鹿沼の山岳信仰を巡る。——古峯神社で靴を脱ぎ、賀蘇山神社を通り過ぎて
日光の二荒山神社を巡った同じ日に、そのまま鹿沼市の山あいへ向かいました。
次は「鹿沼の神社巡り」。目的地は、天狗信仰で知られる古峯神社(ふるみねじんじゃ)と、尾鑿山(おざくさん)を仰ぐ賀蘇山神社(がそやまじんじゃ)です。
日光の有名社寺を歩いたあとだったので、鹿沼も似たような雰囲気だろうと思ってたのですが、実際はかなり違いました。

人の多さも、建物の見せ方も、境内の空気も別物。ただ、静かな山の中に、目に見えないものへの信仰が二社とも力強く残っていました。
神社なのに、まず靴を脱ぐ
山道を進むと、道路をまたぐ巨大な鳥居が現れます。そこからさらに奥へ入った先にあるのが、古峯神社です。
境内でまず戸惑ったのが、参拝の仕方でした。

神社なのに靴を脱ぎ、建物の中へ入って参拝します。畳敷きの広い空間を進み、その奥に拝殿がある。外から鈴を鳴らして終わる参拝に慣れていたので、これは初めての経験です。

建物の中なので、雨の日でも落ち着いて参拝できます。信仰の話より先に「これは便利だな」と思ったのは、こちらの感想はかなり現実的です。
中には大天狗や烏天狗の像、巨大な面が並びます。

古峯ヶ原は、日光を開いた勝道上人が修行した場所と伝わり、古峯神社も修験道と深く結び月があります。
天狗は単なる名物ではなく、山で修行する者を守り、災いを退ける存在として信仰されてきたそうです。
実物を前にすると、かわいい観光キャラクターという感じではありません。鼻も翼も大きく、普通に怖い。こちらが天狗を見ているというより、向こうから品定めされているようでした。
山奥に、急に本気の日本庭園が出てくる
社殿の奥には、広大な日本庭園「古峯園」があります。
参拝前は、正直なところ「神社の裏にある小さな庭」くらいに考えていました。ところが入ってみると、池や滝、茶室、苔の道が斜面いっぱいに続いています。
おまけどころではありません。

特に印象に残ったのが、もみじの枝の下から見えた滝です。
まだ初夏なので葉は青々としていましたが、その隙間から水が落ちる様子がちょうどよく見えて、紅葉の時期なら、たぶん別の景色になります。

秋に来たい場所が、一つ増えました。(でも多分すごい混みそう)
こうして候補だけが増えていくのに、行く時間が増えないのが悩ましいです。
ナビがなければ、そのまま通り過ぎていた
古峯神社から山道を進み、次に向かったのが賀蘇山神社です。
こちらは古峯神社とは対照的で、道路脇にひっそり建っていて、ナビの案内があったけれども、一度そのまま通過してました💦
境内も大きくはなく、参拝者の姿もほとんどありません。

境内で目を引いたのは、神代杉と呼ばれる巨大な切り株です。
かつては目通り14.8メートル、樹齢1800年ともいわれ、明治43年の落雷まで立木の姿を残していたそうで、その後の火災を経て、現在の切り株になったそう。
いまは切り株だけですが、それでも人の背丈を軽く超える。昔の姿を想像しようにも、大きさの感覚が追いつきません。
社務所として使われている昔ながらの母屋も、妙に記憶に残ってます。観光向けに整え直した建物ではなく、そこだけ時間が止まったようでした。

古峯神社には、大きな社殿と天狗と庭園がある。賀蘇山神社には、古い建物と杉林と巨大な切り株がある。
見た目はまったく違います。
古峯神社は、次々に見どころが出てくる神社。
賀蘇山神社は、こちらが足を止めなければ何も主張してこない神社。
それでも、どちらも山から切り離しては語れません。

日光の華やかさを見たあとの鹿沼は、真逆と言っていいほど静か。でも、何もない静けさではありません。
人が少ない分、天狗の面や古い社殿、杉林の暗さが妙に近く感じられます。見えないものを信じる感覚は、にぎやかな場所より、こういう山の中の方が少し分かりやすいのかもしれません。
次に来るなら秋の古峯園。
その帰りには賀蘇山神社にも寄るつもりですが、今度はナビの音量を一段上げておきます。
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