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社会派サイエンスフィクション史/第10回:情報資本支配期

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■ 概要

「情報資本支配期」(1980年代から2000年代を中心とし、2010年代前半まで残響・拡張した流れ)とは、サイバーパンク、企業国家、ネットワーク、人工知能、仮想現実、身体改造、都市下層、監視、予測、現実認識の管理がSFの中心課題になった時期である。

産業や軍事の技術システムに代わって、情報を集め、接続し、売買し、予測し、知覚や行動へ介入する基盤が社会を動かすようになる。ここでは、身体、都市、接続履歴、未来の行動が、処理可能なデータとして扱われる。

この期に変わったのは、支配の中心が国家の命令だけでなく、企業、データ、接続環境、知覚管理へ移った点である。

ネットワークは自由な移動や抵抗の場でありながら、基盤を所有する権力によって人格や現実認識を商品化する場にもなる。

情報資本支配期は、情報社会の利便性と支配性を同じ構造の中で捉える時期である。

思想的には、ジャン=フランソワ・リオタールの知識商品化論、ジャン・ボードリヤールのシミュレーション論、ジル・ドゥルーズの管理社会論、ダナ・ハラウェイのサイボーグ論、ポール・ヴィリリオの速度論、マニュエル・カステルのネットワーク社会論が背景になる。

知識は情報商品となり、現実はシミュレーションに覆われ、身体は機械・情報・企業体制と混成する。

■ 1. 技術 ― ネットワーク化する社会基盤

この期の技術は、社会の外側にある機械ではなく、生活、身体、意識、労働、治安、娯楽をつなぐネットワーク基盤として現れる。

『ニューロマンサー』のサイバースペースは、自由な移動の場でありながら、企業情報とAIの権力が集中する場所である。

『攻殻機動隊』では、電脳化と義体化によって身体と情報が分離可能になり、人格の所在が技術的な問題になる。

『マトリックス』では、現実認識そのものが情報環境によって構築される。

『serial experiments lain』では、ネットワークと現実の境界が崩れ、人格が接続環境の中で再編される。

『電脳コイル』は拡張現実を子どもの日常と記憶の環境として扱い、情報層が現実に重なることで感情や喪失の経験も変化することを明らかにする。

さらに、『マイノリティ・リポート』の予測技術や『インセプション』の欲望操作は、未来の行動や意志決定さえも技術的にアクセス可能な情報空間として扱う。

この期の技術は、接続する、記録する、予測する、遠隔化する、共有するという操作を通じて、社会基盤と認識基盤をまとめて変えた。

リオタールが知識を情報処理と交換価値の問題として捉えたように、ここでの技術は真理を保存するだけでなく、知識を流通可能な資本へ変える。

ボードリヤールのシミュレーション論に即せば、『マトリックス』や『lain』の現実は、偽物と本物の単純な対立ではなく、記号環境が現実経験を作る状態として読める。

■ 2. 自由 ― 接続と切断の条件

自由はこの期に、接続できることと切断できることの両方に関わる。サイバースペースやメタバースは、身体的制約や国家の境界を越える自由を与えるように見える。

『スノウ・クラッシュ』では、民営化された都市と仮想空間が、国家に代わる自由市場のように現れる。しかし、その空間は企業や言語ウイルスやアクセス権に支配されている。接続の自由は、誰が基盤を所有しているかによって制限される。

『リトル・ブラザー』では、暗号化やネットワーク技術が監視国家に対抗する自由の条件になる。情報技術は支配の道具でありながら、抵抗の道具でもある。

自由は単にインターネットへ接続することに収まらず、監視されずに通信し、匿名性を保ち、権力のログから逃れる条件として現れる。

一方、『インセプション』では、自由は欲望や意志決定の不可侵性として問題になる。本人が自分の意志だと思っている考えが他者に植えつけられたなら、それは自由な選択なのか。

この期の自由は、ネットワークへのアクセスだけでなく、切断、匿名性、沈黙、認識の境界をめぐる権利として拡張された。

ドゥルーズが「規律社会」から「管理社会」への移行を語ったように、自由は閉じた施設から出ることだけでは測れなくなる。

パスワード、信用、ログ、スコア、アクセス権が行動を細かく調整する社会では、人は自由に動いているように見えながら、接続条件によって絶えず制御される。切断できることは、接続できることと同じくらい重い自由になる。

■ 3. 正義 ― アクセスと身体の配分

正義はこの期に、情報へのアクセス、身体改造、都市空間、治安技術の配分をめぐって現れる。

『ブレードランナー』のレプリカントは、高度な身体と感情を持ちながら、寿命を制限され、商品として扱われる。

人間らしさを持つ存在が、資本によって作られたという理由で権利の外に置かれるとき、正義は生物学的な人間という基準だけでは測れない。

『ロボコップ』では、企業が警察と身体を所有する。治安を守るためのサイボーグ化は、労働者の身体と記憶を企業資産へ変える。

『AKIRA』では、国家実験、都市暴力、若者、超能力が結びつき、技術開発の負荷が周縁化された身体に押しつけられる。

正義は、誰が実験され、誰が都市の危険を負い、誰が成果を享受するのかという配分の問題になる。

『マイノリティ・リポート』では、犯罪予測によって未来の可能性が司法判断に変換される。安全を得る者と、予測によって先に拘束される者が分かれる。

情報資本支配期の正義は、情報にアクセスできるかだけでなく、情報として扱われる身体や未来が、どのような権利を持つのかを問題にする。

■ 4. 支配 ― 企業・国家・現実認識の管理

支配はこの期に、企業、国家、プラットフォーム、軍事、メディアが複合した形で現れる。

『ニューロマンサー』では企業が国家を上回る力を持ち、情報と身体を雇用や犯罪のネットワークへ組み込む。

『ロボコップ』や『ザ・サークル』では、治安や透明性や共有という善の言葉が、企業支配を拡大する名目になる。

『マトリックス』は、支配を現実認識の管理として極端化した。人間は拘束されているだけでなく、自分が見ている現実を信じるように作られている。

『インセプション』では、欲望の層まで侵入可能になる。支配は外部からの命令ではなく、本人が自分の考えだと思うものを設計する形へ進む。

『Daemon』や『サロゲート』では、自律プログラムや代理身体が社会の制御を変える。

支配主体は一人の独裁者ではなく、ネットワーク化した手続き、企業契約、身体の遠隔化、アルゴリズムの継続性として現れる。

この期の支配は、目に見える権力者よりも、基盤を所有し、接続条件を決め、現実認識を媒介する制度的基盤に宿る。

■ 5. 人間観 ― 身体と情報の境界

人間観の面では、この期は、身体と情報の境界を根本から問い直した。

『ブレードランナー』では、記憶、感情、寿命が人間性の条件として問題になる。人工的に作られた記憶でも、それを持つ存在が苦痛や愛着を感じるなら、人間性はどこにあるのか。

『攻殻機動隊』では、ゴースト、義体、電脳が、人格の所在を身体から切り離して考えさせる。

『serial experiments lain』では、人格はネットワークへ拡張され、現実の身体だけでは捉えられなくなる。

『電脳コイル』では、情報上の存在や記憶が、子どもの感情形成に深く関わる。

『サロゲート』では代理身体が日常化し、生身の身体、老い、接触、責任の意味が曖昧になる。

『インセプション』では、欲望や意志決定が私的な内面ではなく、他者が設計できる空間として扱われる。人間は、身体、接続履歴、予測された未来、操作可能な認識の集合として扱われる。

この期の人間観は、人間を情報化できるという可能性と、情報化しても残る痛みや境界の問題を併せて扱った。

ハラウェイのサイボーグ論は、この人間観を同時代の思想として支える。人間/機械、自然/人工、男/女の境界は固定されず、主体は混成的に作られる。

『攻殻機動隊』や『ブレードランナー』の身体は、まさにこの境界の揺らぎを生きる。情報化は身体の消滅ではなく、身体が別の政治と所有関係の中へ置かれることを意味する。

■ 6. 企業ネットワーク vs 公共性

この期の中心的対立は、企業ネットワークと公共性である。企業ネットワークは、接続、利便性、娯楽、治安、効率を提供する。

その恩恵は大きく、個人はネットワークを通じて移動し、働き、記憶し、関係を結ぶ。しかし、その基盤が私企業や閉じた権力によって所有されると、自由も人格も市場の条件に従属する。

公共性は、国家がすべてを管理することではない。情報基盤、身体技術、予測技術、記憶技術が、人間の権利や関係を壊さないように開かれているかを問う視点である。

情報資本支配期の作品は、ネットワークを拒絶するのではなく、誰がその設計権を持ち、誰が排除され、誰がデータとして利用されるのかを問い続けた。

この対立を再考すると、情報資本支配期の特徴は、ネットワーク技術が社会の存在論そのものを変える点にある。

身体は生身の身体だけでなく、データ化された身体、遠隔操作される身体、代理身体、記憶の集合として扱われる。

現実は物理空間だけでなく、シミュレーション、拡張現実、夢、予測モデルを含む重層的な環境になる。

したがって問題は、技術を使うか使わないかという選択では解けない。

焦点は、接続条件、所有権、データの扱い、忘れる権利、匿名性、身体の不可侵性、予測への異議申し立てがどのように保証されるかにある。

ネットワークの中で人格が拡張されても、痛み、寿命、労働、貧困、監視の負荷はどこかの身体に残る。

情報空間は現実から切り離された仮想世界ではない。情報は都市、労働、身体、治安、記憶、夢に沈み込み、現実そのものを作る。

支配を読むには、画面の中だけでなく、接続された生活全体を見る必要がある。

■ 締め

情報資本支配期は、SFがネットワーク化した社会の自由と支配を集中的に扱った時期である。身体、記憶、夢、予測、現実認識が情報として扱われることで、人間観そのものが再編された。

この期の問いは、多元正義再編期では誰の身体や未来が排除されるのかという問題へ、AI人間観再編期では人格と判断を機械へ委ねる問題へ接続していく。


次回:多元正義再編期


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