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【Re:原点】毎日23時まで罵倒されて「生きている価値もない」と思った作業療法士が、薬なしで生きられるようになるまで

🌿 はじめに——なぜ今、3か月前の記事を書き直すのか

正直に書きます。

この記事は、私がnoteを始めて、いちばん最初の頃に書いたものを、ほぼまるごと書き直したものです。

なぜ、わざわざそんなことをするのか。

理由は、シンプルです。埋もれさせたく、なかったから。

noteを始めたばかりの頃、私はフォロワー0人、コメント0件の状態で、この記事を書きました。誰に読まれるあてもなく、ただ「16年前の自分に言えなかった言葉を、どこかにいる誰かに届けたくて」、震えるような気持ちで投稿しました。

あれから3か月。ありがたいことに、フォロワーさんが増えました。今では、毎日のように、温かいコメントをいただけるようになりました。

でも——今の私を知ってくれている人の多くは、たぶん「アドラー心理学の人」「特養で看取りをしている人」というイメージで、私を見てくれているのだと思います。

それは、本当にありがたいことです。

ただ、私という人間の、いちばん根っこにある話。うつになり、対人恐怖になり、「生きている価値もない」とまで思った日々。その原点を、今のフォロワーさんは、ほとんど知りません。回遊用に「合わせて読みたい」で導線は作っているけれど、そこにたどり着いてくれる人は、正直、ほんのわずかです。

だから、もう一度、書きます。

0フォロワー・0コメントのときに世に出した、いちばんインパクトの強かったこの話が、今、フォロワーさんが増えた状態で、どう受け止められるのか。それを、私自身、楽しみにしています。

少し長くなりますが、よかったら、私の原点に、付き合ってください。


🌑 退社時刻は17時。それなのに、私は毎晩23時まで残されていた

退社時刻は、17時だった。

それなのに私は、毎晩23時頃まで職場に残され、女性上司から罵倒され続けていた。

作業療法士を目指して国家試験の勉強をしながら、リハビリアシスタントとして働いていた、社会人1年目のことだ。

私は国家試験に一度失敗し、浪人しながら働いていた。本来なら、夜は参考書を開いて、来年の試験に向けて勉強しなければならない時期だった。

でも、現実は違った。

就業規則には、たしかに「退社時刻17時」と書いてあった。なのに、夕方になっても、上司は私を帰してくれなかった。

書類の書き方。言葉の選び方。動作の手順。

些細なことを、何度も、何度も指摘された。怒鳴られた。否定された。

「なんでこんなこともできないの」 「あなたって本当に使えないね」

その言葉たちは、毎晩、私の中に、静かに積み重なっていった。


🚃 帰り道、私はいつも無言だった

帰り道、私はいつも無言だった。

電車の中でも、家に着いてからも、ぼんやりと天井を見つめていた。

国試の参考書を開く気力なんて、もう、どこにもなかった。「勉強しなければ」という焦りと、「もう、何もしたくない」という虚無感が、ぐるぐると、頭の中を回り続けた。

そして、気づいたときには、私はこう思うようになっていた。

——自分は、生きている価値もない人間なんだ。

今、作業療法士として16年働いてきた目で振り返ると、これは、うつ病の、はっきりとした始まりだった。

でも、当時の私には、それが「病気の入り口」だなんて、わかるはずもなかった。ただ、自分がダメな人間だから、こうなっているのだと、本気で信じ込んでいた。

ここに、当時の私の、いちばんの苦しさがあったと思う。

しんどさの原因を、すべて「自分の能力のなさ」に回収してしまっていたのだ。本当は、深夜まで人を縛りつけて罵倒するという、環境のほうに、はっきりと問題があったのに。



👤 女性が、怖くなった

その上司は、女性だった。

それ以来、私は、女性と話すのが怖くなった。

職場に女性の同僚がいるだけで、緊張した。声のトーンが、少し強くなるだけで、体がすくんだ。

今なら、これが何だったのか、専門的に説明できる。

これは、典型的なトラウマ反応だ。強いストレス体験が、「女性の声=危険」という、誤った回路を、脳に刻み込んでしまったのだ。脳が、身を守ろうとして、過剰に警報を鳴らすようになる。本人の意志とは、まったく関係のないところで。

だから、これは「気の持ちよう」でも「弱さ」でもない。脳が、必死で自分を守ろうとした、結果なのだ。

でも、当時の私に、そんな知識も、余裕もなかった。

ただ、怖かった。ただ、しんどかった。

対人恐怖が強くなった私は、抗不安薬を服用しながら、出勤するようになった。薬を飲まないと、職場に向かうことすら、できなかった。

そして、私はこう、思いつめていた。

——もし国家試験に合格できなければ、作業療法士になるのを、辞めよう。

それが、当時の私にとって、唯一の「逃げ道」だった。皮肉な話だ。なりたくて、浪人までして目指していた仕事を、「これがダメだったら、もう、いい」と、手放す準備をしていたのだから。


🤝 救ってくれたのは、同世代の先輩だった

国家試験に、なんとか、合格した。

作業療法士として初めて勤めた、リハビリテーション病院。そこで私は、一人の先輩に出会った。同世代の、男性の先輩だった。

彼は、私を怒鳴らなかった。否定しなかった。

ミスをしたとき、静かに「こうするといいよ」と教えてくれた。仕事帰りに、話を聞いてくれた。そして、こう言ってくれた。

「お前は、ちゃんとやれてるよ」

私は、その言葉に、どれだけ救われたか、わからない。

思えば、私がずっと求めていたのは、それだったのかもしれない。

怒鳴られることでも、完璧を求められることでもなく、ただ、「あなたは、ここにいていい」という、それだけの言葉だった。

この3年間が、私の作業療法士としての、原点になった。

——余談だが、私が今、特養の現場でも、noteでも、「受け止める」ということをいちばん大事にしているのは、間違いなく、このときの経験が根っこにある。あのとき先輩がくれたものを、今度は、私が誰かに渡したい。その思いが、今の私の発信の、すべての土台になっている。


📕 リストラという転機、そして『嫌われる勇気』との出会い

リハビリ病院を経て、地元のデイケアに転職した。

利用者さんとの関係は、良好だった。話を聴くことは、得意だった。1対1で向き合うとき、私はようやく「自分の居場所」を、感じられた。

でも、3年後。突然、リストラを告げられた。

リハビリ部門が採算に合わなくなり、閉鎖されることになったのだ。

結婚した、ばかりだった。これから、という時だった。

正直、頭が真っ白になった。

そのとき、たまたま、手に取った本があった。

『嫌われる勇気』だった。

アドラー心理学をベースにした、その本には、こんなことが書いてあった。

他者の課題に、踏み込まない。自分の課題と、他者の課題を、分離せよ。

承認欲求を、捨てよ。すべての人に好かれようとすることは、不可能だ。

私は、読みながら、何度も、胸が痛くなった。

ずっと「全員に好かれなければ」と思っていた。誰かに嫌われることが、怖くて、怖くて、自分を殺して、周りに合わせ続けていた。

噂話が聞こえると、「自分の悪口だ」と感じた。上司に少し強めに指摘されるだけで、眠れなくなった。睡眠薬を飲まないと、朝が、来なかった。

そんな私に、この本は、言った。

——自分は、自分でいい。あなたを嫌う人間もいれば、好きな人間もいる。全員に好かれようとするのは、はじめから、無理なんだ。

完全に吹っ切れたわけじゃない。

それでも、何かが、少しだけ、ほどけた気がした。

この一冊が、その後13年にわたって私が実践し続けることになる、アドラー心理学との、最初の出会いだった。今、私がnoteでアドラーの話を書き続けているのは、人生のどん底で、この本に手を伸ばした、あの瞬間から始まっている。


🚪 「逃げた」転職が、私を守った

その後、精神科の病院に転職し、2年間、働いた。

精神疾患の知識は、深まった。患者さんとの関係も、悪くなかった。

でも、また、上司との関係に苦しんだ。女性の上司だった。決して、悪い人ではなかったと思う。ただ、どうしても、相性が合わなかった。

強めの指摘をされるたびに、社会人1年目の、あの夜が、よみがえった。体が、こわばった。

私は、転職を決めた。

「また逃げるのか」と思う人も、いるかもしれない。

でも、今の私は、はっきり、こう思う。

逃げることは、弱さじゃない。自分を守るための、立派な選択だ。

私は作業療法士として、患者さんに「環境を変えることも、治療のひとつですよ」と、伝えてきた。

それは、自分自身にも、言えることだった。

合わない環境に、居続けることが、正解じゃない。離れることで、ようやく、呼吸ができるようになることが、ある。

これは、アドラー心理学でいう「課題の分離」とも、地続きだ。上司が私をどう評価するかは、上司の課題。でも、自分をどんな環境に置くかは、私の課題だ。私は、自分の課題のほうを、ちゃんと選び直した。それだけのことだった。

今の特養に転職して、私はようやく、自分のペースで働けるように、なった。


🌱 今の私と、それでも残るもの

あれから、16年。

今の私は、薬を飲まずに、生活できている。

でも、完全に「克服」したわけじゃない。

ミスを指摘されると、今でも、落ち込む。多人数の食事会は、今でも、苦手だ。

そして——今でも、私は、一人で眠る。

家族であっても、誰かと同じ部屋で寝るのが、まだ、少し、怖い。

完全には、治っていない。たぶん、これからも、そういう部分は、残り続けるのだと思う。

でも、それで、いいと思っている。

「回復」とは、完璧になることじゃない。

自分なりの安全地帯を見つけて、そこから少しずつ、世界を広げていくこと。それが、回復なのだと、16年かけて、私は思うようになった。

一人で眠る、という、この小さな安全地帯。それを、無理に手放さなくていい。それを抱えたまま、それでも、妻がいて、子どもがいて、毎日、誰かの話を聴けている。それで、十分なのだ。


💬 あなたに伝えたいこと

もし、あなたが今、しんどい場所にいるなら。

「自分は、おかしいのかな」と思っているなら。

「みんな、うまくやっているのに、なぜ、自分だけ」と感じているなら。

どうか、聞いてほしい。

あなたを、正当に観てくれている人は、必ずいる。

あなたは、価値のない人間なんかじゃない。

いてくれるだけで、十分だよ。

今、しんどいなら、逃げても、いい。

あなたの居場所は、いつか、必ず見つかるから。

16年前の自分に言えなかった、この言葉を。今日、あなたに届けたくて、この記事を、もう一度、書いた。


🗓️ おわりに——0フォロワーから始めた、この3か月のこと

最後に、少しだけ、この3か月の振り返りを、書かせてください。

冒頭に書いた通り、私がこの記事を最初に投稿したとき、フォロワーは0人でした。

正直に言うと、最初の頃は、AIエージェントを使ってブログを作ってみる、という実験的な記事から始めました。今振り返ると、ずいぶん遠回りな入り口だったと思います。

そこから、自分の本当の声で書こうと決めて、うつのこと、看取りのこと、HSPのこと、ダイエットのこと、娘とのこと、そしてアドラーのことを、ただ、ひたすら書き続けてきました。

気づけば、記事は100本を超えました。

著書も出しました。ラジオも始めました。メンバーシップも開設しました。妻と一緒に仕事をするという10年来の願いも、叶いました。

何より、変わったのは——読んでくれる人が、いるということです。

0フォロワー・0コメントだったあの頃、私は、暗い部屋で、誰にも届かないかもしれない言葉を、ただ、投げていました。

今は、違います。

この、いちばん最初に書いた原点の記事が、フォロワーさんが増えた今、どんなふうに受け止めてもらえるのか。それを思うと、3か月前には想像もできなかった景色の中に、自分が立っていることに、気づきます。

だからこそ、もう一度、この記事を出します。

新しく出会ってくれた、あなたに。

「kirinohaって、こういう人間なんだ」と、知ってもらえたら、嬉しいです。

そして、もし、あなたが今、暗い部屋で、誰にも届かない言葉を、投げているなら。

私が、3か月で、こんなふうに景色を変えられたように。あなたの言葉も、いつか、必ず、誰かに届きます。

だから、どうか、書くのを、やめないでください。

あなたは今、自分のことを、ちゃんと「いていい人間だ」と、思えていますか。


プロフィール

作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ|中学からテニス継続|7歳娘の父|アドラー心理学13年実践|106kgから77kgへ減量|うつ・対人恐怖を経て、薬なしで生きられるようになった現場ベースの発信を続けています。

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ハッシュタグ

#うつ #対人恐怖 #作業療法士 #HSP #嫌われる勇気 #アドラー心理学 #生きづらさ #働き方 #note書き初め #自己紹介


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