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本質

伝授! 哲学の極意: 本質から考えるとはどういうことか (河出新書)
竹田青嗣,苫野一徳

哲学は原理をリレーしてできるだけ普遍的な世界説明を作り出すといいました。これに対して、宗教は「物語」(神話)で世界を説明します。

p.17-18

哲学(特に西洋哲学)の傍らには必ず政治と宗教がある。哲学と宗教はともに世界を説明する体系ということで混同しがちだが、その違いの言語化として一つの答えだと思われる。

「一つの」と但し書きしたくなったのには理由がある。語り手のお二方はこの前提を強固に引き継いだうえで、はっきりと「事実学」(あるいは相対主義・懐疑主義)と「本質学」を切り分け、人間を主題とする場合に前者は否定されるべきと述べている。要するに、私が最近読んできたスピノザ的な世界観に対して、ズバッと鋭く否定しているのだ。

哲学的には、心の認識と事物の認識を一元化しようとする試みは近代のはじめからあって、身心一元論と呼ばれている。(中略)でもこのアイデアは、どこまでも事実学であり、人間を主題とする場所では原理的に成功しません。意味や価値、関係の領域を普遍的な仕方で認識する方法を出しているのは、いまのところ現象学の本質学の方法だけです。

p.31

この考え方自体を疑っているのではなく、「本質学」なる現象学を勉強していない私には判断ができないために立ち止まった。まずこういう切り分け方があるということを理解したこと、どんな哲学体系がプロットでき得るのか(少なくともこのお二方の知見をお借りして)知ったこと、そして「本質観取」の重要性という一つの帰着が得られること。ここでいったん立ち止まっておこう。(p.225-226)
読書中は直感的にそう思ったまでだったが、読書メモを見直すと、本書の中でもこの私の直感を補強できる箇所があった。なんというか、ものすごく不思議なバランス感の対談本だ…。

だから哲学や思想の問題でまず大事なのは、自分がたまたま出会った二枚目の世界像をいかに検証できるか、つぎに重要なのは、必ず生じる信念対立をどう克服できるか、ということです。
ラフにいうと、三枚目の世界像が必要なんですね。三枚目の世界像は、それぞれの人間がさまざまな世界像を受け入れ、暗黙の念としてそれを生きるということ、そしてそれらはみな等価だという自覚ですね。

p.121-122

ということで、素直な気持ちで、真っ直ぐな眼差しでこの後の議論を読んでいく。

現代・未来の社会について考えるうえで、資本主義なるものと対峙する。その本質を洞察し、どうデザインすべきか検討していく。(p.164)

(資本主義とは何か)
第一に、資本主義はそれまでの経済システムとまったく違った、近代社会に固有の経済だということ。
第二に、資本主義は生産力を持続的に拡大していく経済システムだということ。
第三に、その生産力拡大の根本構造を、普遍交換-普遍分業-普遍消費という構図で示せることです。

p.156-157

資本主義とは、第一に、歴史上はじめて現われた、持続的に生産力(成長)を拡大する経済のシステムであること。ここからもう一つ重要なことが現われます。つまり、資本主義は、やはりはじめて現われた、国家どうしの共栄の可能性をもつ経済だということです。この二つがいちばん大事な点です。

p.160

このあたりまではなんとなくついていけた。コテンラジオ『お金の歴史』『資本主義の歴史』を2,3周くらい聞いておいてよかった。流し聞きでは理解できずに何度も聞いたが、それでも手強い。お金って難しい。

レントシーキング、プルートクラシー、オリガーキーなど現代資本主義に関するワードは目にしたことがあるが、よくわからない。どうしてこの構造が成り立ったのか、ピンときていない。哲学だけでなく歴史、政治、経済、社会といったあらゆる学問で研究されているはずだが、今この瞬間の出来事だからこそまとまった理論体系が存在せず、大枠を掴むのが難しい。(p.194)

やはり現代・未来の資本主義を理解する前提として、古典にも触れる必要があるんだろうな。買ってはあるけど積読の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。いやー、だって難しそうなんだもの。まずタイトルが長い。迫力十分の分厚い岩波文庫。少々お待ちを…。(p.164)

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