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小説『Snowdrop Surfer』第八話:三十年の自尊心と、歪んだ野心

(簡単なあらすじ)
理不尽な左遷により、北海道の赤字企業で四刀流の過酷な新社長業に奮闘する元芸人、トップセールス・佐々木真二郎。

前回、M&Aにより大企業(来輝)の傘下となったホクセイ産業だが、本部の冷酷なやり方に社員は不満を募らせる。一方、前社長の西田は、他人のせいにする取締役の小島ではなく大企業の運営に会社を託すという、苦渋の決断を下していた。(第七話)

【前回】


【第八話:三十年の自尊心と、歪んだ野心】

来輝らいき……? 来輝だと!?」
小島は、まるで悪夢を現実に突きつけられたかのように身を乗り出した。

デスクで書類をまとめていたホクセイ産業の部長・吉田は驚き、
眼鏡を押し上げた。

「小島取締役……そんなに驚くことですか?」

小島は息を荒くしたまま、声を潜めることも忘れ、吉田へ詰め寄る。

「社長は ─── 『あの話』を知っているのか? 来輝の過去のことを!」

吉田は一瞬ためらった。そして、言葉を選ぶように答えた。

「雪明グループから……取引停止になっていたという噂ですか…?」

「噂じゃない!事実だ!」

小島の声は震えていた。
怒りでも、恐怖でもない。
焦燥と嫉妬が入り混じった、複雑な震えだった。

(……来輝に売る? この会社をか?
じゃあ、次のトップは……俺じゃないのか?)

ずっと、次は自分だと思っていた。
いや、そう信じていた。

西田社長の『片腕』として、三十年苦楽を共にしてきたという自負がある。
酒を酌み交わす夜にも、何度も言われていた。

「お前がいて助かるよ、小島。
この会社はお前が支えてくれてる。お前がいれば安心だ』

その言葉に、小島もすっかり安心していた。

だが、来輝への売却が決まった瞬間、
その『幻想』が音を立てて崩れ始めた。

(会社が来輝に渡れば……俺の存在なんて、ただの邪魔な古株だ
そして、もし新社長が送り込まれたら、今の取締役の座だって……)

小島は、その恐怖を感じざるを得なかった。

「来輝なんかに……ホクセイを好き勝手にされてたまるか」

そう呟いた声には、ホクセイ産業への『愛情』と『執着』が複雑に絡み合っていた。

そしてもう一つ、誰にも言うことができない『本音』があった。

(西田社長は、なぜ言ってくれなかったんだ...)

自分だけが知らされていなかった。
裏切られたような気がしていた。

西田の胸の奥にあった経営者の『苦悩』や『恐れ』など、小島には見えていなかった。
ただ、自分だけが裏切られ、置いてけぼりにされる ─── そういう感覚だった。

「吉田」

「はい」

「……いいか。もし来輝が本当に入ってくるなら……」

小島は吉田の目を見た。

「─── 次に社長になるのは、
来輝の機械じみた人間なんかじゃない。
この俺だ!」

(好き勝手なことはさせない)

この瞬間から、小島の妨害は始まる。


M&A契約から三日後の午後。
工場の生産音だけが、薄暗いホクセイ産業の事務所に微かに響いていた。

小島は、胸の奥がざわついて仕方なかった。

(……話さなくてはダメだ。
俺は、この会社を三十年支えてきたんだ。『次』は俺のはずだ……)

決意を固め、少し開いた社長室のドアをノックした。

「社長、今よろしいですか」

「おう。小島くん、入ってくれ」

西田は、机の上に書類を広げたまま顔を上げた。
その表情はどこか疲れていて、少し寂しげにさえ見えた。

小島は椅子に腰を下ろすなり、核心を切り出した。

「……来輝への売却の件、なぜ私に相談してくれなかったんですか」

西田の目が、わずかに揺れた。
そして、静かにペンを置いた。

「小島くん。すまないとは思っている。
しかし……言いづらかったんだ」

「言いづらかった?
社長!私は三十年、この会社を ─── 社長を支えてきたつもりです!」

抑えていた声が少しだけ上ずった。

「なのに……
なぜ、私を選んでくれなかったんですか!」

西田は数秒黙った。

冬の陽がブラインドの隙間から差し込み、
机の上に細い影を落としていた。

やがて、西田が重たい口を開いた。

「小島くん……
君は器用な男だ。人付き合いもうまい。
しかし ─── 会社を背負うには、『別の力』がいるんだ」

「……別の力?」

「そうだ。
先ずは、判断力。
そして、最も大事なのは責任を自分で引き受ける覚悟だ」

小島の表情が、かすかに固まった。

西田は続けた。

「君は……人のせいにしてしまうところがある。
それは社長をする者にとって、致命的なんだ」

冬の陽が差し込み始めた室内が、重たい静寂に包まれた。

小島は、何かを言おうと口を開いたが、声が出なかった。

西田の言葉が胸に、鋭い杭のように打ち込まれた。

(……社長は、ずっと……そう思っていたのか?
俺は評価されていると思っていたのに……)

西田は静かに、引導を渡すように告げた。

「この会社を未来へ託すなら……
きっと別の力が必要だ。」

小島は、すべてを悟った。
目の奥が熱くなり、
自分を支えてきた『自尊心』がぐしゃりと潰れる音がした。

小島は、かすれた声を絞りだした。

「……わかりました。社長のご判断です。しかし……私は、納得できません」

そう言って立ち上がり、一礼し、西田に背を向けた。

ドアを閉める手が震えた。

薄暗い廊下を歩きながら、
小島の心は怒りと屈辱、そして、
父親に裏切られたような喪失感で満たされていた。

(外からくる人間に、俺の三十年が奪われる……?
そんなこと、認められるか!)

この瞬間、小島の心に魔物が入り込んだ。

来輝から来る人間を『次の社長』にはさせない。
どんな手を使ってでも ─── 。

ここから、小島の妨害が始まる。

雪明グループへ『悪い噂』を流し、
裏で来輝の権田と繋がり、
ホクセイ産業から真二郎を追い落とす火種となっていく。

─── すべては、この瞬間の、
西田の『真実の一言』から始まることになった。 


小島は、その日も朝から奥歯を嚙みしめ、膝を小刻みに揺らしていた。

(来輝の人間が……社長?そんな道理が通るか)

胸の奥の黒い感情が、ゆっくりと熱を帯びていく。

昼下がり、事務所が静まり返った頃、
小島は誰にも悟られぬよう気配を消し、倉庫へと続く薄暗い通路へ身を潜めた。

冬の冷気が足元から這い上がってくるが、
彼の心にある憎悪の方が、はるかに冷たかった。

小島はスマホを手に取り、電話帳を開く

雪明グループ
本社 調達課 課長
——笹島

十年以上の歳月をかけ、共に酒を酌み交わし築いてきた『地元の絆』。
それは、東京から来た余所者よそものが、逆立ちしても手に入れられない『血の通った関係』でもある。

小島は深く、静かに息を吸い、発信ボタンを押した。

「……笹島さん、お世話になります。ホクセイの小島です」

『おう、小島さんか。どうしたの?』

笹島の快活な声の裏には、北の厳しいビジネスを生き抜いてきた者が持つ、鋭い『人を見る目』が潜んでいる。

小島はわざと声を潜め、困惑を装ったトーンで言葉を紡いだ。

「いやぁ……実は、ちょっと耳に入れておきたいことがありましてね……」

『何かトラブル?』

「……今度、うちに東京から新しい社長が来るんですよ」

『ああ、聞いたよ。来輝の人が来るんだって?』

「まあ...、悪い人間じゃないらしいんですけどね....」

小島はそこで、あえて言葉を濁した。空白を作ることで、相手の脳内に不安を植え付ける。

(言い方ひとつで、印象はいくらでも変えられる)

「正直、彼はホクセイの歴史も、雪明さんとの関係も、
何ひとつ分かっていない。
それどころか、興味すらないようなんです」

『……ほう』

電話の向こうの空気が変わった。

小島はさらに追い打ちをかける。

「それに……噂ですけどね。
東京の方では、ちょっと評判が悪いらしくて……」

『評判?』

「ええ。
ちょっと強引に仕事を進めたり、
数字のためなら何でもするタイプ……と聞きました」

もちろん、根も葉もない嘘だ。

だが、嘘とは断定できないように、
『にごした表現』で、印象だけを変える。

「まあ、東京の人間特有の、ドライなやり方といいますか...」

これは悪意ではない、
(自分の身を守るため、ホクセイの未来のため)
そう自分に言い聞かせながら。

小島は、最後の一手を静かに放つ。

「うちの会社……まだM&Aで混乱してましてね。
そんな中で、そのような人間が雪明さんの信頼を損なわないか……
私はそれが、本当に心配で……」

─── 私は会社を、そして雪明さんとの関係を守りたいだけだ ───
その巧妙な『善意』のコーティングを施した最後の一言が、笹島の不信感に火をつけた。

─── 私は止めたいが、どうにもできない ───
というニュアンスをこめた巧妙な一言。

笹島は、しばらく黙った。

そして低い声で言った。

『……なるほど。
まぁ、うちは取引先を慎重に選ぶんでね。小島さんの話、しっかり参考にさせてもらうよ』

その声音の奥には、
東京(来輝)から来る新社長への不信感が、うっすらと影を落としていた。

電話を切ると、小島は深く長い息を吐いた。

暗い倉庫の中で、
口角が自分でも気づかぬほどに吊り上がっていた。

(これでいい……これで、少しは時間が稼げる)

(来輝なんかに……この会社は渡さない)
他人にこの会社は渡さない。そのためなら、会社を『沈む舟』にすることすらいとわない。 

小島は歪んだ達成感に包まれながら、獲物を待つ蜘蛛のような足取りで事務所へと戻っていった。

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