【切迫早産・NICUの記録 #18】順調だったはずなのに、退院できなかった理由
この記事は、双子の超早産とNICU入院についての父親の記録です。
当時、何が起きていて、何を考えていたのか。
感情が追いついていなかったことも含めて、できるだけそのまま書き残しています。
この出来事全体の経緯や、この記録を書こうと思った理由については、最初にまとめた固定記事に書いています。
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今回は、双子の姉に発生した無呼吸について書いておきたい。
無呼吸が退院前に立ちはだかった壁
NICUに入院してから約3か月。
体重も増え、呼吸器も外れてきた。
順調に育っているように見えた。
そんな頃だった。
双子の姉に、呼吸が止まることがあると分かってきた。
無呼吸。
それが、退院前に立ちはだかった壁だった。
姉の無呼吸は、特に哺乳中に起こることが多かった。
ミルクを口に含むことはできる。
でも、飲み込むこと、呼吸を続けることが両立できない。
ごくごく飲むと、呼吸のほうが止まってしまう。
看護師さんは、「また呼吸忘れちゃったね」と明るく言った。
その軽さに救われる一方で、こちらは毎回少し緊張していた。
病院では、酸素モニターや心電図で常に状態が見られている。
異変があればすぐに気づくことができる環境だった。
それでも、実際に目の前で起きると、怖かった。
目の前で、呼吸が止まった
哺乳瓶でミルクをあげているときだった。
ふと、違和感があった。
さっきまで動いていたはずの胸が、止まっている気がした。
「……あれ?」
そう思った瞬間、顔色がみるみる悪くなっていった。
ピンクだった唇が、紫に変わっていく。
このとき、初めてだった。
自分がミルクをあげている最中に、無呼吸が起きたのは。
どうしていいか分からず、手が止まった。
声を出したのかどうかも覚えていない。
気づくと、看護師さんが何人も集まってきていた。
背中をトントン、と叩く。
数秒後、咳き込みつつ息を吸い込んだ。
止まっていた呼吸が戻り、酸素濃度もゆっくりと上がっていく。
何事もなかったように、また動き出した。
本当に、何もなくてよかった。
でも同時に思った。
もしこれが、家で起きていたら——。
「待つしかない」と言われた時間
無呼吸は、成長とともに自然と治っていくことが多いと説明された。
ただ、それがいつなのかは分からない。個人差が大きく、予測はできないという。
要するに、待つしかないということだった。
退院の目安は、「無呼吸が落ち着くこと」。
特に哺乳中の発作がなくなることが、一つの基準だった。
もし自宅で同じことが頻繁に起きたら。
そう考えると、私も妻も、この方針には納得していた。
退院が見え始めた頃から、自宅で過ごす準備を進めた。
必要な物を揃えたり、病院で一晩一緒に過ごしたり、医療ケアの練習をしたり。
いつでも帰れるように。
一つ一つ、準備を進めた。
それでも——
1ヶ月経っても、無呼吸は収まらなかった。
看護師や医師も、「あとどれくらい」とは言えない状況だった。
さらに時間が過ぎ、結局退院できたのは、そこからもう1ヶ月後。
トータルで約2ヶ月、途中で転院をはさみつつ、無呼吸が収まるのを待つことになった。
ズレていく現実
退院が近いと思っていた証拠は、家の中に揃っていた。
新生児用のオムツ。
退院の日に着せようと思っていた、セレモニードレス。
でも、待っている間に、それらは少しずつ現実とずれていった。
オムツはサイズアウトしてしまい、返品することになった。
退院用のセレモニードレスも、ギリギリ着られるかどうか。結局、1回か2回しか袖を通すことはなかった。
ベビーバスやベビーベッドに入るうちに、退院になるのだろうか。
準備していた分だけ、
「まだ帰れないんだな」という現実を、何度も突きつけられるようだった。
分かっているのに、焦ってしまう
NICUに入院したばかりの頃は、ただ願っていた。
命が助かってほしい。それだけだった。
でも、少しずつ状況が落ち着いてくると、願いは変わっていく。
早く退院したい。
小さいうちに、この服を着せたい。
年末年始は、家で一緒に過ごしたい。
SNSで、同じくらいの月齢の赤ちゃんを見ると、余計にそう思ってしまう。
本当は分かっている。
双子は双子のペースで成長している。
それが一番大切なことだということも。
それでも——
自分がどんどん欲深くなっていくことに、戸惑った。
分かっているのに、焦りだけが募っていった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。ここに書いたのは、長い出来事の中の、ほんの一場面です。
この記録全体の背景や、なぜ書き続けているのかについては、固定記事にまとめています。
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