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東日本大震災復興手伝い記 ③仙台経由女川行き、その寒さに慄く

前回 東日本大震災復興手伝い記 ②出発前の支度で大騒動


まずは仙台入り

新幹線を乗り継いで

 2012年1月当時、仙台空港は既に大部分復旧していた(2012年7月で全路線が復旧したとのこと。Wikipediaより)。
 ただ私はこれまで飛行機をほとんど使ったことがない。
 初めての地に向かうのに慣れぬことはすべきでない、と新幹線乗り継ぎで仙台まで向かった。

 初めて乗る東北新幹線、しかしウキウキした気分にはとてもなれなかった。観光旅行じゃないんだから。
 「仕事」のプレッシャーで一杯だった。
 乗り心地がどんなだったとか、本当に覚えていない。
 写真も残っていない。
 撮るほどの精神的余裕もなかったのだろう。

写真について(本題から逸れます)

 ちなみに、自分のパソコンフォルダを見返したのだが、この頃の写真は一枚もない。
 女川入りしても写真は一切撮っていない。
 「観光旅行ではなくビジネスで来たのだ」という意識と、
 「被災地は決して見世物なんかではない」という意識が自制をかけていたのだろう。

 見出し画像を設定してみませんか? なる表示が、今書いている編集中のNOTE記事にも上がっている。
 しかし適切な画像が無いのでそのままにしている。
 当時の被災写真を見出しに使って一体どうしようというのか? 少々悪趣味に過ぎるからだ。

 昨今(2025年4月現在)能登の被災地写真をSNSに上げて政権批判や万博批判をする人がいるが、あの人達は被災地に対する慮りは果たしてあるのだろうか?

やはり寒さに震える

 そんなこんなで一度仙台に入り、仙台で一泊。
 仙台に降り立った時はやっぱり寒かった。
 自分が予想していない寒さ。頬がピリピリする。

 仙台は道路のそこここに雪が積みあげられている。
 雪のほとんど積もらない地域で育った者にとっては驚きの世界だった。

 そして寒い。
 吐く息が白いだなんて、本当に関西では起きない事柄なのだ。
 手袋を買っておいてよかった。ダウンジャケットも。
 過剰なんじゃないかと思うぐらいの準備で正解だった。

 ひっくり返らないように注意しながら歩く。
 路面がカチカチに雪で凍っている。
 スーツケースを引き摺って投宿した。

仙台から女川へ

石巻への高速バス

 翌朝。
 またスーツケースを引き摺り、一歩一歩踏みしめるようにして仙台駅前のバスターミナルへ向かう。
 鉄道が完全復旧していないので、仙台から石巻に向かうバスに乗って移動することにした。
 高速道路を使って移動、石巻に到着するとまた女川に向けて乗り換える。
 ルート確認の上、まずは乗り込んだ。

 人々の言葉が違う。
 普段聞き慣れた関西のイントネーションではない。
 自分がアウェーにいることを理屈ではなく肌で(耳で?)感じる。

 仙台市街からすぐに高速道路に入る。高速道路は基本的に全国どこも同じ光景、特にどうということもなかった。

石巻市内

 しかしインタ-チェンジを降りて石巻の市街に入ると、その様相の違いに自分の気分がどんどん沈んでいった。
 石巻は、仙台市街中心部とは異なる顔があった。

 移動中のバスから見る景色が違う。
 たしかに、車道も歩道もきちんと整備され何の支障もない。
 車も複数走っているし、通行人だっている。
 しかし、石巻市街だけでも空き地が非常に目立つ。

 いや、空き地ならまだいい方。コンクリートの土台だけが残され、建物の存在がかろうじてわかるものが、そこかしこに。
 とにかく空き店舗ばかり。扉が破壊され向こう側が見える店舗も珍しくない。
 店の看板もない。ショーウィンドーの中は空っぽ。ガラス部分がない。そして変に汚れている。

 要するに全部津波で流されたのだ。

 ああ、こういう現場へ今から向かうのだなあ。
 いつもなら、バスの中ですることがないから、それこそタブレットでも出してSNSを時間潰しで眺めているのだろう。もしくは何か本でも出すか。
 しかし今回ばかりはさすがにそんな気にもなれず、ただぼうっとバスの窓から外を眺めていた。
 テレビやら新聞やらネットやらで見るものと、実際に直接見るものとでは、窓越しであっても明らかに異なるものだった。

JRの代行バス

 石巻駅に到着。
 本来なら、石巻駅から女川向けの鉄道がある。
 しかし2012年1月当時は津波のせいで鉄道が使えない。代行バスが出ていた。
 駅舎には入らず、ターミナルに停まっているバスに乗り込む。
 他の乗客にくっついて移動したので、それほど困らずに済んだ。 

 窓の向こう、道路の脇は延々と雪原が広がる。
 ああ、田圃だ。稲を刈り取った後の田圃に雪が厚く降り積もって、一面が雪原のように見えるのだ。

 山あいを抜けると、今度は右手に海が広がる。
 筏がいくつかある。帆立や牡蠣の養殖筏だ。
 道路脇のコンクリートフェンスの向こうには、その貝殻がうず高く積みあげられている。
 加工・出荷の際に出たものなのだろう。
 いずれも私にとっては非常に珍しい景色だった。

雪道にとまどう

 終点・女川駅の一つ手前、浦宿(うらしゅく)駅に到着。
 雪のちらつく中、女川第一小学校へと向かう。

 東に向かって歩く。
 片側一車線の車道、歩道は北側だけ。南側は小高くなっている。後で聞いたところによるとこれは線路だ。現在津波被害で動けない状態。

 雪でスーツケースがうまく動かせない。
 えっちらおっちら引き摺って歩いていく。

 この周囲も空き地が目立つ。
 車道はちゃんと雪がのけられ、車が走れるようになっている。
 その掻き分けた雪は全部歩道側に寄せているので、正直非常に歩きにくい。  雪混じりの水たまり。結構深い。車道に出て歩くしかなかった。
 さすがに車の方も事情を理解してくれて、少し待ったりしてくれた。
 どうもすいません。

 やっと女川第一小学校に到着。
 グラウンド中が仮設住宅のプレハブで埋め尽くされていた。
 正面玄関は生徒出入り口。
 私は指定された裏口側玄関の方へ回っていった。


続き 東日本大震災復興手伝い記 ④授業初日は自分の力量を思い知らされる

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