見出し画像

見返り鬼譚《耳あり芳一外伝》【第四夜】長寿の祈りと藤兵衛のモリ(連作短編)

清閑寺の女が語る、夜ごとの鬼譚。
語られるのは、祇園に生きた誰かの結末――
けれどその結末は、ひとつではない。
同じ怪異、異なる結末。
読み手の耳に委ねられた真実。
『耳あり芳一』外伝 “見返り鬼譚”、ここに開帳。


本編はコチラ

前回はコチラ


第四夜 長寿の祈りと藤兵衛のモリ




――ポロン。

月の下、琵琶の音ひとつ。
清閑寺の女が微笑んで語り始める。

「今宵は魚の話をひとつ。……鮠(はや)という名の、まことによく焼ける魚でございます」

◇◇◇◇◇


さて皆さま、お集まり。
祇園は八坂の裏手を抜け、ひとつ橋を渡った先、川沿いに住んでおりましたは、魚売りの藤兵衛(とうべえ)という男。

この男、なにより命を惜しむ性分でして――
朝の草履は必ず陽の当たる方に干す、夕の汁物はぬるめで喰らう。冷たいものも熱いものも、体に障ると申して嫌います。

「丈夫に長生き、年を取っても歯が揃ってりゃ、飯も魚も旨く喰える」これが藤兵衛の信条でございました。

が、その命を惜しむ気性が災いしたか、ある日、祇園の町に奇妙な噂が立ちはじめたのでございます。

「川魚が臭うぞ」
「鮠が腐っている」
「腹を壊した」
「熱が出た」

けれども藤兵衛、聞く耳持たず。

「黙って焼けばわかる。魚ってのはな、生きが良すぎても旨くねえ。ほどほどに寝かした方が、味がしゅんでるってもんよ」

そう言っては、日に焼けた指で魚を掴み、鉄の串に刺して、屋台で焼いては売り捌く。

香ばしい香り、パチパチと脂のはぜる音。
だが、近づけば、鼻を突く臭気――

それでも腹を空かせた町の者たちは、騙し騙しその魚を買い、口に運び、そして呻いた。

「腹が……腹が張る……」
「頭が重い……」
「目が……目が見えぬ……」

祇園の茶屋で、飴屋で、旅籠で、寝込む者が次々と出る。
しかし藤兵衛は意に介さず。

「魚が悪いんじゃねえ。焼き方だ、焼き方がなってねえからだ」

そう吐き捨て、明けても暮れても串を握り続けた。

──が、ある晩。

売れ残った鮠を、串のまま握りしめていた藤兵衛。
屋台に灯る提灯が、風に揺れ、ふと暗くなる。

そのとき、どこからか声がした。

「……くさってる……」

「……くさってるぞ、とうべえ……」

誰の声かも分からぬまま、彼はうわ言のように笑う。

「くさってる? ふん、そうかもな。でもな、火を通しゃ、大丈夫なんだよ」

焼け焦げた鮠を串ごと頬張りながら、藤兵衛は、ぽつり呟く。

「……火を通しゃ……大丈夫さ……」

けれど次の日、藤兵衛の姿はどこにもなかった。

屋台の傍に残されたのは、無数の焼き尽くされた鮠の骨と、焦げた炭だけ。

そして後日。

ある子どもが川のほとりで見たという。

「川の底でさ、変なひとが泳いでたの。お魚といっしょに、笑ってた……」

その顔が、藤兵衛によく似ていたとか、似ていなかったとか。

◇◇◇◇◇

――ポロン。

清閑寺の女が扇を一つ、軽く打ち鳴らす。

「長寿の祈りとは、命を惜しむ心にございます。されどそれが、我を忘れ、他を顧みぬものとなれば――」

彼女の声は夜風に混じり、ふっと消える。

――ポロン。 

琵琶の余韻が風に揺れ、清閑寺の女が再び口を開く。

「けれども、藤兵衛にも、もうひとつの道があったかもしれません。……川の底に沈まぬ、別の物語を」

◇◇◇◇◇


さて、ここからは少し違う話。

藤兵衛が初めて“それ”を見たのは、梅雨明け前のある日でございました。

いつものように川沿いの葦を踏みわけ、魚を捕りに行った藤兵衛。
だが、その日はどうにも様子が違う。

川が臭う。
水が濁っている。
いつもの鮠の群れが、見当たらない。

代わりに網にかかったのは、鱗が剥げ、腹の膨れた、どこか人間のような顔をした異形の鮠。

「……なんだこりゃ」

最初は気味悪がったものの、焼いてみればそれなりに旨い。
腹を壊す者もいなかった。しばらくは。

だが日に日に、魚は異形になり、匂いは強まり、そしてとうとう――町で病が広まり始めた。

それでもなお、焼き続けていた藤兵衛。

「売れりゃいい。俺が食うんじゃねえしな」

そう呟きながらも、心の奥では何かが引っかかっていた。
そしてある日、とうとうその“引っかかり”が、彼の背を押す。

「……川の、上流だな。何か、おかしなもんが流れてきてやがる」

決意を胸に、彼は川沿いを遡った。

辿り着いたのは、鬱蒼と茂る竹藪の奥。
人の手の入らぬ谷あいの淵――

そこは、まるで瘴気に包まれたかのように澱み、空気がねっとりとまとわりつく。

そして、そこに――

いた。

水の音もしないその場所に、気配がひとつ。

鬼。

まごうことなき、角あり牙あり、毛むくじゃらの鬼でございます。
しかも、なんとまあ……人を、喰うておる。

がりがり、むしゃり、骨の音。くっちゃら、くっちゃら、肉の音。
藤兵衛、目を丸くして思わず口を押さえる。

ところが次の瞬間、その鬼、腹を押さえてしゃがみこみ……

「うおおおおおお……」

――どっぷり。

出ました。

それはそれは立派な――何とは申しませんが、臭気を放つもの。
そしてそのブツが、ずぶりと淵に沈むやいなや、水面にぽよんと浮かび上がってきたのは、なにやら魚のかたち。

銀色の鱗、逆立った背びれ、そして――目が、飛び出しそうな……

「……あれは……わしの……鮠……!?」

ようやく気づいた藤兵衛、目の前の現実に震える手。
だが、その手には、モリ。

「いけねえ! わしの魚が、鬼の……ってことは……!」

このままでは、祇園の町が、糞鮠まみれになる!

思わず叫んで、竹藪を飛び出し――

「おのれぇぇぇぇぇぇ!」

モリをぶんと構えて、一直線に――

鬼の、尻へ!!

ぶすぅうぅぅっ!!

刺さった!

鬼、仰け反って絶叫し、
ぎゃあああああああっ!

尻から放たれるは未変化のブツ、ぶしゃっ、ぶしゃっ、と炸裂音。

だが、次の瞬間!

鬼の身体が、びりびりと震え、もわもわと煙を吹き出し、ついには――

ぽんっ!

一陣の風とともに、消滅いたしました。

静まりかえる竹藪。
澱んだ淵の水が、すうっと澄み始め、やがて、底から湧き出るように――

ぴかぴかの、鮠!

銀色の鱗が陽に反射し、きらきらと川面を流れゆく。
それはまるで、悪夢を洗い流すような、美しさ。

その光景を見下ろしながら、藤兵衛はにやりと笑い、

「……やっぱり、焼くなら光る魚に限るな」

そう一言、満足げに呟いたのでございます。

◇◇◇◇◇

――ポロン。

清閑寺の女が、そっと最後の糸を撫でる。

「祇園の川には、今もなお、光る鮠が泳いでおります。
けれど時折、思い出していただきたい。焼き加減もさることながら――
魚の出どころ、それがいちばん肝心だということを」

その瞳は細く、唇は静かに笑みを湛えたまま。

◇◇◇◇◇

さて、今宵の語りはここまで。

あなたの皿の上にある魚は、どこから来たものでしょうか。

川のものか、海のものか、それとも――。

……ふふふ。

風が凪ぎ、月がかすみ、女の姿は、静かに夜の帳へと沈んでいく。

あとに残るのは、琵琶の余韻と、ほんの少しの不安――
そして、忘れかけていた何かの記憶。

今宵の鬼譚、どうか夢にまでは連れていかれませぬように。


※平日は一回、休日はたまに二回、投稿しています。ハートマーク(スキ)押していただけると、とても嬉しいです。また、シェア(拡散)して頂けると筆者が血の涙を流して喜びます。よろしくお願いします。


続きはコチラ

宜しければコチラもご覧下さい

いいなと思ったら応援しよう!

北南屋 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!