なぜ「仕事」に「遊び」が入りにくくなるのか(後編)
前々回の記事(前編)では、一人でやる「仕事」において「遊び」が入らない理由について考え、前回の記事(中編)では、社会的関係の中での生き物の成長という観点で「遊び」に「一線を超えないようにする」ことと「皆が平等に参加している」ためのルールが必要になることを指摘した。
今回は、上記のことをふまえて、「仕事」が社会的な関係のもとで行われる場面について考えていく。
現代社会において「仕事」が展開される社会的な関係は多様である。個別にみていくときりがないので、ここでは古典的な経済学ではあるが、オリバー・ウィリアムソンのフレームを借用して、市場での「取引」上の関係か「組織」上の関係かのどちらかであると大きく分けた上で進めることにする。
「取引」のなかの「遊び」
「取引」においては、想像力をつかって今までにない考え方や行為を織り込む場面は「交渉」のなかで現れると考えられる。「交渉」においては、単に数量の変更ということにとどまらず、お互いにこれまでと違う関係の結び方(例えば、〜をしなかったら取引をしない、など)、物事の進め方を提案しあうことがある。
ただし、そのような「交渉」ができる前提には、「遊び」的なやりとりを混ぜて交渉が不守備に終わっても、今後も「取引」の相手であり続けてくれるだろうという信頼関係を構築しておくことが不可欠である。「取引」場面以外でのお付き合いが行われる(会食したり、ゴルフいったり)と言う理由もそこにあるのかもしれない。
また、その「取引」がお互いにフェアな立場で行われていると感じているかが「遊び」のためには重要である。「取引」が繰り返されていく中で、またビジネス環境の変化によって、どちらかが有利な立場になることは十分に考えられる。パワーバランスは崩れ「遊び」を「取引」に取り込むことは難しくなっていくであろう。
こうした「取引」関係に、無理に「遊び」を入れる必要はないのだろうか。私は必要だと思う。「遊び」すなわち現行とは違う関係性のあり方を探索することがなければ、いわゆる商慣習的なものに支配されていくことになる。
「組織」のなかの「遊び」
「組織」という社会的な関係も、分類すればいろいろな関係のあり方があることを指摘できるのだが、ここでは最も代表的な一つに絞って話を進めることにする(話が終わらなくなるので...)。
それは、ある目的を達成するために手段を分化して担い(分業体制)、それぞれの役割分化の間のずれを調整する管理者を作業者の上位に置くという見方である。
このような関係の中では、時間と共に「分業」に従事した人の間で経験差のばらつきが生じてくる。ベテランと新人の差である。これに職務転換などを組み込んでいる組織では、さらにばらつきは広がる。
上記のような状況下で、組織成員に想像力を駆使して普段とは異なるやり方を探るような「遊び」を含んだ会話や取り組みは生じにくい。経験差が壁になって「皆が平等に参加している」という感覚が前提から崩れているからだ。
そのような場で、怖いのはベテランが悪気なく「そんなことも知らないのか」「昔はな〜」という話が出した瞬間である。「遊び」のある取り組みは消滅してしまうであろう。新人との経験差を踏まえて等しい立場で振る舞えるベテランの存在を否定しないが、自然発生的にそう振る舞える人の割合は高くないだろう。
さらに、管理者の存在が「遊び」の発生を押さえつける。そもそも管理者という地位の設計思想自体が「不平等」前提だからである。
なので、残念ながら、管理者個人がいくら「平等な立場」と主張しても、他の成員(部下)と平等かつ管理者の立場ということ自体が矛盾している。
そんな中、主張通り「一線を超えないように」考え振る舞うのは、部下にとって地雷原の中を踊りながら陽気に進めといわれているようなものであろう。「遊び」ではなく「罰ゲーム」に近い状態になる。
また、管理者と部下を制度上、平等な立場と規定することは考えられなくはないが、その場合には責任だけがあって執行権限がないわけで管理者側のメンタルがもたないであろう。
確かに、人格の力によって、部下が「一線を越えることなく」いろいろなことを自由に試し、「平等な立場で参加している感覚」をもたせることのできる管理者が存在する。そのような人が必ず管理者になっていればよいが、以下のような調査をみていると、その割合は決して高くない。大きな組織になれば、そうでない管理者の数が増えることになるので組織全体としては、やはり「遊び」のない組織になっていく。
このようなわけで今回扱った最も代表的な「組織」のあり方の中では基本的に「仕事」に「遊び」は発生しにくい。もし「発生」していたとしても「遊び」の持つポテンシャルがほとんど発揮されない状態であろう。
「仕事」に「遊び」をもたらす場と職能
ではどうすればいいのか。
一つは、全員が平等な立場かつ自由に振る舞いながら一線を超えない範囲で参加できる組織に転換するという方法である。ティール組織やホラクラシー組織などは、その一つのあり方でもある。
ただ、そのような組織への転換は一気に進められるほど簡単なものではない。
理想をそのような組織に見つつ、大きな組織にとっては実際には、部分的・一時的に「仕事」に「遊び」を組み込む場、つまりシリアスプレイがなされる場をつくるのが現実的な解であろう。
そのような場は、ワークショップと呼ばれているもので、その場を作り出し活動を進行する人はファシリテーターと呼ばれている。どちらもここ10年ぐらいで世の中に非常に浸透してきている。
世界がより激しく大きく変化をしていくならば、ワークショップやファシリテーターは組織の中で常に必要になるはずだ。マネジャーとは別に(もしかしたら置き換わる?)必置の職能になっていくに違いない。
