小説『Snowdrop Surfer』第二部・二話【互いの粉飾と深夜の絶望】
(簡単なあらすじ)
理不尽な左遷により、北海道の赤字企業で四刀流の過酷な新社長業に奮闘する元芸人、トップセールス・佐々木真二郎。
前回、凍てつく北海道へ帰還した真二郎は、来輝本社が仕掛けた冷酷な「二段構えの罠」の全貌を悟る。
それは雪明グループとの取引の成否に関わらず、最終的にはホクセイ産業を解体して特許技術だけを吸い上げ、現場の社員と真二郎を「捨て駒」として切り捨てる恐るべき計画だった。
抗うことすら困難な完璧な包囲網を前に、真二郎は品川駅で胸に宿した「本物の山を登る覚悟」を握りしめ、あまりに孤独な逆襲の第一歩を踏み出す。(第二部・第一話)
【前回】
第二部・二話【互いの粉飾と深夜の絶望】
新千歳空港から札幌に戻り、ホクセイ産業の冷たい鉄扉を開けた瞬間、
取締役の小島が待ってましたとばかりに嫌味な笑みを浮かべた。
「お帰りなさい、敏腕社長様。
温かい都会への長旅、さぞお疲れだったでしょう」
(ここも、冷え切っている......)
デスクには、出張中に溜まった山のような決裁書類。
北山乳業のクレームは一向に進展せず、
雪明グループの担当者の心も、氷のように固く閉ざされたままだ。
「……ええ、ただいま戻りました」
俺にできたのは、不安を隠しきれない、ひきつったような薄笑いを浮かべることだけだった。
(何とかしなきゃいけない。この人たちの生活を、この会社を守らなければ……)
頭の中では、来輝の冷徹な戦略と、目の前の絶望的な現実が、壊れたレコードのようにループし続けていた。
ただ、俺にはどうしても確かめておきたいことがあった。
事務所から一歩工場へ入れば、設備の老朽化は素人の俺の目から見ても一目瞭然だ。
なぜ、来輝ほどの巨大企業が、
M&A前のDD(資産査定)でこの惨状を見落としたのか ─── 。
だが、今の俺は、工場長の杉山や古株の社員たちから見れば
「来輝から送り込まれた敵」でしかない。
本音を聞き出そうとしても、厚い壁に阻まれるのは目に見えていた。
俺は、数少ない理解者である松原さんに、意を決して相談を持ちかけた。
「……DDの時、現場の老朽化についてどう報告されていたのか、知りたいんですが」
松原さんは、少し困ったような、しかし慈しむような目で俺を見ると、静かに口を開いた。
「サーさん。
お互いに『お化粧』し合うんが、M&Aというもんやないんかな。
そりゃあ、うち(来輝)だって、雪明さんとの根深い因縁を隠してホクセイを買ったんやし……お互い様っちゅうわけちゃう?」
松原さんは、俺の強張る顔を察したように、少し声を和らげた。
「今夜、隣の居酒屋で杉ちゃんと飲む約束しとるから、その時、それとなく聞いてみるわ」
その言葉に、俺は砂漠で水を見つけたような心地になった。
自分一人ではどうにもならない厚い氷。
それを溶かそうとしてくれる人が、この極寒の地にも、一人だけはいたのだ。
四月だというのに、札幌の夜はしんしんと冷える。
弱めに設定したストーブの淡々とした暖気音だけが、
静まりかえった部屋に音の存在を思い出させていた。
ノートPCの青白い光に照らされながら、終わりの見えない残務をこなし、俺はいまだ解けぬ謎に頭を悩ませていた。
(……なぜ、来輝本部は『老朽化』を見落としたのか)
松原さんの言うように、M&A時によくある「お化粧」に騙されただけなのか。
いや、それだけではないはずだ。
考えられるのは、帳簿上のからくりだ。

ホクセイ産業の機械はすでに法定耐用年数を過ぎ、減価償却が終わっている。
会計上の資産価値は「ゼロ」。
つまり、
動けば動くほど、帳簿の上では「経費のかからない、利益を生み続ける魔法の箱」に見えるのだ。
俺は知っている。
毎週の工場視察で目にする、老朽化した設備を「針金とガムテープ」で繋ぎ合わせ、なんとか動かし続けている杉山たちの血の滲むような努力を。
だが、三千億企業のエリートたちは、高級スーツを汚さない程度の短い視察で、
その泥臭い執念を「高効率な運用」という言葉ですり替えたのだ。
(彼らは、見抜けないほど無能だったんじゃない。
……見抜いた上で、利用したんだ)
そして、脳裏にあの太田会長の、氷のような声が蘇る。
『今期末が最終期限だ。
……できなければホクセイ産業は解体し、特許権のみを本社へ移管。工場はスクラップにする。
君も、来輝に席があると思うな』
点と点が、最悪な形でつながった。
来輝の本当の狙いは、最初から「特許」のみだったのだ。
海洋生分解性プラスチックの特許さえ手に入れば、将来的にその技術を本社の最新工場に移管し、
ホクセイ産業の古い工場は用済みとしてスクラップにする。
そして、その過程で万が一トラブルが起きれば、
全てを俺の管理不足として放り出せばいい。
ホクセイの社員たちも、俺も、
来輝にとっては最初からトカゲの尻尾のように切り捨てる『捨て駒』に過ぎなかったのだ。
巧みに、そして冷徹に仕組まれた罠。
抗うことさえ許されない完璧な包囲網の中にいる自分を自覚し、
俺は激しい焦りと、吐き気を催すほどの苛立ちに震えていた。

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