化の働きを「偉大なる鋳物師」と見なすならば、どこへ去ろうと不都合なことがあろうか。安らかに眠りにつき、ゆっくりと目が覚めるだけのことだ。
はいもう眠いので今日はここまで。続きは五十歩目でお会いしましょう。それでは、Inshallah(インシャーラー)!
