#3【姉という恐怖―恨みと切り離し】幼い日の記憶②
前世の私は
きっと絵に描いたような
幸せな人生を送っていたのだろう
愛情深い両親に優しい姉
笑顔があふれる食卓
あまりにも平穏すぎて
次に生まれ変わるなら
少しは刺激のある人生をと──
そんなことを望んでしまったのかもしれない
もしそうだとしたら
今の私の人生は
その願いが叶いすぎてしまった結果だ
姉の話
姉とは5歳離れている
家族の中で最も嫌いな存在
毎日の食卓は苦痛でしかなかった
物心ついた頃から
一日中にらみつけられた
祖母達がいない時は
さらにその視線が強く鋭くなる
姉に一度でも優しくしてもらった記憶はなく
気がつけばいつも泣かされ
意地悪ばかりで
誰にも見えないところでは
腕や足をつねられていた

半世紀を過ぎた今もなお
私たちの関係は何ひとつ変わっていない
何かにつけて
私の人格を否定し
見下し馬鹿にし、嫌味を言う
彼女は、私が自分より常に低い位置にいることで
ようやく自分の形を維持している
誰かを踏み台にしなければ
自分という存在すら支えられない
可哀想な生き方
姉と会った翌日には
決まって高熱を出し私は寝込んでしまう
心と体は
こんなにも正直に繋がっているのだと思い知らされる
今この文章を書いているこの瞬間でさえ
この文章が姉に見つかるのではないかと
怯えている
もし見られたら
こんな顔で怒り狂うのでしょう

もう大人なのに
まだ少し怯えている自分がいる
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら
それでもどこかで見られている気がしてしまう
ただひとつ知りたかったことがある
なぜ姉はここまで意地悪をするのか
理解しようと思ったこともある
それでもどれだけ理由を探しても
私には納得がいかない
姉からLINEが来た日は
それだけで一日が憂鬱になり
胃薬、睡眠薬に頼ることもある

しかし、半世紀を過ぎた今
姉に余計なエネルギーばかり使ってはいられない
聞き流すことを覚え
どんな言葉も自分の中で少しだけ変換する
生涯終わることのない意地悪さえも
自分を成長させるために意味があるのだと
少しずつ受け止められるようになった
姉妹というだけで
簡単には縁を断ち切れない宿命のようなものがある
しかし
同じ土俵には立たない
それだけは、自分の中で決めている
気付き
「怒りや憎しみ」は
相手に届く事はない
自分の心を醜く荒らすだけ
すべての言葉を、真正面から受け止めなくてもいい
不器用な人だなと、受け流したり
深く考えすぎずに距離を置くことも
自分を守るためにはとても大切なことだと
半世紀を過ぎようやく気付いた
ちょっと
お釈迦さま
「怒りを握りしめ続ける事は熱い炭を持ちながら
相手に投げようとしているようなもの」
とお釈迦さまは説いている
つまり
一番火傷しているのは実は本人なのだ
だからと言って無理に許す必要もない
傷つく距離まで近づく必要もない
ただ
「あの人も苦しみの中にいるのかもしれない」
そう少しだけ理解できると
相手の毒に自分まで飲み込まれにくくなる

次回
#4【ふいに現れる“お殿様” それが父】幼い日の記憶③
【はじめてのnote】
【姉の話】
【オバハンの独り言】
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