多様
超・集中虫歯治療ゾーンが完結し、定期検診ゾーンへと移行した。平日の昼間に通い放題な状況なんて、今後そうそうないかもしれない。そう思って一気に治したけど、次の検診まで無職だったらどうしようかな。笑ってください。
これでさらに平日の用事が減ったことで、さらなる暇パワーを手に入れた。こんなに暇でどうしましょう。いや、やるべきことはあるんだけどね。
まずは友達の赤ん坊を撮った写真を現像しなくてはいけない。可愛すぎて進まない。Lightroomに取り込んだところで止まっている。週末にスタジオでコピーする予定の曲を練習しないといけない。難しそうで手をつけられない。歌詞のドキュメントまでは作って満足してしまった。
怠惰、極まれり。
関係ないけど、読んだ本の感想を書きます。
フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』7月 (NHKテキスト)
西研
「多様性」という言葉が、いつしか「みんなそれぞれ、バラバラでいい」という意味にすり替えられ、共通理解をつくることを軽んじたり、諦めたりするような風潮もあります。しかし、いまのままでは世界は立ち行かなくなるということにも、私たちは気づき始めている。
いざ無職になってみて友達との集まりに行くと、当然ながら自分以外はみんな会社員だったりする。多様性という言葉の意味を腹の底で実感できるタイミングだからこそ、異様にピンとくる。属性を切り分けたうえで「みんな違ってみんな良い」と言うと聞こえはいいが、思考停止の言い訳にもなりかねない。
客観主義・相対主義のその先、という意味で現象学を勉強するのは大事っぽい。学問としての歴史のうえでの立ち位置が少しクリアになった気がする。文体や想定読者の違いもあれど、以前に入門本を読んだ際からイメージがだいぶ更新された。(p.67-68, 79)
「世界信念」または「世界確信」という概念も、著者による「実存的態度」と「客観的態度」という言い換えを踏まえて徐々にしっくりきた。世界の見方・視点についてはフッサール自身の考えではないとのことだが、論理の整理には非常に役立つポイントだと思う。(p.85-86, 93)
ここを乗り越えられると、一気に現象学的な学問の捉え方がインストールしやすくなる。少し長いけど引用します。
学問がなんらかの観点や必要(問題意識といってもいいでしょう)から生まれてくることは、哲学や社会科学などの場合にはより明白になります。それらは、①生活世界におけるなんらかの困難や課題から出発し、②それを「なぜ?」「どうして?」という問いのかたちにし、③さらにさまざまな角度から検討して答えを導き出し、④その結果を生活世界に還元するもの、といえます。そのさい、問題意識や問いの立て方によって、どういうものがエビデンス(共有条件)として必要かが決まってくるでしょう。ですから、学問ごと、あるいは同じ学問でも問題ごとに共有条件を明らかにし、整えるという課題が生まれてくることになります。「客観主義でも相対主義でもない」学問のあり方を、現象学は提唱しているのです。
これを基に「本質観取」の重要性を謳っていたのかと膝を打った。まったく掴めていなかった「他者(の)体験」に関する洞察も解像度が上がってきて、さらに本質観取的な哲学対話の価値も見えてきた。(p.101, 108)
そして、多様性の話にも戻ってくる。本質観取の作業によって「いろいろな人と互いの意識体験を語り合って共通するものは何かを考える」ことを通じて、その中で副次的に差異やズレもあらわになる。これを認め合うことも、一つの多様性の在り方なのかもしれない。
真理なるものが確実に存在していて、それに必ずタッチできるのだと妄信してはいけない。真理と思われるようなことを合意形成したうえで、それに基づいて行動しているのだというメタ認知を共有し、その中で(カント的な)善や(スピノザ的な、コナトゥスを高める)快を求めて活動していくという視点。
勢いで書いてみたけど、全然間違えているかも。やることはあるので、このへんで。逃げろっ!
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