なぜ「仕事」に「遊び」が入りにくくなるのか(中編)
前回の記事では、一人で何か仕事をするときに「遊び」が入りにくくなる理由を挙げてみた。今回は、「二人以上で仕事を進める」という状況を考えるために、まず「二人以上で」にフォーカスを当て、議論を整理していきたい。前回に引き続き、以下の議論のベースになっているのは以下の書籍である。
社会的な行為と「遊び」
私たちは成長するにつれ、一人ではなく、二人以上で何かをやりとりするようになっていく。それは「社会的な行為」として行うようになっていくということでもある。
つまり、人間社会では成長していく過程で、お互いの役割や立場というものを意識して行為することを学ばされている。親子とはどういうものか、兄弟とはどういうものか、少しずつ関係の理解を広げていきながら、世界を理解する枠を広げていく。この場合、とくにごっこ遊びや、物語作りなどの空想の遊びは、さまざまな関係性の理解を加速させる。
その意味で、社会的な関係を発展させている人間にとって「遊び」は非常に重要な活動であるといえる。
今回の議論の下地になっている上記の書籍によれば、「遊び」は関係を学ぶことのなかでも「してよいことの限界を学ぶ」ことについて、特に役立つという。子供同士だとお互いの力も弱いので「遊び」の中で喧嘩になっても大事にはならないことがほとんどだ。そして自分のしたことの反応を相手も大きく返す(泣く・痛がる・怒る)ので、そこから学び(時には大人も手伝って)、社会的なルールを身につけていくことになる。
成長した人間の「遊び」に必要なこと
ただし、年齢を重ね成長すると、社会的な行為における「遊び」には工夫が必要になる。
まず、成長につれ、さまざまな基礎能力があがっていく。肉体でも精神でもそれが交錯するときの元のパワーが強いので事故が起こりやすくなる。
つまり、「遊び」の中に「お互いに一線を超えないための」ルールがとても重要になる。
次に、成長するにつれ個体差、つまり得意・苦手な分野が出て差が大きく開いてくる。ここで「遊び」の重要な前提の一つが現れてくる。つまり、誰もがその遊びの主役になれる可能性があるところに遊びは成立するという前提である。これが崩れていると、その行為は面白くなく、想像力で場をリードする場面もなく、相手への共感も薄れてしまうので、遊びにすらならなくなる。
つまり、「遊び」の中に「皆が平等に参加できていると感じるための」ルールがとても重要になる。
まとめると、成長に従って出てくる問題に対処するために、成長した生き物の「遊び」にはルールが必要になってくる、ということになる。そのようなルールが作れない・守れなければ、その生き物は「遊び」によって自らを滅ぼすリスクに晒され続けることになるだろう。もしくは、リスクを避けるために、成長につれ「遊び」自体が消えていく(子供のときほど楽しくなくなる)ように進化していくのかもしれない。
人間という生き物は、両方持っている感じがする(生物学者はどう考えているのだろうか)。ただ、前の記事で述べたように、変化する環境の中では、生き残るために想像力が必要であり、成長と共に想像力を失わないためにも「遊び」を取り込むことに自覚的にチャレンジしなければならない。
次回は、今回の考察の上に重ねる形で、いよいよタイトルにある「仕事」における「遊び」について考えていきたい(次回に続きます!すみません)。
