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小説『Snowdrop Surfer』第六話:北の海の洗礼と至福の燻煙

(簡単なあらすじ)
理不尽な左遷により、北海道の赤字企業で四刀流の過酷な新社長業に奮闘する元芸人、トップセールス・佐々木真二郎。

前回、終わりのない激務と「何もできない社長」という社員の嘲笑に精神をすり減らす中、雪道で車がスタックしてしまう。しかし、苦手だった同じマンションの住人に助けられ、北の大地の人情に触れて少しだけ前を向く。

【前回】


【第六話:北の海の洗礼と至福の燻煙】

終わりのない濁流のような隷属業務に、
休息など許されなかった。

帰宅後も休日も青白い光を放つ画面の奥で、
出口の無い資料の迷宮を彷徨い続ける。

そんなある週末のことだった。

窓の外は相変わらずうんざりするような雪が降り続いていたが、

ふと、
ホームである千葉・九十九里の明るい海と、
そこで笑い合った仲間たちの顔が浮かび、
向こうは今どんな波なんだろうと何気なく波情報アプリを開いた。

現在地付近のポイント情報が画面に表示される。

【浜厚真(はまあつま)海岸】

「……!!」

「えっ、北海道でもサーフィンができる?」

【波サイズ:モモ~コシ ・人数:3人】

「嘘だろ。雪、降ってんだぞ……!」

外に出るのも躊躇うような雪すさぶ寒さの中。
この北の地には、
波と共に生きるサーファーが確かに存在していた。

山積みの書類、小島の嫌味、社員の冷たい視線。

すべてを振り払うように、俺は海へと車を走らせた。

『浜厚真海岸』

目の前に広がるのは、
九十九里の柔らかなオレンジ色の光と青い空とは違う、鉛色と雪白が支配する冷たく重い北の海だった。

「……本当に、ここでやるのか?」

窓を数センチ開けただけで車内に飛び込んでくる、雪粒を含んだ氷点下の爆風。

その厳しさに怯む自分と、
『行け!』と命じる本能が、
暖房の効いた車内で幾度となく葛藤を繰り返す。

悲鳴を上げる心に鞭打つように、
ウェットスーツに体を押し込む。

本来はドライスーツが必要な水温だ。
だが、そんなものはまだ持っていなかった。

凍える寒さで、思うように指先も動かない。

しかし、
覚悟を決めて背中のジッパーを力強く引き上げた瞬間。

真二郎の意識が
『何もできない社長』から
『一人のサーファー』へと切り替わった。

─── 北海道の、冷たい海へ。

海に入った瞬間、
狂気の冷水が真二郎を襲う。

顔面を刺す水は、
まるで『氷の刃』のようだった。

だが、その強烈な痛みが、
山積みの書類の前でフリーズしていた真二郎の脳を鮮烈に覚醒させる。

「生きてる……俺はまだ、生きている!」

パドルを一掻きするごとに、
指先にこびり付いていた落ちない朱肉の汚れが、
全身を蝕んでいた四刀流の重圧が、
魂に張り付いていた焦燥が、

極寒の海水に溶け出し、
少しずつ浄化されていくような感覚。

水温は死を感じるほどに冷たく、波のサイズも小さい。

それでも俺はパドルを続けた。

波の大きな九十九里の太平洋で鍛えたパドル力は、まだ衰えきってはいなかった。

「……やれる」

そう思った瞬間、
俺は、サーファーとしての自分を少しだけ取り戻していた。

そして、
この時はまだ知らなかった。

この冷たく暗い海が、
俺を、あのまぶしく輝く全国大会の舞台まで運んでくれることになるなんて ─── 。



帰宅後、

氷点下の海で味わった極限の疲労感が全身を覆いつくしていたが、
真二郎はその夜を密かに楽しみにしていた。

ウェットスーツを手早く片付け、
急ぎ足で向かったのは街外れのジンギスカンの名店。

入口のドアを開けると、店内はにぎやかだった。
家族連れ、恋人同士、友人たちの笑い声。

俺だけ一人か...
そんな感情が、一瞬だけ胸をよぎった。

でも、それはすぐに消え去った。

羊肉の香ばしさと焼けた脂の匂いが
空腹の俺を歓迎してくれているようだった。

鉄兜を思わせる山型の鍋から
ジュウジュウという音と共に立ち上る白煙。

コクのある甘みに酸味を絡めた、ここでしか味わえないタレの香り。

もやしと玉ねぎが、肉の脂を吸って甘くなる。
生ラム、モモ肉、肩ロース、ショルダー  ─── 。

全てが身体の奥まで染み込んでいくのがわかった。
芯まで冷え切っていた身体の奥が、
じんわりと感覚を取り戻していく。

〆には、うどん。
そして、肉汁が染み込んだ残りダレをかけた卵かけご飯で完結
という前代未聞のフルコース。

これまでの苦難は、
この晩餐のための前座にすぎなかったとすら思えるほど至福の時間だった。

この北の大地の厳しい寒さ、
俺を取り巻く劣悪な環境。

……でも、

俺は今、紛れもなく北海道で生きている!

全身がそう叫んでいた。

腹の底に残ったジンギスカンの熱は、
真二郎の冷え切った心と身体に、
再び戦えるよう火をともした。

だが、翌朝事務所のドアを開けた瞬間、
その熱は一瞬で冷え切ることになる ─── 。

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