映画『サブスタンス』感想:2025年に観るべき映画#1
2025年も残すところあと2週間となり、
そろそろ今年の私的映画ランキングを考える時期になりました。
そこで今回は、今年観た作品の中でも、
ベスト級だと感じた作品について、
感想を書き留めておきたいと思います。
1本目は、コラリー・ファルジャ監督の
『サブスタンス』
あらすじ
50歳の誕生日を迎えた元人気女優のエリザベスは、容姿の衰えによって仕事が減っていくことを気に病み、若さと美しさと完璧な自分が得られるという、「サブスタンス」という違法薬品に手を出すことに。薬品を注射するやいなやエリザベスの背が破け、「スー」という若い自分が現れる。若さと美貌に加え、これまでのエリザベスの経験を持つスーは、いわばエリザベスの上位互換とも言える存在で、たちまちスターダムを駆け上がっていく。エリザベスとスーには、「1週間ごとに入れ替わらなければならない」という絶対的なルールがあったが、スーが次第にルールを破りはじめ……。
2024年製作/142分/R15+/イギリス・フランス合作
原題または英題:The Substance
配給:ギャガ
劇場公開日:2025年5月16日
この映画を観て、
私が最初に抱いた感想は、
「異常な映像体験と、優しい余韻が両立する稀有な映画体験だった」
というものでした。
観る前から、本作が過激なボディホラーであることは知っていました。
そのため、どこか身構えながらスクリーンに向かっていたのも事実です。
しかし、観終えたあとに胸に残ったものは、
単なるショックや嫌悪感ではなく、
もっと静かで、温かみのある情感でした。
■ ファルジャ作品に一貫する「身体」へのまなざし
コラリー・ファルジャのフィルモグラフィーを振り返ると、
彼女が一貫して「身体」というテーマに取り憑かれてきた監督であることは、はっきりと見えてきます。
短編時代の作品「Reality+」では
テクノロジーによって身体がシステムに管理され、個人の意思が侵食されていく感覚が、
寓話的かつ実験的に描かれていました。
そこでは身体はすでに「自分のもの」であることをやめ、交換可能で、代替可能な“資源”として扱われています。
その問題意識が、
長編デビュー作『REVENGE リベンジ』(2017)において、一気に過激な形をとって噴出します。
■ 『REVENGE』における暴力と反転
『REVENGE』は、しばしばレイプリベンジ映画として語られますが、
実際にはそのジャンルを内部から破壊する作品だったと思います。
この映画でファルジャが可視化したのは、
暴力行為そのもの以上に、
女性の身体を消費する「視線」の暴力性でした。
血や傷、痛みが過剰なまでにデザインされているのは、観客に快楽を与えるためではありません。
むしろ、その居心地の悪さを通して、私たち自身の視線の在り方を問い返すためだったはずです。
ここで描かれていたのは、単純な
「被害者が復讐者になる物語」ではありません。
性搾取的な視線を跳ね返し、ジャンルが持つ期待そのものを裏切る存在への変質でした。
特に印象的だったのが、
主人公から狙われて逃げ惑う男が、
シャワー途中の全裸状態で必死に逃げ回る場面です。
それは、『大アマゾンの半魚人』以来連綿と続いてきた、
「露出度の高い女性が逃げ惑う姿を消費する」という、ジャンル映画のお約束への、あまりに明確で、思わず笑ってしまうほどのカウンターでした。
■ 奪われる身体から、管理される身体へ
『REVENGE』では、身体は奪われ、傷つけられるものでした。
しかし『サブスタンス』では、
身体は最初から最後まで
「最適化されるべき資源」として扱われます。
そこにあるのは強制ではなく、合意です。
被害ではなく、自己選択です。
だからこそ、この映画の恐怖はより深く、逃げ場がありません。
私たちは誰かに搾取されているのではなく、
自ら進んで、自分自身を搾取している。
『サブスタンス』は、その構造を、
ボディホラーという形で冷酷に可視化します。
■ 『サブスタンス』で変わった「敵」の正体
『サブスタンス』を観始めた当初、
私はこの映画を
「こぶとりじいさん」や「舌切りすずめ」のような、分かりやすいモラルテールなのだろうと、思い込んで観ていました。
欲張った者は罰を受ける。
若さや美に執着すれば、無惨な末路が待っている。
ラストは『溶解人間』のように、
誰かに「グチャ」と踏み潰されて終わるのだろう――
そんな展開を予想していたのです。
しかし『サブスタンス』は、
その予想を裏切りました。
この作品で描かれる「敵」は、
もはや特定の加害者や男性ではありません。
若さ、美、成功、自己実現、
そしてそれを可能にするシステム。
言い換えれば、
社会全体が内面化させてきた価値観そのものだったのです。
■ 訪れる、予想外の「救い」
物語の終盤、
誰にも必要とされなくなり、
最後の最後まで醜く足掻き続けた彼女に、
意外な形で「救い」が訪れます。
ラストシーン。
彼女は満天の星を見上げる。
かつての全盛期、輝いていた頃の自分を、
幻影の中で迎え入れる人々がいる。
必要とされていた記憶の中で、
彼女は微笑み、
その人生を終えていくのです。
この場面を観たとき、
私は「罰」ではなく「救済」の感触を覚えました。
■ 「星で始まり、星で終わる」という構図
「星で始まり、星で終わる」。
その構図を見て、
ふと思い出したのは、
デヴィッド・リンチの『エレファント・マン』でした。
誰にも顧みられなくなっても、
社会から排除されても、
それでも自分なりにやりたいことをやりきった先に訪れる、
あの静かな安らぎ。
『サブスタンス』のラストは、
道徳的な教訓を提示するものではありません。
むしろそれとは正反対の、
「生き抜いた者への赦し」に近いものだと、
私は感じました。
■ 残酷で、だからこそ誠実な映画
『サブスタンス』は、
フェミニズム映画であると同時に、
成功と若さを信奉する現代社会そのものを解剖する映画です。
そして同時に、
最後の最後で観客を突き放すのではなく、
そっと星空を見上げさせる映画でもあります。
異常な映像体験と、優しい余韻。
この相反する感触を同時に成立させてしまった点にこそ、コラリー・ファルジャという監督が『REVENGE』から『サブスタンス』へと歩んできた道のりと、その到達点があるのだと思います。
当初想像していたような
「分かりやすい罰」の物語ではなく、
生き抜くための勇気を、
私はこの映画から勝手にもらいました。
『サブスタンス』は、
残酷で、誠実で、そして不思議なほど優しい映画です。
忘れがたい余韻を残す一本として、
2025年を代表する一作として、
強くお薦めしたいと思います。
