「宗教じゃない、神さまなんだ」──名古屋の屋根神さまと、失われゆく町の絆
「おはようございます。これ、いいですよね!」
目の前でトラックが止まり、ハッと身構えた僕に、運転手さんがにこやかに話しかけてきた。
僕がカメラを構えて屋根を見上げていたからだろう。彼が指していたのは、僕がじっと見つめていた屋根神さまだった。
「はい、本当に少なくなってしまって……。近所なので撮りに来たんです」
と答えると、
「僕も、朝これを見たくてここを通って仕事に向かってるんです。本当にいいですよね。いい写真、撮ってください!」
力強いエールを残し、トラックは走り去っていった。
ここは名古屋市北区、清水の稲置街道。
まだ住宅街が目覚める前の静けさの中、高速道路の高架を車が行き交う音だけが響いていた。
僕は再びカメラを構え、祠に視線を戻した。

稲置街道の月次祭
箱型の祠は、気にしていないと屋根神さまがそこにあるとはわかりにくい
屋根神さま――名古屋の街を歩いていると、民家の屋根に、ぽつんと小さな祠が祀られているのを見かけることがある。
町内の安全や火災除けを願って、人々が手を合わせてきた神さまだ。
起源は江戸時代ともいわれ、かつては名古屋市内だけで千以上もの屋根神さまがあったという。
僕がその存在に強く惹かれたのは、知人のカメラマン「屋根さん」こと森実さんの影響が大きい。
2000年頃から屋根神さまを記録し続けてきた彼の写真には、名古屋の街の風景に溶け込んだ祠たちが確かな存在感を放っていた。
屋根神さまは単なる祠ではなく、地域の暮らしや信仰のかたちそのものだと、彼の写真を見て思うようになった。
「いま、名古屋にはどれくらい残っているんだろうか」
令和の屋根神さま―消えゆく風景と祈り

もともとは数軒隣の建物の屋根の上に祀られていた。「ここら辺は年寄りが多いでね、まだまだ残ると思うよ」というおばあさんの言葉に安心していたが、この祠は2024年にはなくなってしまっていた
僕は名古屋の街並みを撮影する仕事にかこつけて、個人的に屋根神さまを探し始めた。
撮影の足がかりにしたのは、「屋根さん」が調査し記録したリストだ。
リストでは135社まで確認されたが、10年以上が過ぎた今、さらにその数は減っているはずだった。

ご近所の方が「お祭りの日は通りに提灯がたくさん出て賑やかだったんですよ」と懐かしそうに話してくれたが、その屋根神さまはもうない
「屋根さん」が撮った写真の中には、そうして役目を終えた祠たちの姿も少なくない。平成から令和へと時代が移り変わった今、僕が撮ることができるのも、まさに最後の機会かもしれない。
僕が初めて撮った屋根神さまは、名古屋市西区・栄生のものだった。あれから何箇所も巡ってきたが、やはり個性的な屋根神さまたちは激減していた。

初めての撮影―西区栄生、街角の温もり
有名な屋根神さまは西区にいくつかあるが、僕は普段着の屋根神さまを見たかった。
その魅力は、建物や環境に応じて形がバラエティーに富んでいるところにもある。
それらの違いは、土地に余裕のない住宅密集地でなんとか祠を作ろうとした人々の工夫や、町内の安全を願う強い思いを体現しているようにも見える。
そうして最初に訪ねたのは、西区栄生(さこう)、マコロン製菓の社屋にある屋根神さまだった。ここは、岐阜に向かう国道22号線から一本裏手に入った通りで、古い建物が比較的残り、周囲にも屋根神さまが点在していた。
撮影は、毎月1日と15日に執り行われる月次祭(つきなみさい)の日と決めていた。普段は見落としてしまうほど目立たない屋根神さまも、この日ばかりは提灯や御供物が飾られ、特別な雰囲気をまとっているからだ。
問題は、当番の人がいつ現れるかだ。
「屋根神さまを撮りにきたの?」
住宅街を行ったり来たりしていると、近所のおじさんからにこやかに話しかけられた。
「ええ、そうなんですけど、なかなか始まらなくて」
「今日は何時ごろかなあ。私も当番をしているのでね、今日は違うけど」
おじさんと屋根神さまについて話していると、しばらくして、当番らしき二人のお母さんたちがプラスチックのケースを持ってやってきた。
「おはようございます」
挨拶をして事情を話した。
写真を撮られるとは思っていなかっただろうし、簡単な身支度で出てこられたのかもしれない。
そこで、夕方片付ける時に撮影させていただけないかとお願いしてみた。
「あら、じゃあ夕方は綺麗にしてこなくちゃね」と快く受け入れて頂けた。

「提灯はすぐ破れてしまうし、けっこう高いんですよ。でも今日はそのまま飾りますね」
晴れていても、普段ならビニールを被せるそうだが、「写真写りが良いように」と気遣ってくれた。
提灯は手を伸ばせば届く高さだが、高齢になるとそれでも一苦労だという。取り付け方を教わりながら、手伝わせてもらった。
お供えは、たいてい屋根神さまの下で行われる。高齢化が進んだ今、祠を地上に降ろして祀る家もあるが、ここはまだ屋根の上に残っていた。
お母さんたちは手際よく折り畳みの台をセットして、その上にお供え物を並べ手を合わせた。
台の上にはタッパーを使った簡易的なお賽銭箱が置いてあったので小銭を入れておいた。そういえば、お賽銭箱はここで見たきり、他では見かけなかった。

夕方、約束通りの時間にお母さんたちがやってきた。
「今日は暑いでしょう?せっかくだから溶ける前にこれ食べて」
アイスキャンディーを僕に手渡し、ふたりはさっそく片付けを始めるところだった。
「あっ、先に写真撮らせてくださいね!」
急いで食べ終え、屋根神さまの前でお二人の写真を撮らせてもらい、夏の日差しに照らされた御供物を片付け、提灯を外すのを手伝った。
道具一式は、次の当番のお宅まで持っていくのだという。
僕が運ぶのを手伝うと、「助かるわぁ」と喜んでもらえた。
こういったひと手間が、僕とお母さんたちを繋いでくれた。

この屋根神さまは社屋にあるため、よほどのことがない限り安泰だろう。
しかし、このまま町の高齢化が進めば、「この先どうなるのだろう……」そんな思いがよぎった。
一人で守る屋根神さま

次に訪ねたのは、覚王山・日泰寺の参道脇にある屋根神さまだった。家の壁に据え付けられるスタイルもよく見られる。
ここは「屋根さん」から特に印象的だと聞いていた場所だが、周囲はマンションや新しい建物が増え、すっかり様変わりしていた。
覚悟はしていたが、しばらく待っても祭礼が始まる気配はない。
そこへ、様子を見ていた近所のおじさんが声をかけてきた。
「さっきから見てたんだけど、屋根神さまを撮りに来たんだね」
「はい、でもなかなか始まらなくて」
そこへ、通りかかったご婦人もおじさんに呼び止められた。
「あら、私も当番をやってたけど、梯子を登るのが怖いのよ」
会話が続くうち、町内会では数年前に取りやめが決まったが、この家の主が「一人で続けます」と申し出たことを知った。
二人は、お札を津島神社まで取りに行く手間や正月当番の大変さを挙げ、「時代が変わった」とも話していた。
「無理はしなくていい、しんどくなったら、いつでもやめていいから、とは言っているんだけどね。いつ始めるかわからないから、声をかけて始めてもらおうか。私も、もう出かける用事があるし」
「待ちますよ」と言葉を発する前に、おじさんが二階に向かって声をかけていた。
「おーい。屋根神さまの写真を撮りにきたって待っている人がいるから、早めにできるか?」
気前よく身支度を整えて家の主が降りてきてくださった。
それを見届けると、「じゃあ出かけてくるから」とおじさんたちは立ち去った。

後で知ったが、ここは柳谷観音名古屋別院(愛柳講院)というお寺で、主は、このお寺の僧侶だった。
「町内で皆さんがずっと守ってこられたものを、なくしてしまってはいけないと思いまして。たまたま家に屋根神さまがありますので、私一人で続けさせていただくことにしました」
ひとりで黙々と続ける祈りの中に、どんなものが込められているのだろうか。


屋根神さまの祠の蓋には由来書きがあり、それによると昭和初期のものらしい。
このお寺自体は100年近い歴史があるようだが、京都からどのようにしてこの地に来たのかは、わかっていないという。
当時、屋根神さまを祀った町内の人々は、末長く続くであろうこのお寺に設置するのが良いと考えたのかもしれない。
最後になったお正月飾り―西区の屋根神さま

梯子を使う祭礼は千種区でも見ることができたが、やはり「屋根の上」にある屋根神さまの様子が見たい。
そこで探し回り、たどり着いたのが西区城西にある屋根神さまだった。
鳥の巣箱のような小さな祠だが、そこには確かに神さまが祀られていた。
何度か通ったが、なかなかその場面に出会えなかった。とうとう痺れを切らして、家の方へ直接尋ねてみることにした。
「すみません。屋根神さまのことをお尋ねしたくて」
「実は、お隣さんが高齢で続けられなくなったのを機に、昨年あたりでやめようと思っていたんですよ」
引き戸が開き、特に不思議がる様子もなく、玄関先でお話を聞くことができた。
「そうしたら、この建物の端にお店があるでしょう? そこの外国の方が『こんないいものを無くすのはもったいない。 私も手伝うのでぜひ残してください』と、言ってくれてね」
「え?二軒でですか?」
「そうですね。ここは、この建物だけのための屋根神さま。家の親父が作ったと聞いています」
屋根神さまは、町内や組といった単位で祀るものだとばかり思っていた。
三軒長屋だけの屋根神さまは、僕が知る限り最も小さな単位だ。だからこそ、昔ながらの祀り方が大切に守られてきたのだろう。
年末には年越しの準備で門松を立てると聞き、その様子を撮影させてもらうことになった。
屋根の上で祭礼を行うこと自体が減っているのに、さらにお正月の準備までするというのはここだけかもしれない。

「おはようございます」
年末の朝、約束していた時間に西区の屋根神さまへ。
ご主人は玄関から大きな脚立を持ち出して歩道に据え、お正月を迎える準備を始めた。
建物全体を撮りたくて、とっさに道路の向こう側へ回ることにした。

無事に飾り付けの様子を撮ることができ、ほっとしながら様子を見ていると、国道側から歩いてきた女性に挨拶された。
「よかった! この様子を見たくてきたんです」
「そうですか、よかったですね!市内の屋根の上にある屋根神さまで、今でもこのような準備をしている場所は、もうないかもしれませんよね」
「実は、私の近所にも屋根神さまがあったのですけど、もうなくなってしまったので」
そう言って、先ほどまで写真を撮っていたスマホを操作し、僕に一枚の写真を見せてくれた。
画面に映っていたのは、僕が最初に訪ねた屋根神さまだった。
そこは、既にだだっ広い駐車場になっていた。
「そういえば、本当に熱心に写真を撮りにきてくださっていた人もいてね」
「それは僕の知人かもしれません。 彼のことをご存じなのですか?」
「ええ、本当に何回もみえて、熱心に写真を撮っていらっしゃいましたから」
少し話し込んだ後、女性は「見られてよかった」と言い残して去っていった。
お正月を迎える準備を終えたご主人の元へ行くと、「写真撮るのに脚立使いますか? 使うならこのまま出しておくから声をかけてくださいね」と言ってくださったので、お言葉に甘えて使わせてもらった。
いざ五段の脚立に登ってカメラを構えると、足がすくむほどの高さだった。
年が明け、正月の賑わいが落ち着いた頃、再び西区城西の屋根神さまを訪ねた。ここでは、年始の月次祭にお札を入れ替えるのだ。
年末と同じようにご自宅を訪ねると、ご主人は手慣れた様子で脚立を運び出した。
お札について聞くと、「近場の浅間神社のお札を入れるようにしています」とのことだった。


数ヶ月後、お礼を兼ねて写真を渡しに行くと、ご主人から「実は、もう屋根神さまはやめることにしました。祠を今後どうするかはまだ決めていませんが……」とどこか申し訳なさそうに告げられた。
折しもコロナ禍ということもあり、それ以上詳しい話は聞けずじまいになった。
それからしばらくして再びあの場所を通ってみると、以前は確かにそこにあった小さな祠は、跡形もなくなっていた。
稲置街道ー建物と共に消えた屋根神さま

「この日は、毎年晴れるのです」
稲置街道沿いの屋根神さま。ここでは地域の祭りに合わせ、5月の連休中にお札を入れ替える
「もう、屋根神さまがある家も何年も空き家になっているから、いつまで続けられるかわからないけれどね」
国道41号線の旧道にあたる、北向き一方通行の道が犬山へ続く稲置街道だ。その街道沿いにある、たばことレコードの店「アルプ」の奥さんを訪ね、協力を得られたことは本当に大きかった。
「アルプ」は、亡きご主人の親の代から続くたばこ店。音楽好きだったご主人が趣味で集めたアナログレコードの販売スペースを併設している。
このお店は、屋根神さまから数軒南に位置していた。
多趣味なご主人は写真にも熱心で、「本当にあちこち連れて行かれましたよ」と笑って話す奥さんは、僕の撮影にも理解を示してくれた。
以前から気になっていた近くの屋根神さまについて尋ねると、「あら、そろそろ当番が回ってくるから、その時に教えますよ」と言ってもらえた。
屋根神さまが町の人たちを結んできたように、気づけば僕も、アルプさんのもとを何度も訪ねていた。

「こういうものがあると、自然とご近所とのお付き合いもできていいと思いますけどね。ここは2年に一回程度しか当番が回ってこないけれど、それでもやらない人はやらない。新しい人たちも入ってきているし、それは仕方がないですね。時代も変わってきていますから」
5月の連休には町内のお祭りで子どもの獅子舞が出ること、その日は屋根神さまも笹や提灯が飾られて賑やかになるそうだ。
「コロナの影響で自粛が続いているので、そろそろできるといいですけどね」
「そういった光景も見れるといいですね」とお祭りについて話が弾んだ。
そんな話をして数ヶ月後、アルプの奥さんから電話があった。
「今度、当番が回ってきたのよ」
病気を患い通院されていると聞いていたが、指定された日にお店へ伺った。

「おはようございます」
挨拶をしてお店に入ると、奥さんはすでに月次祭の準備を進めていた。
今日は、自治会長さんにも声を掛けてくださったという。
きっと、連休のお祭りなども撮りたいと言っていたので、紹介の意味もあり声を掛けてくださったのだろう。
この日は、奥さんの体調を気遣う気持ちもあってか、会長さんとご近所さんが月次祭のお手伝いに加わり、三人で準備を進めていった。


提灯の並べ方や御供物の置き方を確認しながら準備は進められた

「榊は、いいものを使わないとすぐにヘタってしまいますね」
以前は御供物は個人で持っていたが、最近自治会で持つように変えたとのことだった
「私も、もちろん屋根神さまがあることは知っていました。でも、これまでは主に母がやっていたので、私はほとんど関わってこなかったんです。こういうことは、なるべく皆さんでやっていけるといいんですけど、今はなかなか難しいです」と会長さん。
現在、この屋根神さまがある清水の三南自治会は300戸ほどで、当番を回しているという。
当日が雨の場合は祭礼を行わず、道具だけを次に回すなど、自主性を重んじた運営になっているようだ。
気になっていたお祭りについては「残念ですが、今年もコロナの影響でやれないかもしれません。お祭り前の5月3日のお札の入れ替えは、例年やっていますけどね」と月次祭の準備を終えてから教えてもらえた。
夕方、祭礼を終えたあと、道具一式を町内にある会社の事務所まで運ぶというので、僕もアルプの奥さんを手伝った。
そこは近代的な建物で、僕たちは道具を中まで運び、邪魔にならない場所にそっと置いてきた。なんとも不思議な感じがした。

中央に熱田神宮のお札が納められている
「ちょっと残念ですが、今年もお祭りは自粛で中止になってしまいました」
その後、僕は二度にわたってお札の入れ替えに立ち会う機会を得た。この大切な役目は、自治会長さんや役員さんたちが中心となって担っていた。
梯子を屋根にかけ、雑巾で拭き掃除を済ませてから、真新しいお札が祠の三つの扉にそれぞれ丁寧に納められていった。

僕も登ってみたがかなりの高さだった。高い場所から町内を見守って欲しいという願いも込められているようだ
お札の入れ替えを終えたあと、長老が懐かしむように語ってくれた。
「昔は、このお札をもらいに、秋葉山の本宮までいったこともあるからね。あれはあれで楽しかったなあ」
しかし、新しい住民が増え、価値観が変わっていく中で、屋根神さまへの関心が薄れていくことに寂しさを感じているようだった。
「最近は、こういうことにもなかなか理解が得られなくなってきて、『町内で宗教をやるなんて』という意見も出るんだけど、本当は、屋根神さまは宗教じゃなく神さまなんだ。でも、もうそういうことも言えない時代になってきてしまった」
長年の信仰と変わりゆく地域社会。
その狭間で、役員さんたちが苦心しながらも屋根神さまを守ろうとしていることが伺えた。
翌年も、お札の入れ替えを見ることはできたが、やはりお祭りは見送られた。
一方、アルプはお店が開かない日が増えていた。
時には、ご近所さんの車に乗り合わせて通院をしていたようだが、会長さんは、特に民生委員でもあるので、気にかけて何度か様子を伺っていたようだ。
その会長さんから「体調が思わしくないようで心配している」と聞き、状況が深刻であることを知った。
地域を静かに見守り続ける会長さんの務めが、屋根神さまを通じて少しずつ浮かび上がってきた。
最後の日―稲置街道の屋根神さま

普段開くことがない扉を開け放った
季節は過ぎ、2023年の年末が近づいてきた頃のことだった。
その日、仕事を終え、ようやく一息ついていた僕に、会長さんから一本の電話が入った。
「実は、今日、屋根神さまは最後の月次祭だったのです。片付けを終えてから、これはお知らせしなければ、と思って電話しました」
聞けば、屋根神さまが祀られている建物の取り壊しがいよいよ現実のものとなり、この日をもって、長年続いてきた定期的な祭礼は終わりにするとのことだった。
年が明けた2024年1月。会長さんから再び連絡があり、1月14日に屋根神さまを閉じる儀式を行うことが決まったと告げられた。
「ここに神さまがいるので、廃社というわけにはいきませんから。近くの杉ノ宮神社にお移りいただくことになりました」と会長さんは説明してくれた。
そして、いよいよ最後の日が訪れた。

今日が最後なので提灯のビニールはつけなかった
当日は、道路事情なども考慮し、特に参加を呼びかけるようなことはしなかったそうだが、それでも十人ほど町内の人々が集まっていた。
宮司さんが祝詞をあげ、厳かな雰囲気の中で儀式が始まる。

今日は、儀式のために普段開くことのないガラスの扉を開けていた。
事前に、会長に梯子を支えてもらい、僕が慎重にガムテープで固定したのだ。
その時、梯子の上から屋根神さまが見守ってきた町の風景を目に焼き付けた。
稲置街道の風景が、そこには広がっていた。
町内の人々が一人ずつ、丁寧に玉串を捧げていった。
それからしばらくして、屋根神さまのあった場所は更地になった。
会長さんから、アルプの奥さんが静かに旅立たれたと知らされたのは、それから間もなくのことだった。
その年の春、お祭りの日。
仕事に向かう途中、気になって、かつて屋根神さまがあった場所を見に行った。
ちょうど、更地になった場所を子どもたちの元気な獅子舞が通り過ぎていった。

厳かな儀式を終えて、役員の皆さんと
屋根神さまに教えてもらったこと
稲置街道や西区城西で、何度も見上げた屋根の上の祠。
なぜ、わざわざ手の届きにくい場所にあるのだろうかと、ずっと不思議に思っていました。
どうして、これほどの手間をかけるのか。その疑問は、やがて先人たちの知恵という答えにたどり着きました。
梯子をかけ、誰かの手を借りなければお供えもできない場所だからこそ、人は自然と助け合う。そんなふうに、人のつながりや協力の大切さを、暮らしの中で感じてきたのだと思います。
一見非効率に見えるその手間が、世代を超えて人々を結び、コミュニティを静かに育んできたのでしょう。
そう考えると、あの稲置街道の長老の言葉が、より深く胸に響きます。
「宗教」という枠ではなく、日々の暮らしに息づく、もっと身近な神さま。
それは立派な社殿に鎮座するのではなく、自分たちのまちを大切にし、隣人と支え合って生きる人々の清らかな心に宿っているのだと、今は思えます。
町内や地域のつながりが少しずつ薄れていくこの時代。
便利さや効率ばかりを追い求めるうちに、私たちは大事な何かを置き忘れてきたのかもしれません。
名古屋の片隅で、ひっそりとたたずむ屋根神さま。その姿を見上げながら思いました。
世界の大きな出来事に心奪われがちな日々のなかで、すぐそばにいる誰かをふと気にかけてみること。
それは、きっと幸せに近づく一歩なのだと思います。
この記事のもくじ
こうして受け取った記憶が、いつかまた、どこかで誰かの祈りとなりますように。
屋根神さまと皆さまへ

今回、屋根神さまを巡る取材を通して、西区栄生、千種区覚王山、西区城西、そして北区清水をはじめ、各地で本当に多くの方にお世話になりました。
突然訪れたにも関わらず、快くお話を聞かせてくださり、撮影にご協力いただいた皆さまに心から感謝申し上げます。アルプの奥さまには、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
屋根神さまを撮影するにあたって山地英樹著『なごやの屋根神さま』を参考にさせていただきました。また、屋根神さまに惹かれるきっかけとなり、長年にわたり貴重な記録を撮り続けてこられた「屋根さん」こと森実さんに深い敬意を表します。
ちなみに、本文では「屋根神さま」という呼称を用いましたが、これは比較的新しい呼び名だと言われています。
隣接する岐阜県の一部地域では親しみを込めて「秋葉さん」などと呼ばれているのを実際に聞いています。また、屋根の上に祀られる理由としては、土地の確保の難しさ以外に、かつて水害からお社を守るために高い場所へ移されたという説もあるようです。
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創作大賞2025入選作を含む『未来に手紙を出す旅』シリーズは、撮影済みの記録を随時更新しながら、ひとつのページにまとめています。
👤 撮影者プロフィール・お問い合わせ
ふだん商業カメラマンとして働きながら、
「だれかの記憶をそっと残すこと」を、自分なりの仕事として続けています。
皇室行事の撮影を経験したのち、
“未来の当たり前にしたいこと”では、社員に読ませたい記事として SHARPさまにも選出いただきました。
なぜ今もカメラを提げて走り続けているのか。
その理由と、これまでの記録、撮影のご依頼については、以下のプロフィールにまとめています。
