【七歩目】七日目に死ぬ渾沌
1.七草の由来
本日は七歩目。今日は一月七日、七草の日ですね。七草の風習は1500年位前に「荊(けい)」や「楚(そ)」と呼ばれた長江流域の年中行事の記録集『荊楚歳時記(けいそさいじき)』という書物に書いてあります。ちなみに、俳句の季語を集めた書物「歳時記(さいじき)」はこの『荊楚歳時記』に由来します。

❝正月七日為人日,以七種菜為羹,翦綵為人,或鏤金箔為人,以貼屏風,亦戴之以頭鬢,亦造華勝以相遺,登高賦詩。❞
→ 正月七日は人日の日となる。七種の菜によって羹を作り、綵(あや)を切ったり金箔を飾って人形を作って、屏風に貼り付けたり、頭鬢の上に載せたりする。華勝(髪飾り)を作って相手に送り、高楼を上って詩を賦す。
『荊楚歳時記(けいそさいじき)』にもあるように、一月七日は「人日(じんじつ)の日」「人日の節句」という節句のうちの一つです。では、なぜ一月七日が「人日」なのかということも『荊楚歳時記』には記されています。
2.人日の節句はなぜ「人の日」なのか?
❝按:董勛《問禮俗》曰︰「正月一日為雞,二日為狗,三日為羊,四日為猪,五日為牛,六日為馬,七日為人,以陰晴占豐耗,正旦畫雞于門,七日帖人於帳。」今一日不殺雞,二日不殺狗,三日不殺羊,四日不殺猪,五日不殺牛,六日不殺馬,七日不行刑,亦此義也。古乃磔雞令畏鬼,今則不殺,未知孰是。荊人於此日向辰,門前呼牛羊雞畜,令來。乃置粟豆於灰,散之宅內,云「以招牛馬」,未知所出。❞
→董勛(とうくん)の『問禮俗』いわく「正月の一日を雞の日とし、二日を犬の日とし、三日を羊の日,四日を豚の日、五日を牛の日、六日を馬の日、七日を人の日とする。陰晴により、豊作か不作かを占う。元旦には門に鶏の画を、七日には人の画を貼る。」一日は鶏を殺さず、二日は犬を殺さず、三日は羊を殺さず、四日は豚を殺さず、五日は牛を殺さず、六日は馬を殺さず、七日は刑罰を行わないのもまた、この意味である。昔は、鶏を門前に括り付けて鬼を畏れさせたものだが、今は鶏を殺さないようになった。その理由は不明である。荊人はこの日に辰の方角に向かい、門前で牛や羊や雞などの家畜を呼び寄せる、または、灰の上に粟豆をまき、それによって家の中に牛馬を招き入れようともするが、何に由来するかは不明である。
一月一日は鶏の日、二日は犬の日、三日は羊の日,四日は豚の日、五日は牛の日、六日は馬の日、七日は人の日というような、一日ずつ動物の日が続いて、その日にはその動物の肉を食べないこととし、最終日の一月七日は人に刑罰を与えないという日にしたという風習が由来とされています。最後の七日目が「人の日」だから人日というわけですね。
人間が家畜としている動物の話が七日で一巡するというのは、まるで『聖書』の創世記のようでもあり、興味深いお話です。
3.七日目に死ぬ渾沌(こんとん)。
なお、老荘思想で七日と言えば『荘子』の「渾沌(こんとん)」のお話があります。

❝南海之帝為儵,北海之帝為忽,中央之帝為渾沌。儵與忽時相與遇於渾沌之地,渾沌待之甚善。儵與忽謀報渾沌之德,曰「人皆有七竅,以視聽食息,此獨無有,嘗試鑿之。」日鑿一竅,七日而渾沌死。❞
→南海の帝王を儵(しゅく)いい、北海の帝王は忽(こつ)、中央の帝王は渾沌(こんとん)という。儵(しゅく)と忽(こつ)とは、たまたま中央の渾沌の土地で出会った。渾沌は心から二人の帝王を歓待した。儵と忽はそのお返しに何をしたらよいかと相談したところ「人間はみな目、耳、口、鼻に七つの穴を持っている。それらのおかげで見たり聞いたり、食べたり呼吸したりすることができるが、この渾沌にはそれがない。御礼として、ためしに穴をあけてみよう。」という話となった。二人は毎日一つずつ穴を掘っていったが、七日目に渾沌は死んでしまった。
ドラゴンボールは七つそろうと願いが叶いますが、渾沌の穴は七つそろうと死んでしまいます。なぜ、渾沌は死んでしまったのか?なんでなんでしょうか?
長くなりそうなので、今日はここまで。次回は第八歩目でお会いしましょう、それではAu revoir!
