東日本大震災復興手伝い記 ②出発前の支度で大騒動
事前のやりとり
宮城・女川へ向かうことが決まったら、今度はカタリバさんから色々とデータを送信してくださった。

女川へ行くための交通手段。
それから女川の現状、ボランティアとしての心構え。
一式読んでいく。
心構え
特に大事なのが、
「女川向学館 ボランティアスタッフ説明資料」
資料表題が「ボランティア虎の巻」となっているものだ。
心構えに関する注意が多い。
ボランティアには、真剣な態度が求められます
ジャージ、ミニスカート、破れたジーンズは不可
節度をわきまえた行動を心がけてください
再三再四書かれている。
観光旅行か何かのようなノリでやってきて現地の方々と揉めるケースが少なからずあったのだろう。
神経を尖らせていることがよくわかった。
実際そういう輩が多いことは、関西でも報道で色々と見聞きしていた。
それゆえに道具を揃える際も、とにかく現地の負担がかからないことを念頭にすることになった。
私の役目
その他、細部についてメールでやりとりする。
今回どうも私のポジションは特殊なもののようだった。
説明資料を読む限り、募集しているボランティアの役割は
自習監督
授業サポート
運営補助 の三点。
特定教科の専門的指導は最初から予定されていないみたいだ。
だから私のようなのは少し変わった立ち位置にあった。
通常は英語と数学、ときおり理科と社会というカリキュラムだった。
その合間を縫うように特別講義で国語を入れていくことになった。
月曜から金曜の5回。6日目の土曜日は自習の日なので質問対応をする。
こうなると何を伝えるべきなのか、授業内容を決めねばならない。
もうひとつ、要望を頂戴した。
「公立高校受験の前に、併願の私学として仙台育英を受験する。 その対策も一緒にお願いできないでしょうか」
ただ、仙台育英、どんな学校なのか? 関西では過去問集を売っていない。
だから現地で見せていただいて、その上で解説を作ることになった。
授業準備
5日間の授業内容のイメージも大体出来上がった。
一般的な授業の方式では追いつかない。
最初から最後まで板書して、それをノートに書いてもらっていたら、時間が足りない。
書き込み式のレジュメを用意した。

5回分の特別講義を依頼されたのだ。何かふんわりしたお手伝いではない。ガチものの業務を求められている。
「これ、仕事や」
いい加減なものを提供する訳にはいかなかった。

要点部分だけ、わざと空白欄にし、その中に書き込んでもらう。
事前に大体の形式を作り、ノートパソコンに保管。
当然パソコン一式は女川へ持っていくことになった。
持っていくもの
授業プランは仕上がった。
今度は道具を揃えねばならない。これが意外に大変だった。
実は私、寒いのが苦手で未だにスキーも行ったことがない。
東北方面も福島に1回だけ、そこから北へは一度も足を踏み入れたことはなかったのだ。
1月末の東北。今いる関西のノリで中途半端な格好で向かうととんでもないことになるだろう。
色々と買い込んでいく必要があったのだ。
寒さ対策
まず服装そのものを考えねばならなかった。
そもそも関西で暮らしていたから、どのくらいの寒さなのか見当もつかない。
そしてラフな格好は許されない。
まがりなりにも授業をしにいくのだから、まさかジーンズにパーカーなんてわけにはいかない。
最低限スラックスとシャツ、ネクタイ、セーターぐらいは用意しなくてはならないだろう。
それでも非常に寒いのだろうと思い、肌着を倍に増やすことにした。
二枚重ねにするのだ。
電気毛布も購入した。就寝時の寒さで体調を崩すようでは本末転倒だから。
手袋もしっかりしたものを購入。
ダウンジャケットも購入する。もちろん店員さんに「スキー場でも使えるものを」と相談の上で。
結構いい値段がしたが、実際現地入りすると非常にいい買い物をしたことになった。
洗濯と現地での買い足し
さらにもう1つ事情があった。
被災地だから水事情が決してよくない可能性もある。
洗濯ができない前提で臨む必要があった。
出発前で現地の事情を全く把握していないことから、着いた先で買い揃えることも除外した方がいい。
だから滞在する7日分の衣服を用意する必要があった。
シャツは授業と質問対応をする6日分。
スラックスはさすがに……3日ごとに交換でよいか?
それからタオルにバスタオルもいる。それぞれ予備を用意した。
勉強の道具
上述した仙台育英もそうだが、宮城県の公立高校過去問もこちら関西では売っていなかった。
もうこれは現地で見せていただく他ない。
ぶっつけ本番になるが、その上で対策を練るほかあるまい。
それからノートパソコン。
授業で使う指示棒、扇子、ハンコ(何を持ってくんだと言われそうですけど私の「芸風」なんです)。
スニーカー
意外だったのが、上履きとなるスニーカーの要請である。
余震があり、いつ何時また避難しなくてはならないかもしれないからとのこと。
(まだ揺れるの!?)が正直な感想だった。被災地にいない人間ってこの程度の認識しかない。これは現地で自分の浅慮を恥じることになった。
結局、スーツケースに詰め込めるだけ詰め込み、普段使いの鞄と一緒に女川へ向かうこととなった。
