感想『パディントン 消えた黄金郷の秘密』二人の父親を支配する声
前回の『ワーキングマン』の感想文からの続きになりますが、今回は10歳の娘と一緒に、「楽しい映画」を観ようという話になり、Amazonプライムの配信作品から選んだのが『パディントン 消えた黄金郷の秘密』でした。人気シリーズの第3弾となる作品です。
解説・あらすじ
イギリスの小説家マイケル・ボンドによるロングセラー児童小説を実写映画化した「パディントン」シリーズの第3作。パディントンの生まれ故郷である南米ペルーを舞台に、大切な家族を探しながら繰り広げる大冒険を描く。
パディントンは「老グマホーム」で暮らすルーシーおばさんに会いに、ブラウン一家とともに故郷ペルーへ旅行にやって来る。しかしルーシーおばさんは、眼鏡と腕輪を残して失踪していた。パディントンたちはルーシーおばさんが残した地図を手がかりに、インカの黄金郷があるというジャングル奥地へと向かうが、そこには家族の絆が試されるパディントンの秘密が待ち受けていた。
前2作に続いてベン・ウィショーがパディントンの声を務め、ヒュー・ボネビルがブラウン家の父ヘンリー、マデリーン・ハリスが娘ジュディを演じる。母メアリー役は前作までのサリー・ホーキンスに代わり、エミリー・モーティマーが担当。
2024年製作/107分/G/イギリス
原題または英題:Paddington in Peru
配給:キノフィルムズ
劇場公開日:2025年5月9日
ーーーーココからネタバレーーーー
■ソファーの記憶に涙
物語の冒頭では、メアリーが「家族が皆で寄り添っていた時代」の象徴として、「ソファー」の絵を描いています。
偶然、娘は私の膝の上に頭をのせてソファーにねそべり、画面のブラウン一家とまったく同じ姿勢で、この映画を観ていました。
かつては“いつも一緒”だった家族が、いずれはそれぞれ別の部屋で過ごすようになる。その現実が映画の中の光景と重なった瞬間、
「いつか娘も、僕の膝の上から自立する時が来るのだろうな」と、早くも私の目頭が熱くなりはじめます。
■二人の父親を支配する声
そして本作は期せずして、「ワーキングマン」に続いての「父娘映画」でもあります。ここでは二人の父親と二人の娘の関係性が、並行して描かれていきます。
一人は アントニオ・バンデラス が演じるハンター・カボットです。彼は祖先の言霊に囚われ、エルドラドの黄金を手に入れるために、
一度は娘を置き去りにし、あまつさえパディントンの命さえ奪おうとする、クズ野郎です。
彼を突き動かしているのは、
「血と伝統に従え」「先祖の声に背くな」という、過去からの命令です。
しかし、クライマックスで、彼はその「先祖の声」を断ち切り、黄金への執着を捨てて娘を選ぶ決断をします。そして最終的には娘と和解し、観光遊覧船を生業とする、ささやかな幸福を取り戻します。
この物語が示しているのは、
伝統や血縁そのものが悪である、という
単純な家父長主義の否定ではないと思います。
問題なのは、その「声」を内面化し、
目の前の家族との関係を犠牲にしてしまうことなのだと思います。
ハンター・カボットは、
「声に従い続けた父」として一度は失敗し、
その声を断ち切った父として回復する存在として描かれています。
もう一人の父親が、ヒュー・ボネヴィル 演じるブラウン氏です。
彼は企業倫理を完全に内面化した彼は、いわば“企業戦士”。
新社長から告げられた「リスクは友達」という言葉を過剰に信じ込み、家族を率いてペルーへの冒険へと踏み出します。
正直に言えば、思春期以降の子どもに
「成長のためだ」という理屈で未開の地への旅を強要すれば、現実なら大反発を受けるでしょう。
それでもブラウン家が崩壊せずに済んだのは、
「パディントンの叔母さんを探す」という目的が、家族を再び一つにまとめる装置として機能したからです。
ここで重要なのは、
ブラウン氏がこの「声に盲従した結果」、
本来の彼にはできなかった行動に踏み出し、
それによって現実の危機を乗り越えることができた、という展開が描かれる点です。
自己啓発的なスローガンを額面通りに信じ込むという、一見すると危うい選択が、結果として彼自身の内面を変化させ、家族と現実の両方を前進させる力として機能します。
結果、ブラウン一家はジャングル奥地で酷い目に遭いながらも無事に切り抜け、ブラウン氏は「リスクは友達」という言葉を行動原理とし続けたことで、ビジネスでも成功を収めます。
これは、血と伝統の声に従い続けた末に破綻しかけたハンター・カボットの物語を、
まったく逆方向から照射する構造になっています。
■父親が向き合うべき「声」
この二人の父親に共通しているのは、
どちらも「背後から語りかけてくる声」に突き動かされていたことです。
一人は、血と伝統に従えという声。
もう一人は、変化と挑戦を求める声。
しかし本作は、
「声に従うこと=悪」
「声を断ち切ること=正解」
という単純な二項対立を描いてはいません。
重要なのは、その声をどう扱うか、という点です。
声に従い続ければ破滅する場合もあれば、
声に従ったからこそ、今までの自分では越えられなかった一線を越えられる場合もある。
本作は、父親に対して
「どの声に従うか」ではなく、
「その声と、どう向き合うか」を問いかけているように思います。
■パディントンの選択
物語の終版、パディントンはルーシーおばさんと再会し、その先で自分の生まれた場所──エルドラドへと辿り着きます。
同族たちとの、あたたかな再会。
一度は失われたと思っていた「出自」が、そこにありました。
それでも彼が最後に選んだのは、
今の家族が待つ“ロンドン”でした。
遠くまで旅をして、「本当の自分」を思い出したその果てに、もう一度、“いまここ”を選びなおす。その姿に、胸を打たれました。
■家族は、選び直される
『パディントン 消えた黄金郷の秘密』が最終的に示すのは、家族は壊れることもあるけれど、それでも更新し、選び直すことができる、という希望です。
いずれ子どもたちが親の元を離れていくことを受け入れていくブラウン一家の物語。
そして、生まれた故郷を離れ、異郷の地で
「新しい家族」を自ら選び取るパディントンの物語。
この二つの物語は、立場こそ違えど、
同じ地点を指し示しています。
家族とは、血縁や過去によって固定されるものではなく、その都度、互いに選び直してもよい関係なのだということ。
子どもは、いつか離れていきます。
そして、やがては共に過ごす家族を選ぶ存在になります。
親にできるのは、
その選択を縛ることではなく、旅立ちを見届け、「戻りたい」と思ってもらえる場所であり続けることだけなのかもしれません。
『パディントン 消えた黄金郷の秘密』は、
愛らしい物語のかたちを借りて、
当たり前でありながら、覚悟を要する真実を、
父親である私たちにそっと囁いてくる映画でした。

