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映画『We Live in Time この時を生きて』感想:2025年に観るべき映画#2

2025年も残すところあと二週間となり、そろそろ今年の私的映画ランキングを考える時期になりました。
一年を振り返るこのタイミングで、心に深く残った作品について、言葉として書き留めておきたいと思います。

2本目に取り上げるのは、ジョン・クローリー監督作
『We Live in Time この時を生きて』です。
今年観た映画の中でも、個人的に最も強く、心に残り続けている一本です。

あらすじ

新進気鋭のシェフであるアルムートと、離婚して失意の底にいたトビアスは、運命的な出会いを果たし恋に落ちる。自由奔放なアルムートと慎重派のトビアスは幾度もの危機を乗り越えながら、やがて一緒に暮らしはじめ、娘が生まれ、家族としての絆を深めていく。そんなある日、自分の余命がわずかであることを知ったアルムートは、トビアスに驚きの決意を告げる。

2024年製作/108分/G/イギリス・フランス合作
原題または英題:We Live in Time
配給:キノフィルムズ
劇場公開日:2025年6月6日

映画com

本作でまず印象に残るのは、新進気鋭の一流シェフ・アルムートを演じたフローレンス・ピューの存在感でした。
彼女は非常に役選びの巧みな俳優で、『ミッドサマー』の頃から注目してきましたが、本作によってその評価はさらに確かなものになったと感じます。

フローレンス・ピューは、いわゆるアイドル的な人気で消費されるタイプの女優ではありません。
『ミッドサマー』で見せた、感情を大胆に露出させながらも決して制御を失わない演技によって、早い段階から「信頼できる演技派」として評価されています。

マーベル作品への出演によって知名度は飛躍的に高まりましたが、その後もスター性に安住することなく、人間の矛盾や弱さを正面から引き受けるインディペンデント系の作品に出演し続けています。

『We Live in Time この時を生きて』でのアルムート役も、そうしたキャリアの延長線上にあり、強さと脆さ、そして矛盾を併せ持つ人物として描かれています。

彼女は天才的な料理人であり、がんに侵され余命を知ったあとも、延命ではなくボキューズ・ドール(料理コンクール)に挑む道を選びます。

一見するとその選択は、スピルバーグの『未知との遭遇』や、アロノフスキーの『レスラー』などで描かれた、親による身勝手で自己破滅的な決断の物語に重なって見えます。

しかし本作が特別なのは、その選択が「自分のため」ではなく、「娘のため」に向けられている点でした。
アルムートは、自分がどれほど苦しいかを語ることも、周囲に理解を求めようとすることもしません。

彼女が残そうとしているのは言葉ではなく、「生き方そのもの」です。
母として、料理人として、どのように世界と向き合ってきたのか――その姿勢を、娘に引き継ごうとしているように見えました。


余談になりますが、私は、十年前に娘が生まれてから、自分の物の見方や人生の選択のし方が大きく変わったと感じています。

子どもとの時間が自分にとってどれほど大切なものかを知り、「自分が何をやりたいか」よりも「子どものために何ができるか」を自然と優先して行動するようになりました。

それは決して我慢や犠牲ではなく、むしろ「そうしたい」と心から思えるようになった変化でした。

その影響か、映画に対する感じ方も変わりました。
以前は、“家族を置いてでも夢に突き進む”主人公の姿を「男のロマン」として楽しめていたのですが、今では共感しづらくなっています。

先に挙げたスピルバーグの『未知との遭遇』や、アロノフスキーの『レスラー』についても、かつては不器用な主人公の立場に自分を重ねて観ていましたが、今では彼らの姿は、どこか甘えた「自己憐憫」のように映ってしまいます。


そんな中で観た『We Live in Time この時を生きて』は、同じく“夢に命を懸ける者の物語”でありながら、まったく異なる余韻を残しました。
その理由のひとつが、本作の非線形編集による時間構成です。

この映画は、出会いから別れへと一直線に進む物語ではありません。
幸福な瞬間と喪失の気配が、時間を行き来しながら、同じ重さで提示されます。
そのため観客の感情は、一方向に流れることができません。
「可哀想だ」「仕方がない」と主人公に対する感情が固定される前に、別の時間が差し出されるのです。

過去の幸福は、失われた輝かしい回想としてではなく、「確かに存在していた時間」として提示されます。

この構造によって、アルムートの人生は「死に向かう物語」ではなく、複数の時間が重なり合う、立体的な「生」として立ち上がります。
自己憐憫は、感情を一点に集中させたときに生まれますが、
この映画は、観客の視線を常に分散させ、その固定化を拒みます。

人はたとえ悲しい境遇に置かれていたとしても、常に悲しみの感情だけを抱え続けているわけではありません。
ふとした瞬間に過去の楽しい記憶を思い出し、思わず微笑んでしまうこともあるでしょう。
本作は、そうした人の感情の揺れ動きを、時間軸をずらすという手法によって観客に疑似体験させます。


そしてもうひとつ、この映画が自己憐憫に陥らない決定的な理由があります。それは、「残される側」の視点を、置き去りにしていことです。

アルムートを支えるパートナー、アンドリュー・ガーフィールド演じるトビアスは、理解ある伴侶として描かれるだけでなく、葛藤し、怒り、迷い、傷つく存在としても丁寧に描かれます。
約束していた結婚式を反故にされる展開には、胸を締め付けられました。

それでも彼は、命を燃やし尽くそうとするアルムートを支え、残された娘のために父親としての役割を引き受けていきます。
この姿は、これまでの映画で繰り返し描かれてきた「破滅的な父親像」とは、まったく異なるものでした。


そしてラストで描かれる、トビアスがオムレツを作るシーン。
この何気ない場面で、私は涙が止まらなくなりました。

彼が卵を平らな面で割っていたからです。
それは、かつてアルムートが行っていた所作でした。
料理の技術というほど大げさなものではなく、日常の中に溶け込んだ、ほんの小さな癖のような動作です。

しかしその所作が、彼女の死後もトビアスに引き継がれている。
そしておそらく、それは娘にも引き継がれていくのでしょう。


この映画が描いているのは、主人公の偉業や成功ではありません。
人が生きた痕跡は、こうした何気ない日常の所作として、静かに他者の中に残っていくーー。

そう思えた瞬間、この映画と、そして自分の家族の存在が、たまらなく愛おしく感じられました。

人生は終わっても、その痕跡は残り続ける。
人は、知らず知らずのうちに、誰かの生き方を受け取り、また誰かに手渡していく。
『We Live in Time この時を生きて』は、そのことを決して声高に語ることなく、オムレツ一枚で示してみせます。


観終わったあと、私は考えました。
もし自分の妻が「夢に向かって突き進む」ことを選んだとき、自分はトビアスのように支えられるだろうか、と。

この映画は、単なる“夢と破滅”の物語ではありません。
それは、“家族のために夢をどう残すか”、そして“残された者がどう生きていくか”を描いた映画でした。

父親である自分自身のこれからの生き方を、
見つめ直させてくれる一本だったと思います。

忘れがたい余韻を残す一本として、
2025年を代表する一作として、
強くお薦めします。


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