もったいないは胃が知っていた|松尾芭蕉と腸内細菌が同じ場所を指していた|西洋医学と東洋医学、両方で体を見たら面白かった話
前回の記事はこちら。
前回、ゆびきりげんまんの記事の最後に、こう書いた。
次回は視点を外に広げて、食べ物の話をしてみたい。
東洋医学の目と西洋医学の目で、フードロスを見たら何が見えるのか。
だから今日は、フードロスから書く。
「もったいない」って、ふだん何気なく使う言葉だ。
けれど、数字で見ると驚く。
日本では、まだ食べられるのに捨てられる食品が、 年間およそ464万トン にのぼる。
これは2023年度(令和5年度)の推計値。
2025年6月に農林水産省・環境省・消費者庁が公表した、過去最少を更新する数字だ。
1人当たりに換算すると、年間およそ37キログラム。
少なくなってきている。
それでも、まだ多い。
世界で「MOTTAINAI」が通じるようになったきっかけがある。
ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんが、日本語の「もったいない」をそのまま世界に持ち出したのだ。
2005年2月、京都議定書関連行事のために来日した際にこの言葉に出会った。
感銘を受けたマータイさんは、同年3月に国連本部での演説でこう提案した。
MOTTAINAIを世界に広めましょう
そもそも「もったいない」は、和製漢語の「勿体(もったい)」を「無し」で否定した、日本独自の表現だ。
室町時代の辞書『下学集』には、「勿体」は 「正体(本来あるべき姿)無し」 を指す語と書かれている。
もとは「神仏や貴人に対して恐れ多い」という気持ちを表す言葉だった。
それがやがて「物の価値を生かしきれていない状態を惜しむ」という、いまの意味へ広がっていった。
仏教用語そのものではない。
けれど「すべてのものはつながっている」「独立して存在するものはない」という仏教の精神性と、深く響き合う言葉でもある。
ところが、フードロスの現場を「身体の中」に持ち込んでみると、もっと面白いことが見えてくる。
私たちの体内では、もうひとつの「もったいない運動」が、ずっと行われていた のだ。
⚕️ 西洋医学が最近見つけた、体内のリサイクル工場
まずは、西洋医学の地図から広げてみよう。
人間は、食物繊維を消化できない。
これは生物学的な事実だ。
身体にいいと言われているのに、人間自身はそれを分解できない。
では、食物繊維はそのまま通り過ぎて終わりなのか。
そうではない。
大腸まで届いた食物繊維を、 腸内細菌 が引き受けて分解してくれる。
彼らは食物繊維を、酢酸・プロピオン酸・酪酸といった 「短鎖脂肪酸」 に変える。
中でも 酪酸 は、大腸の上皮細胞(コロノサイト)の主要なエネルギー源だ。
コロノサイトはエネルギーの60〜70%を、この短鎖脂肪酸の酸化から得ているとされている。
つまり、私たちが「消化できなかったもの」がある。
それを腸内に住む別の生物が引き受けて、エネルギーに変えていた。
ちょっと大げさに聞こえるかもしれない。
でも、身体の中では本当にそんなことが起きている。
人体は、フードロスを減らすためのリサイクル工場を、最初から内蔵していた ことになる。
ついでに言うと、栄養疫学の分野でも面白いことが分かってきた。
ブロッコリーの茎、大根の葉、人参の皮など、私たちが「捨てがち」な部位がある。
そこにこそ食物繊維やミネラルが豊富だと判明してきたのだ。
皮や芯まで食べることは、台所のフードロスを減らすだけではない。
体内のリサイクル工場に、燃料を届けることでもある 。
西洋医学の近年の研究は、いま 「捨てない身体」 に光を当てている。
🌾 東洋医学が、ずっと前から言っていたこと
次に、東洋医学の地図を。
少し古い言葉が出てくるけれど、言いたいことはとてもシンプル。
食べ物は、ただの燃料ではない。自然と身体をつなぐものだ 。
東洋医学には 「未病」 という言葉がある。
病気になってから治すのではなく、病気になる前に整える。
あるものを大事にして、過ぎないようにする。
そんな発想が、随所に織り込まれている。
中国最古の医学書『黄帝内経』には、自然界を木・火・土・金・水の5つの要素で捉える 「五行」 という体系がある。
その対応表のひとつに、 「五穀」 が並ぶ。
五行・五穀・五臓・季節の対応
木 |五穀:麦|五臓:肝|季節:春
火 |五穀:黍(きび)|五臓:心|季節:夏
土 |五穀:稷(あわ)|五臓:脾|季節:長夏
金 |五穀:稲|五臓:肺|季節:秋
水 |五穀:豆|五臓:腎|季節:冬
※五穀の対応は『黄帝内経』内でも複数の記述があり、ここでは「金匱真言論」に拠った。
穀物は単なる食物ではなく、自然界の一部。
人が勝手に取り扱える資源ではない。
相互に関係し合う網の目のなかの存在として位置づけられていた。
そして東洋医学では、飲食物のことを 「後天の精」 と呼ぶ。
生まれ持った命のもとを 「先天の精」 と呼ぶ。
それに対して、生きていく途中で食べ物から得るエネルギーが、後天の精だ。
先天と後天、どちらか一方が欠けても、人は生きていくことができない 。
食べ物は単なる「燃料」ではない。
命そのものの半分を担っているという考え方だ。
東洋医学の地図では、食べ物と身体は最初から別々のものではなかった。
自然・食物・身体・命が、一本の網の目でつながっていた のだ。
📜 松尾芭蕉も知っていた、「食を巡らせる」という旅の知恵
医学の地図だけではない。
日本の旅の文化の中でも、食を巡らせる知恵は語り継がれてきた。
松尾芭蕉が『奥の細道』の旅立ちの場面で、こう書いている。
ももひきの破れをつづり、笠の緒付け替えて、三里に灸すゆるより、松島の月まず心にかかりて
旅立ちの準備として、芭蕉は 足三里 (あしさんり)に灸を据えていた。
足三里は、膝のお皿のすぐ下から指4本分くらい下、向こうずねの外側にあるツボだ。
胃経 に属している。
胃の働きを補い、健脚・長寿のツボとして、江戸時代から旅人に親しまれてきた。
なぜ旅立ちに胃のツボなのか。
長い旅を歩き通すためには、 食べたものを最後まで身体のエネルギーに変えきる必要があった からだ。
食料が乏しく、宿の食事も今のように選べない時代。
旅人は自分の胃を最大限に働かせる必要があった。
だから芭蕉は、旅の最初に灸を据えた。
これは、いまの言葉で言えば 「食物のリサイクル効率を最大化する」 という発想だ。
腸内細菌の研究も、栄養疫学の知見もない時代。
旅人たちは経験から同じ場所にたどり着いていた。
🤝 三つの地図が、同じ場所を指していた
ここまでの地図を、重ねてみよう。
西洋医学は言う。
腸内細菌が、私たちが消化できなかったものを引き受けてエネルギーに変えてくれる 。
人体には、最初からリサイクル工場が組み込まれていたと。
東洋医学は言う。
食べ物は「後天の精」。命の半分を担う、自然との接点だ 。
「あるものを大事にする」「過ぎないようにする」が、その思想の根にあると。
そして松尾芭蕉は言う。
旅立ちの前に、胃のツボに灸を据えよ 。
身体は、食べたものを最後まで使い切ってこそ、長い道を歩ける、と。
三つの地図が、それぞれ別の言葉で、 「食べ物を最後まで活かす」という同じ場所を指している 。
捨てるはずだったものを、別の生命が引き取って燃料に変える。
ある場所で余ったエネルギーが、別の回路を通って全体に巡る。
口から入ったものが、胃を通り、腸を通り、足まで届いて、人を歩かせる。
最先端の医学と、古代の哲学と、江戸の俳人 。
時代も視点もばらばらの三つが、同じ景色を別の言葉で記述していたのだと思う。
🎯 今日できること:食欲のツボ「地倉」
毎週金曜恒例の、身体に触れる時間だ。
足三里は次回もう少し深く掘り下げる。
今回はその入口にある 「口元」 のツボに触れてみたい。
今日紹介するのは 「地倉」(ちそう) というツボ。
顔面部、口角の外方4分(指寸)の位置にある。
鏡を見ながら、口の端から指1本分ぐらい外側を、ゆっくり押してみてほしい。
強く押す必要はない。
痛気持ちいいくらいで十分だ。
地倉は、足三里と同じ 胃経 のツボだ。
胃経は、後天の精をエネルギーに変える経絡。
地倉は、文字どおり「地のもの(食べ物)を蔵に納める」というニュアンスを持つツボ で、食欲の調整に使われる。
食欲がありすぎる傾向にも、なさすぎる傾向にも、両方向に働くと言われている。
口元の地倉。
足元へ向かう胃経。
そして旅人が灸を据えた足三里。
こうして見ると、 食卓のフードロスを減らすことと、身体の中で食べ物を最後まで活かすことは、ひとつの経絡で地続きになっている のかもしれない。
次にご飯を食べるとき、口角に指を当ててみてほしい。
そこから足元まで、一本の道が通っている。
その道を通って、食べ物はただの食べ物ではなく、歩く力になっていく。
※ この記事は東洋医学の考え方を紹介するもので、医学的な診断・治療を目的としたものではありません。痛みや不調が続く場合は、医療機関を受診してください。
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🎥 見えない映像クリエイターが作った動画
「見えないからこそ想像できる世界」を音とテキストだけで紡いだ一本。
食べ物が身体の中を巡るように 、AIという新しい回路を通して 「できない」が「できる」に変わっていく 。
記事で書いた「ある場所で余ったものが、別の経路を通って全体に巡る」という感覚と、どこかで地続きになっている気がする。
https://www.youtube.com/watch?v=IH1r1bG4ypM
