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感想『この本を盗む者は』「本泥棒」の意味を語る

今日、ようやく仕事納めを迎え、週末のレイトショーに滑り込みました。
観たいと思っていた『シャドウズ・エッジ』や『落下の法則』は、すでに上映時間が過ぎてしまっていたため鑑賞を断念し、今日(12/26)公開の新作の中で、いちばん惹かれた『この本を盗む者は』を観ることにしました。

この映画、結論から申し上げると、私の好きな系統の作品でした。
いわば「物語の力を信じる映画」です。

少し伝わりにくいカテゴリーかもしれませんが、例をあげると『ライフ・イズ・ビューティフル』や『パンズ・ラビリンス』、『ライフ・オブ・パイ』といった作品が、同じ系譜に連なるものだと思います。

これらの作品に共通しているのは、人が逆境や苦難、あるいは地獄のような状況に直面したとしても、その想像力――つまり「物語の力」によって、尊厳を失わずに生きることができる、あるいは尊厳を保ったまま死に向かうことさえできる、という視点です。

少し例えが重くなりすぎたかもしれませんが、「本」や「映画」といったフィクションに人生を救われたと感じたことのある、ある種の人間には、強く刺さる作品だと思います。
そうした観点から、『この本を盗む者は』について語ってみたいと思います。

あらすじ
書物の街・読長町(よむながまち)に暮らす高校生・御倉深冬は、曾祖父が創設した巨大な書庫「御倉館(みくらかん)」を管理する一家の娘だが、本を好きになれずにいた。ある日、御倉館の本が盗まれたことで、読長町は突然、物語の世界に飲み込まれてしまう。それは本にかけられた呪い「ブックカース」によるものだった。町を救うため、深冬は犬の耳を持つ不思議な少女・真白とともに、本泥棒を追って物語の世界を旅する。その中で深冬は、呪いの真実と御倉家に隠された秘密に迫っていく。

2025年製作/85分/G/日本
配給:角川ANIMATION
劇場公開日:2025年12月26日

引用:映画com

ーーーーここからネタバレーーーー










■ 本嫌いの主人公という違和感

この映画でまず注目すべきは、物語の中心にいる主人公が、本を愛していないという点にあります。

深冬は、なぜ本を嫌っているのでしょうか。
それは単なる好みの問題ではありません。

彼女は幼少期、祖母から「本を守りなさい」「他人を書庫に入れるな」と、本に対する異常なまでの執念を押し付けられて育ちました。
それは「御倉館の継承」という言葉で正当化されていましたが、実態は恐怖と脅迫による支配でした。

物語は本来、人を自由にするものであるはずです。しかし祖母にとって本は、守るべき神聖な存在であると同時に、他者を縛りつけるための道具でもありました。

その結果、深冬は、物語を楽しむ心そのものを奪われてしまいます

さらに彼女は、父の怪我をきっかけに、書庫の管理や叔母の世話を担うヤングケアラーとしての役割も背負わされることになります。
虐待の記憶と強く結びついた場所で不本意に働かされる――その状況が、彼女をさらに追い詰めています。


■ 「ブック・カース」が意味するもの

作中で描かれる「ブック・カース」は、単なるファンタジー的な呪いではありません。

町が物語世界に飲み込まれ、人々が自由意志を奪われ、ジャンルごとの法則に従って行動させられる様子は、物語が人の人生を支配してしまう状態の比喩として描かれています。

・この世界では、こう振る舞うべき
・この物語では、思考は不要
・この役割を演じなければならない

ジャンル(様式)とは、物語を理解するための便利な枠組みである一方で、人の生き方を一律に規定してしまう危うさも併せ持っています。

ブック・カースとは、物語が現実が見えない様に上書きし、個人の選択を奪ってしまう呪い(メタファー)なのだと思います。


■ 本当の「本泥棒」は誰だったのか

物語後半で明かされる真実は、非常に重いものです。

ブック・カースを作り出したのは、深冬の祖母、たまきでした。
稀覯本が盗難に遭ったことで正気を失ったたまきは、地元の狐神に魂を捧げ、「誰にも盗まれない、私だけの本」を作るために呪いを完成させます。

父は呪いを発動させるための本を書き、叔母ひるね(なんて名前だ!)は呪いの世界を維持するための依り代の様な存在にされている”地獄”がそこに展開していたのです。


■ 真白という存在――失われなかった物語

深冬の相棒である真白の正体は、彼女が子どもの頃に描いた絵物語のキャラクターでした。

祖母の呪いによって生み出された世界の中で、その絵物語のキャラクターが実体を持ち、真白という存在として現れていたことが明かされます。

真白は、深冬が物語を嫌いになってしまっても、恐怖に縛られてしまっても、心の奥底で消えずに残り続けていた想像力そのものだと言えるでしょう。

二人の関係が親密で、百合的に見えるのも偶然ではありません。
それは恋愛感情というよりも、傷ついた自己と、かつて物語を信じていた自己との再会に近い関係性として描かれています。

かつて、病身の母を元気づけるために自ら綴った絵物語の登場人物が、ずっと自分のそばにいて、挫けそうになるたびに支えてくれていた――そう思わせる構図そのものが、この作品の核心のひとつだと思います。

正直に言ってしまうと、
この展開は「ずるい」と感じてしまいました。

自分が創作した物語でなくても、
人が挫けそうになったとき、心の中に住んでいるヒーローが、そっと背中を押してくれることはあります。

たとえば
本郷猛、
矢吹丈、
アムロ・レイ、
竈門炭治郎。

そうした物語のキャラクターに励まされ、
「もう少しだけ頑張ってみよう」と思えた経験のある人であれば、この場面で胸に込み上げてくるものがあるはずです。

そんな感情を、真白というキャラは呼び起こしてきます。

この作品が描いているのは、物語が世界を救うという大きな話ではありません。
物語が、ひとりの人間を支え続けてきたという、とても個人的で大切な真実なのだと思います。


■ ラストが「創作」で終わる理由

そして一度は奪われたかに見えた真白が復活し深冬に戦う力を与えます、ここで物語は、鮮やかな反転を見せます。

「あなたは本を愛してなんかいない!」
「本を盗んだのは、あなた自身だ!」

そう、たまきは本を愛し、守っていたのではありません。彼女は、物語を独占し、他者から「物語を楽しむ自由」を奪っていたのです。

本を盗むとは何か。それは、物語を奪うこと。
想像力を奪い、生きる力を奪うことでもあります。

呪いが解け、世界が元に戻ったとき、真白は姿を消してしまいます。

しかし、物語はそこで終わりません。

深冬は、真白が消えないハッピーエンドの物語を、自分自身の手で書き始めます。

これは逃避ではありませんし、ご都合主義でもありません。

それは、奪われた想像力を取り戻し、他人の物語から距離を取り、自分の言葉で人生を語り直すという、回復の最終段階を表しているのだと思います。


■ この映画が信じているもの

『この本を盗む者は』は、物語を無条件に礼賛する映画ではありません。

むしろこの作品は、物語が人を縛り、時に壊してしまうことさえあるという現実を、正面から描いた映画です。

それでもなお、この映画は問いかけてきます。

それでも、物語を信じ直すことはできるのでしょうか。その答えは、ささやかですが、はっきりしています。

――できます。

ただし、それが「自分の物語」であるならば。

物語は、世界を閉じるためのものではありません。生き延びるためのものなのです。


■ 結語

――それでも、人は物語を手放さない

この本を盗む者はは、「物語の力を信じる映画」であることは確かです。
ただしそれは、無条件の賛歌でも、単純な希望論でもありません。

この映画はまず、物語が人を傷つけうるという事実から目を逸らしません。
祖母という存在を通して、物語がときに支配や暴力の道具になり得る現実を、かなり正面から描いています。

・善意の名を借りた押し付け
・文化や正しさという仮面を被った加害
・「守る」という言葉によって奪われる自由

そうしたものが、どれほど人の心を歪め、想像力を枯らしてしまうのか。
この作品は、その点を丁寧に見つめています。
それでもなお、この映画が最終的に差し出す答えは、「物語を捨てなさい」というものではありません。

物語は、確かに危うい存在です。

現実の日本社会を見渡してみても、「愛国」や「日本を取り戻す」といった物語が、どれほど人を分断し、傷つけ、自由を奪おうとしているかを、肌で感じる場面が増えているように思います。
そうした状況に直面するほど、物語の力が持つ負の側面を意識せずにはいられません。

だからこそ、誰かに与えられた物語に生きるのではなく、自分の物語として語り直すことが必要なのだと思います。

深冬が最後に選んだのは、本を守ることでも、書庫を継承することでもありませんでした。彼女が手に取ったのは、とても個人的で、小さな創作です。

真白が消えないハッピーエンドを、自分のために書くこと。

それは世界を変える物語ではありませんし、誰かを導く物語でもありません。ただ、自分が生きてゆく為の物語です。だからこそ、このラストは誠実に感じられました。

この映画は、本が好きな人のためだけの作品ではありません。むしろ、

・物語を好きでいられなかった人
・一度、物語から距離を取った人
・それでもどこかで、救われた記憶を捨てきれない人

そんな人たちに向けて、「それでもいい」「また始めてもいい」と、静かに語りかけてくる作品だと思います。

物語は、人を救います。
同時に、人を縛ることもあります。

それでも人が物語を手放さないのは、
物語がなければ、自分の人生を自分の言葉で語れなくなってしまうからなのかもしれません。

『この本を盗む者は』は、そのことを声高に主張するのではなく、
ひとりの少女が奪われた物語を取り戻していく姿を通して、
そっと示してみせた作品でした。

冬休みに観るアニメ映画の一本として、素直におすすめできる一本です!


追伸:

『この本を盗む者は』の原作者である、深緑野分さんが、
映画を観る前の「補助線」となるガイド文を書いてくださっています。

私は映画を観たあとに拝読したのですが、
物語の構造やテーマについて、あらためて考えるための
新たな視座を与えていただいたように感じました。

これから映画を観る方にとっては、
物語をより立体的に受け取るための手助けになると思います。
映画鑑賞の前に、ぜひ一度目を通してみることをおすすめします。





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