映画館は現代の芝居小屋——歌舞伎好きが映画『国宝』を観て考えたこと
本の世界に浸かっている私ですが、日本文化、江戸文化も大好きです。
落語にも文楽にもそれぞれ魅力を感じますが、歌舞伎は「豪華絢爛」という項目では頭一つ抜けていて、総合芸術というのにふさわしい。
その豪華絢爛さの片鱗を映画館で味わうことができるのが、映画『国宝』なんですね。
映画館で座っているはずなのに、心は歌舞伎座の客席にいるような不思議な感覚。
映画のスクリーンを通して「歌舞伎を観る」ことで、いつもの映画鑑賞以上に「非日常」を感じることができました。
そして、「映画館って、現代の芝居小屋なのかも」という考えが浮かんできたのです。
『国宝』という類まれなる傑作
今さら、こんな辺境のnoteで力説するまでもなく、
映画『国宝』は傑作です。
この、日本映画史上に残る一大傑作は、しかし、今年突然現れたわけではありません。
芥川賞作家・吉田修一さんの原作本があります。
第69回芸術選奨文部科学大臣賞、第14回中央公論文芸賞受賞。
……そんな賞を引き合いに出すまでもなく、この原作本も「芸道小説の金字塔」と言われるほどの傑作なのです。
原作として、優れた小説があり、その素晴らしい映画化がある。
しかも、単なる「映画化」ではなく、映画としての完成度が素晴らしい。
映画『国宝』は、原作とはまったく別物として、
映画だけ観ても、完全に満足できる。
原作を読んだ人が映画を観ても、楽しめる。
映画を観た人が原作を読んだら、もっと面白い。
そんな、類まれな作品なんです。
作者の吉田さんは歌舞伎役者・中村鴈治郎さんの協力のもと、3年間にわたり「黒衣」(くろご)として歌舞伎界に密着しました。
3年で回った現場は、
歌舞伎座(東京)、松竹座(大阪)、博多座(福岡)、御園座(愛知)、金丸座(香川)、歌舞練場(京都)など、日本全国の名だたる劇場の数々。
これ、さらりと書いていますが、
「言うは易く行うは難し」の典型だと思います。
正直、聞いたことがないレベル。
でも、ガードが固い歌舞伎界を取材するには、こうするよりほかなかったそうです。
吉田さんは言うまでもなく、芥川賞作家ですし、
近年の本屋大賞ノミネートの常連作家。
こんな軽い言葉もどうかと思いますが、「売れっ子」です。
3年も「黒衣」として働かなくても、小説は書けたでしょう。
でも、そこまでして、歌舞伎の世界を描きたかったんですね。
役者が担う納得感と説得力
そして、この映画が傑作となったのは、原作者だけでなく、
関係者の理解・熱意があってこそだと思います。
特筆すべきは、やはり、歌舞伎役者を演じた、
吉沢亮さん、横浜流星さんの2人。
スクリーンの中だけで絶賛されている歌舞伎役者というだけでなく、
映画を観ている人全員に「納得感」を与える必要があります。
片や「人間国宝」になる役ですからね。
この演技に「説得力」を持たせるため、2人は、
1年半にわたる歌舞伎と日本舞踊の稽古を積みました。
しかも、役柄は「女形」です。
その努力は並々ならぬ……
などと形容できるような生易しいものではなかったでしょう。
当然ですが、2人とも、
歌舞伎と日本舞踊の稽古だけをやっているわけではありません。
吉沢亮さんは「キングダム」の政(始皇帝)など、
横浜流星さんは「べらぼう」の蔦屋重三郎などの役作りをこなしながら、
なおかつ、『国宝』に備えた準備をしているわけです。
……まぁ、実際の撮影時期は、かぶっていないかもしれません。
でも、私は、この1年間に、
『キングダム 大将軍の帰還』にも『べらぼう』にも、
リアルタイムで立ち会っているので、余計に驚愕してしまうのでした。
映画館と芝居小屋の共通点
さて、『国宝』が、原作・映画とも、いかに凄いか、という話が長くなってしまいました。
ここからは、映画館と芝居小屋について思うところを書いていきます。
江戸の庶民にとって、芝居小屋は、日常を越える「非日常」の入口でした。
今の私たちにとっての映画館もまた同じではないでしょうか。
歌舞伎の舞台では奈落から花道へ、役者がせり上がってきます。
映画館では照明が落ちて真っ暗になったスクリーンに、
突然、光と物語が浮かび上がります。
どちらも、観客を「非日常」に連れていく仕掛けです。
歌舞伎の舞台に「花道」があるように、
映画にもスクリーンという大きな“舞台”が広がっています。
そこを役者が歩き、観客は息をのんで見守る……
いや、歌舞伎の場合は、もっとにぎやかです。
歌舞伎を初めて観たときは、客席から突然、『成田屋!』などと叫ぶ人がいるのに、正直ビビりました。
でも、その声は決して邪魔ではなく、むしろ舞台を完成させるために欠かせない「観客の飛び入り」。
役者が見得を切るタイミングに合わせて声をかけることで、舞台は一層華やかになり、客席も舞台の一部となります。
映画における応援と一体感
そして近年、映画の世界にも「応援上映」という形で似た文化が広がっています。
ペンライトを振ったり、セリフを一緒に叫んだり、歌に合わせて声を出したり――
映画館という静謐な空間が、一気にお祭りの場へと変わる。
私は「応援上映」というものを知ったときは、
「映画は黙ってみるものやろ?」と眉をひそめたものですが……
私自身、『アベンジャーズ/エンドゲーム』で初めて応援上映に参加し――
その楽しさに、やみつきになりました(笑)。
きっと、江戸時代の芝居小屋も、こんな風に楽しかったんだろうな、と想像します。
両者に共通しているのは、観客が「ただ観る存在」にとどまらず、作品を完成させる共同演者になるということ。
応援上映と違って、通常の映画では、声に出して応援することはできません。
でも、心の中で、みんな「推し」(の登場人物)を応援していますよね。
そして、面白いシーンでは笑う。
悲しいシーンでは泣く。
驚きの瞬間には息を飲み、ドキドキの展開にはゴクリと唾を飲み込む。
映画館で観る映画には、一緒に観ている人との「一体感」が、たしかにあります。
そして、映画というのは、一緒に観ている人がいると、なおいっそう楽しめることを、私たちは経験上、知っています。
笑える映画は、一人で観るより何倍も楽しく、
泣ける映画は、一人で観るより何倍も泣ける。
映画館は現代の芝居小屋である――
この説に、ほんのちょっぴりでもご賛同いただけましたら、
今まで以上に、映画館に足を運んでみませんか?
『国宝』を未鑑賞であれば、まずはそこから。
もちろん、本物の芝居小屋で歌舞伎などを観劇したり、ライブやフェスで音楽を楽しむことでも、非日常感は味わえます。
(というか、映画館より、はるかに味わえるかもしれません)
ただ、そのようなマジモノの非日常体験は、
全国どこでも、誰でも、というわけにはいかないのが通常です。
ここでは、
「全国どこでも、誰でも、体験できる現代の芝居小屋」として、
映画館をおすすめさせていただきました。
『国宝』の二重三重の観劇構造
さてさて、話を映画『国宝』に戻します。
「観劇」という観点で『国宝』を考えると、通常の映画とは違い、その「観劇性」が二重にも三重にも折り重なっていることに気づきます。
スクリーンの中では、歌舞伎役者が舞台に立っています。
その姿を見つめる観客が、劇中に描かれます。
そして、私たちもまた、映画館でその観客の姿を見つめている。
役者 → 舞台の観客 → 映画の観客 → 現実の私たち。
まるで入れ子細工のように、視線と体験が重なっていくのです。
この重なりにより、現実の私が「観劇している自分」をもう一段外側から眺めているような気がしてきます。
ふつう映画館にいるとき、人は物語に没頭し、自分の存在を忘れます。
けれど『国宝』では、スクリーンに映る「観客」の姿を見た瞬間に、
「自分もあの人たちと同じように、まさに観劇しているのだ」と気づく。
つまりこの映画は、物語をスクリーンに映すだけでなく、「観客である自分」を可視化させる装置でもあります。
役者の人生を観ていたはずが、
いつのまにか観客である自分自身を観ている……
私は映画館の椅子に座って『国宝』を観ながら、いつのまにか「自分もまた映画の一部になっている」と感じていました。
そして、映画が終わり、劇場の灯りがともる瞬間。
映画ならではの静かな余韻を楽しむひととき――
実際の歌舞伎なら、割れんばかりの拍手が起こっていたでしょう。
私は、心の中で大きな拍手をしていました。
同じ時間を過ごした、大勢の観客と一緒に。
『国宝』を映画館で観ることができて良かったと心から思えた瞬間でした。
そして今、私はこうしてnoteに感想を書いています。
この文章を読んでくださっているあなたもまた、舞台裏の裏の裏に加わっているのです。
あなたがこの記事を読んだことで、映画館に足を運んだり、
このあと私が紹介する本を手に取っていただくなど、現実を動かすことができたなら――
私も、舞台裏の裏の裏を支える人間として、このうえない喜びです。
おまけ
『国宝』を観て、もしくは観る前に、もっと深く味わいたい方のために、司書として本を3冊紹介します。
映画の余韻をそのままに、歌舞伎や江戸文化の世界へと足を延ばせるラインナップです。
① 原作本
吉田修一『国宝』上下巻(朝日文庫)
映画の余韻を、もう一度「活字の舞台」で。
やはり原作。何はともあれ原作。映画を観たすべての方におすすめします。映画で描かれなかった人間関係や心情などを、じっくり追体験できます。
この2冊は、表紙を並べると、もっとカッコいい!

② 歌舞伎入門書
辻和子『最新版 歌舞伎の解剖図鑑』(エクスナレッジ)
初心者必携!歌舞伎の楽しみ方完全ガイド
映画を観て、歌舞伎に興味を持った方にはドンピシャな内容。
あらゆる角度から歌舞伎の魅力に迫る、歌舞伎入門の決定版です。
<参考>
演目についてさらに知りたい方には、
同じ著者の『歌舞伎の101演目 解剖図鑑』があります。
③ 江戸文化の楽しみ方
板野博行『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎 江戸を熱狂させたエンタメ界の風雲児!』(王様文庫)
横浜流星さんつながりで「べらぼう×江戸文化」の1冊
江戸文化や当時のメディア事情、歌舞伎と蔦重の関係もよくわかる。
盛りだくさんで、読みやすい。江戸エンタメ入門としておすすめです。
さて、今回の記事、いかがだったでしょうか。
映画を観ることも、舞台を観ることも、そして本を読むことも――
どれも観客として関わる体験です。
ぜひ次の観劇に出かけるような気持ちで、ページを開いてみてくださいね。
たくさんのnoteの中から、私の記事を見つけて読んでいただき、
ありがとうございました。
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