社会派サイエンスフィクション史/第9回:内面社会転回期
著書は電子書籍として公開しております。読んでいただけると大変ありがたいです。Xもやっているのでフォローしていただけるととっても嬉しいです。
■ 概要
「内面社会転回期」(1960年代から1970年代を中心に、後年の隣接作品にも継承される潮流)とは、SFの焦点が外部宇宙、巨大技術、国家制度から、意識、記憶、身体、言語、性、精神医療、トラウマ、他者との境界へ移った時期である。
冷戦技術倫理期が組織化された技術の暴走を問うたのに対し、この時期には、社会や技術が人間の内面をどのように作り、治療し、読解し、破損させるのかが中心になる。
外部の支配は、治療、矯正、共感、読解、補完といった形で主体の内部へ入り込む。
この期に変わったのは、SFが社会を巨大な構造として眺めるだけでなく、主体そのものを社会的・技術的に構成される場として扱った点である。
人間は安定した理性の持ち主というより、記憶、言語、身体、性別、医療体制、トラウマ、他者との距離によって揺れ動く存在として現れる。
治療や共感や補完の名で内面へ介入する力と、断片的で不安定な主体がそれに抵抗する力との緊張が、この期の作品を貫いている。
同じ時代の思想環境では、R・D・レインの反精神医学、ミシェル・フーコーの権力分析、ヘルベルト・マルクーゼの欲望と管理社会批判、ジャック・デリダの脱構築、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの欲望機械論、第二波フェミニズムの主体批判が響く。
内面は私的領域というより、診断、言語、家族、性、欲望の配置によって作られる場として捉え直された。
■ 1. 技術 ― 内面へ介入する装置
この期の技術は、機械や兵器として外部に存在するだけでなく、脳、夢、行動、感情、知覚へ入り込む。
『時計じかけのオレンジ』のルドヴィコ療法は、暴力衝動を取り除く治療として提示されるが、実際には選択する能力そのものを奪う。この技術は悪を除く装置であり、善を選ぶ主体を壊す装置にもなる。
『天のろくろ』では、夢を操作する治療が現実を改変する。善意ある介入は、社会全体の問題を解決しようとするほど、別の歪みを生み出す。
『ターミナル・マン』では、脳への埋め込み装置が暴力を抑えるはずが、身体と責任の境界を曖昧にする。
このため、内面へ接続する技術は、人間を治療可能にする一方で、行動の責任を誰が負うのかを不安定にする。
フーコーが精神医学や刑罰を、人間を正常化する統治制度として読んだことは、この技術観と重なる。
治療技術は、苦痛を軽くする力でありながら、どの行動を病理と呼ぶかを決める権力でもある。技術が脳や夢や感情へ届くほど、問いは「効くか」から「誰の基準で正常化するのか」へ移る。
『新世紀エヴァンゲリオン』では、巨大兵器との同期、補完計画、トラウマの可視化が、技術と内面の結合として扱われる。
『エターナル・サンシャイン』の記憶消去や、今敏『パプリカ』の夢解析も、後年の作品でありながら、内面を治療し、編集し、侵入可能な領域にする問題系を引き継いでいる。
この期の技術は、社会を制御するだけでなく、主体の内部を直接の作業場に変えた。
■ 2. 自由 ― 意志と治療の境界
自由はこの期において、治療、教育、矯正、補完による介入をどこまで許すのかが試される。
『時計じかけのオレンジ』では、主人公の暴力性は明らかに社会的な問題である。しかし、それを条件づけによって取り除いたとき、彼は善を選ぶ存在ではない。
彼は、悪を実行できない存在になる。自由は、正しい行動の結果だけで測れず、選択の可能性に支えられている。
『時間の果ての女』では、精神医療制度が貧困、ジェンダー、人種、階級と絡み、誰が正常とされるのかを決める。治療は助けでありながら、社会に合わない者を沈黙させる手段にもなる。
とはいえ、自由は病気を放置することを意味しない。本人の語りを奪って支配の言葉だけで解釈するなら、治療は支配に近づく。
レインの反精神医学は、狂気を単なる脳内の故障としてより、家族や社会関係の中で生じる意味の危機として捉えた。
マルクーゼにとっても、欲望を合理化された社会へ適合させることは解放を意味しない。内面社会転回期の自由は、管理側が望む正常さへ戻される自由というより、自分の苦痛や欲望を他者の言語だけで奪われない自由として現れる。
『新世紀エヴァンゲリオン』における自由は、他者と隔てられた苦痛を受け入れる自由でもある。補完によって傷つかない一体性が得られるとしても、それは個別の身体と内面を持つことを手放すことを意味する。
内面社会転回期の自由は、完全な自律や孤立を意味せず、傷つきうる主体として選び、語り、拒む条件を指している。
■ 3. 正義 ― 正常性・ジェンダー・未来の分配
正義については、この期に正常性の基準そのものが問題化される。
『フィメール・マン』は、複数の社会条件を横断し、女性性、怒り、暴力、解放を一つの普遍的規範に閉じ込めない。
正義は、既存社会に女性を参加させることだけでなく、性別役割を作っている社会構造そのものを変えることとして考えられる。
『時間の果ての女』は、精神医療、貧困、ジェンダー、未来社会を結びつける。誰が未来を想像できるのか、誰の語りが妄想として処理されるのかが焦点になる。
正義は、資源の配分だけでなく、未来を語る権利の配分でもある。社会的に弱い立場の人間が語る別の未来は、制度によってしばしば病理化される。
第二波フェミニズムは、私的領域とされてきた性、家族、身体、暴力を政治の問題として読み替えた。ジョアンナ・ラスやマージ・ピアシーの想像力は、この思想的環境と深く関わる。
正義は、公的枠組みへの参加だけでなく、性別役割や生殖、ケア、怒り、語りの形式が誰に有利に作られているのかを問題にする。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、人間とアンドロイドを分ける基準として共感が置かれるが、その共感もまた社会的に管理され、消費や宗教的実践と結びつく。
誰を共感の対象に含めるのかは、正義の核心である。この期の正義は、正常な人間、正しい性別、共感に値する存在、未来を語れる主体の境界を問い直した。
■ 4. 支配 ― 治療・読解・都市の不安定化
支配はこの期に、全体主義国家や軍事システムの形から、治療、読解、分類、精神医学、都市環境の形へ移る。
『時計じかけのオレンジ』の支配は、治安のための治療として現れる。
国家は暴力を罰するだけでなく、暴力への欲望を身体反応として操作する。これは自由の内部に入り込む支配である。
『ダルグレン』では、都市そのものが読解困難な空間として現れる。崩壊した都市では、記憶、性、言語、共同体が安定しない。
支配は明確な命令としてより、意味の不安定さ、記録の断片化、社会秩序の読みにくさとして体験される。それは、支配が見えないときに人間がどのように自己を保つのかを問題にする。
『ターミナル・マン』や『天のろくろ』では、専門家が患者を読解し、介入する。しかし、患者の内面を理解しているという確信は、しばしば新しい支配になる。
内面社会転回期の支配は、外部からの命令よりも、「あなたのため」「社会のため」「正常化のため」という名で本人の内面を翻訳する力として働く。
■ 5. 人間観 ― 共感・記憶・身体・言語
人間観の面で、この期は、人間らしさの基準を大きく揺さぶった。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、共感が人間とアンドロイドを分ける条件とされるが、記憶、身体、消費、宗教的経験が複雑に絡み、単純な境界は保てない。
人間は生物学的に人間であるだけでは足りず、他者との関係をどのように感じるかによって測られる。
『ダルグレン』では、人格は記憶や言語の連続性を失いながらも、身体、欲望、書くこと、他者との出会いによって仮に保たれる。
『フィメール・マン』では、複数の女性主体が並置されることで、単一の女性像や人間像が崩れる。
『時間の果ての女』では、未来社会の人間観が、親族、ケア、性別、精神医療の別様の配置によって組み立てられる。
『新世紀エヴァンゲリオン』では、人間とは他者と完全には溶け合えない存在として位置づけられる。孤独は苦痛だが、境界があるからこそ関係も成立する。
『エターナル・サンシャイン』は記憶の喪失が自己をどう変えるかを扱い、『パプリカ』は夢と仮面の分裂から統一された自我の不安定さを露出させる。
内面社会転回期の人間観は、人間を安定した理性の主体というより、共感、記憶、言語、身体、トラウマ、他者との距離によって絶えず作られる存在として捉えている。
■ 6. 治療される主体 vs 抵抗する主体
この期の中心的対立は、治療される主体と抵抗する主体である。治療される主体は、社会に適応するため、暴力や苦痛や混乱を取り除かれる。
精神医療、神経技術、夢の操作、補完の発想には、人間の苦痛を軽くしたいという実際の願いも含まれている。
しかし、抵抗する主体は、苦痛や混乱を単に除去すべき欠陥とは見なさない。暴力は肯定できないが、選択能力を失った善は自由を失っている。
トラウマは癒やされるべきだが、本人の境界を消すことは救済とは限らない。内面社会転回期の作品は、社会が「正常な人間」を作ろうとするとき、そこから外れる声や身体や記憶がどのように抵抗するかを扱った。
内面への関心は、社会問題からの撤退を意味しない。フーコーが論じたように、社会は監獄や病院の壁だけでなく、正常/異常の分類、語れることと語れないことの境界としても働く。
デリダの脱構築は、主体や意味の安定性を疑い、ドゥルーズ=ガタリは欲望を個人心理に閉じず社会的な流れとして捉えた。
内面社会転回期の主体は、この思想的環境の中で、壊れやすく、分裂し、しかし別様に組み替えられうる存在として現れる。
したがって、内面描写は、私小説的な心理描写にとどまらず、社会構造の読解として機能する。
主体が壊れる、分裂する、語れなくなる、他者と接触できなくなるという描写は、社会の枠組みや技術が人間の内部でどのように作動するかを明らかにする。
社会は法律や都市だけでなく、記憶、言葉、身体感覚の中にも存在する。その層を開いた点に、この期の独自性がある。
■ 締め
内面社会転回期は、SFが社会の枠組みや技術の外形から、人間の内面が作られる過程へ焦点を移した時期である。
自由、正義、支配、人間観は、意識、記憶、性、言語、治療、トラウマの問題として再定義された。
この転回は、情報資本支配期におけるネットワーク化された人格や、AI人間観再編期におけるデータ人格の問題を準備している。
次回:情報資本支配期
