見出し画像

小説『Snowdrop Surfer』第七話:沈みゆく小舟と、老将の苦悩

(簡単なあらすじ)
理不尽な左遷により、北海道の赤字企業で四刀流の過酷な新社長業に奮闘する元芸人、トップセールス・佐々木真二郎。

前回、激務に消耗しきっていた真二郎だったが、雪降る氷点下の海でサーフィンに挑んだ。強烈な冷水に覚醒して生きる実感を取り戻すと、その夜は極上のジンギスカンを味わい、冷え切った心と体に再び戦うための火を灯したのだった。(第六話)

【前回】


【第七話:沈みゆく小舟と、老将の苦悩】

「大企業の子会社になったからって、幸せになれるとは限らない」

ホクセイ産業の社員たちは、そんな不安と不満を抱えながらも、
まるで他人事のような毎日を過ごしていた。

長期的に見れば、来輝のような大企業に所属することは、
安定という恩恵をもたらす。

倒産の心配は少なく、福利厚生や社会的信用は格段に上がる。

だが、現実はそう単純ではなかった。

無限に増殖し時間を葬り去る会議。
数字のみを追求する冷酷な来輝本部。
終わりのなき回覧の旅を続ける稟議書。

「まだ承認がおりていません」
「当社の規定にはありません」

そんな言葉がメールの画面を埋める。

パソコンの画面を埋め尽くす、無機質な文字列。

即断即決という武器は錆びつき、
軽快だったはずの小船は、いつの間にか重たいいかりを引きずり始めていた。

それでいて、給料が倍になるわけでもない。

─── 割に合わない。

ホクセイ産業の社員たちの心には、
そんな不満が、工場の隅にたまる埃のように積もっていった。

さらに問題を複雑にしていたのが、M&Aに付き物の『仲介業者の壁』だった。

契約締結までは、来輝とホクセイ産業で直接話すことは禁じられている。

交渉はすべて、仲介業者という霧に包まれた『伝言ゲーム』
言葉は濁され、現場の温度も、大事なニュアンスも伝わらない。

そして、もう一つ。

ホクセイ産業の前社長『西田』と深い信頼関係にあった最重要顧客『雪明グループ』

だが、
来輝とは過去に確執があった様子で、雪明グループはこのM&Aに対して警戒を強めていた。

商売の存続に危機感を覚える担当者の三浦。

そんな、目に見えない不安や不満が雨雲のように広がりを見せ始めていた。



M&Aが正式に決まった日、
西田は社員を前にして静かに口を開いた。

「大丈夫だ。来輝さんと一緒になっても……
今までと何も変わらない。私が保証する。」

不安げな表情を浮かべていた社員たちにとって、
その声はどこか、父親のようでもあった。

だが、その『約束』はすぐに揺らぎ始める。
作業場では、社員の愚痴が小さく漏れ始める。

「西田社長……何も変わらないって言ったじゃないですか!」

「こんなの、ホクセイのやり方じゃないべさ……」

「すまん...こんなはずじゃなかった...」

そう小さく呟いた西田の背中に、重たく湿った空気だけが残された。



「……これでやっと肩の荷がおりる。」

来輝とのM&A契約書に判を押し終えた瞬間、
西田は誰に向けるでもなく、ぽつりと呟いた。

今年で六十五歳。
三十歳のとき、たった二坪の事務所と中古の真空成形機一台から始まったホクセイ産業は、
彼の手で年商二十五億まで育った。

─── だが、その成長の裏にある『影』を知る者は少なかった。

社員は二十名。
親族は誰も会社を継ぐ気がない。
将来の幹部候補も育っていない。

そして、彼は副社長も専務も置かなかった。

いや、正確には置けなかった。

自分以外に『会社を預けられる人間』がいなかったのだ。
ワンマン経営と言えば、世間的には聞こえは悪い。

だが、地元のスーパーに深夜まで頭を下げ、
吹雪の日も工場の暖房費を削り、
社員の給料だけは死んでも遅らせまいと売掛金をかき集める。

そうやって会社を守ってきた西田の背中には、
言葉では言い尽くせないほどの重圧が積み重なっていた。

そんな彼にとって、M&Aは『最後の責任』だった。

会社は黒字を維持していたが、
市場の変化に追いつけないことは十分にわかっていた。

雪明グループの要求は年々厳しくなり、
いずれこの小さな会社だけの力では限界が来る。

「あの大企業、来輝に託せば、社員たちもなんとか生きていけるだろう」

そう確信していた ─── はずだった。

しかし、胸の奥には小さなしこりが残っていた。

それは、この会社で三十年寝食を共にしてきた『家族』のような社員たちが、
自分が去ったあと、どう扱われるのかという不安。

そして、もう一つ。

自分の右腕だと思っていた男 ─── 小島だ。
近頃、どこかとげとげしい目で自分を見るように変わっている気がしていた。

(あいつは……わかってくれるだろうか)
(俺がどんな覚悟で、この決断をしたのか)

西田は静かに目を閉じた。

社長席に戻ると、机の端にある一つの傷跡が目に入った。

昔、小島が現場で大きなミスをした際、
必死に部下や取引先のせいにして『言い逃れ』を繰り返したとき、

怒りのあまり工具を乱暴に叩きつけてつけた傷だった。

『言い訳をするな!
責任をとるのが上に立つ人間の仕事だろう!』

あの時、そう怒鳴って厳しく叱りつけたはずだった。

だが、西田は彼に
「どうやって責任を取るのか」
「どう現場を守るのか」
を具体的に教えたことはなかった。

ただ怒鳴り、自分の背中を見て学べと突き放すだけの、古い時代のやり方。

結果として、小島が学んだのは責任の取り方ではなく、

「西田の顔色を伺い、怒られないよう上手に他人のせいにする術」
だけだった。

「……俺が、あいつをあんな風に育ててしまった。
この会社の淀みは、全て自分のせいだ」

自らの『指導力不足 』を修正することまでは考えが至らず、
ただ扱いやすいイエスマンとして手元に置いてしまった己の弱さを嚙みしめる。

そしてそのツケが、今の

「部下を育てることが出来ず、問題から逃げ続ける小島」と

「心を閉ざして疲弊したままの現場」

を作り出してしまった。

西田はささくれ立った机の窪みを、
皺の刻まれた指先でゆっくりとなぞった。

だからこそ、決断したのだ。

自分のこの「古い時代のやり方」では、もう会社も社員たちも守れない。

だから、
大企業『来輝』という揺らぐことのない安定したシステムに、
彼らの未来を丸ごと託すしかなかったのだと、
西田は己の無力さを痛感し悔やんだ。

「……すまんな。結局、こうするしかなかった」

椅子に深く背中を沈める。

札幌の冬の風が、窓の隙間から微かに吹き込んだ。

▼続きはこちら

▼まとめ読み用マガジンです。

▼自己紹介です。『Instagram』&『X』もやっていますので、
ぜひフォローいただけると嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!