小春ちゃんは、本を薦めるのが少し苦手 #1
小さな書店併設カフェ「かーでぃ書店」には、今日も何かを探す人がやってきます。本を通して、誰かの気持ちが少しだけ動く。これは、そんなやさしい物語です。
登場人物
小春:高校生アルバイト。やさしくて少し天然。
木村誠:店長。寡黙で誠実。本とコーヒーが好き。
前の話
第一話 はじめの一歩は、たぶん正解じゃなくていい
雨の日の夕方、かーでぃ書店のドアが静かに開いた。入り口のベルが、小さく澄んだ音を鳴らす。

入ってきたのは、二十代後半くらいの男性だった。濡れた傘をたたみながら、どこか気の抜けたような顔で店の中を見回す。スーツ姿ではないけれど、仕事の悩みを頭の中に抱えたまま歩いてきたような表情だった。
窓の外では、駅前大通りを路面電車がゆっくり通り過ぎていく。雨の日の店内は、いつもより少しだけ静かだ。
「いらっしゃいませ」
店長の木村と談笑をしていた小春は、そう声をかけてから、そっと相手の様子を見た。男性は本棚の前まで来たものの、本を手に取るわけでもなく、ただ立ち止まっている。
何かを探している、というより、何を探せばいいのかわからない、そんな立ち方だった。小春は少しだけ迷ってから、近づきすぎない距離で声をかける。

「何か、お探しですか?」
男性は一瞬だけ顔を上げ、それから少し困ったように笑った。
「ええと…本を探してる、というか…ちょっと、頭の中を整理したくて」
「整理、ですか」
「えぇ。会社で…DX推進の担当になったんですけど……」
そこで言葉が止まる。
言いにくいことほど、短い文のあとに沈黙が落ちるものだと、小春は思う。
「正直、何をしたらいいのか全然わからなくて」
小春は小さくうなずいた。男性は、ぽつりぽつりと話し始める。会議では、AIだの自動化だのデータ活用だの、いかにもそれらしい言葉がたくさん並ぶ。上司からは「来期に向けてDX案をまとめておいて」とも言われた。
でも現場では、紙もExcelも電話もまだまだ現役で、何なら、それでもそこそこ回ってしまっている。
ここに何を足せば“DX”になるのか。
何を提案するのが正解なのか。
考えれば考えるほど、わからなくなるのだという。
「何か新しいツールを入れればいいのか、とか。
AIの話を持っていけばいいのか、とか……でも、うちにはどれも話が大きすぎる気がして…」
「そうなんですね」
小春は相づちを打ちながら、指先で本棚の背表紙をそっとなぞった。
DX。業務改善。自動化。IT入門。
この店には、それらしい本はいろいろある。けれど今、この人が欲しいのは“それっぽい答え”ではない気がした。
「いきなり、大きなことを決めなくてもいいのかもしれませんね」
そう言ってから、自分の言葉に少しだけ不安になる。もっとぴったりの言い方があるのではないか。そんなふうに考えてしまうのが、小春の癖だった。
そのとき、カウンターでコーヒーを淹れていた木村が、こちらを見ずに口を開いた。
「DXって、新しいものを入れることより、今どこで誰が困ってるかを見つけることのほうが先かもしれませんね」
男性が顔を上げる。
木村は、ドリッパーから落ちる雫を見ながら続けた。
「現場の人が、毎日ちょっと面倒だと思ってること。そこが気が付くと、次に何をするべきか、見えてくるかもしれません」
派手な言い方ではなかった。でも、その言葉は、雨音の中でも妙にはっきり聞こえた。
男性は、少し息をつくように笑った。
「なるほど……最初から“会社を変える案”を出さなきゃいけない気がしてました」
「変える、というより」 木村は静かに言う。
「まずは、引っかかってるところを見つける感じですかね」
小春はその言葉を聞きながら、棚の一角に目を向けた。そして一冊の本を取り出す。

『プログラミング、はじめの一歩』
男性は少し意外そうに、その表紙を見た。
「……プログラミング、ですか?」
「はい」
小春は本を両手で持ちながら、ゆっくり言葉を選ぶ。
「DXって、何か大きな仕組みを急に作ることみたいに見えることが多いと思うんですけど……でも、自分で少しだけ“仕組みってどうできてるんだろう”って知っていると、見え方が変わる気がして」
男性は黙って耳を傾けている。
「この本は、仕組みってこういうふうに考えるんだ、って知るための入口みたいな本なんです。すぐに仕事を自動化するとか、そういうためじゃなくて。まずは自分が“わかる側”に一歩近づくための本、というか……」
言いながら、小春は少しだけ照れくさくなる。うまく伝わっただろうか、と不安になる。けれど男性は、本の表紙を見つめたまま、小さく笑った。
「なるほど」
「会社をいきなり変える前に、まず自分が“わかる側”になる……か」
その言い方が、すとんと腑に落ちたようだった。小春も、ほっとしたようにうなずく。
「最初の一歩としては、いい本だと思います」
男性はその本を手に取ると、さっきより少しだけ軽い表情でレジへ向かった。
窓の外を見ると、雨はいつの間にか弱くなっている。会計を終えたあと、男性は本を抱えたまま言った。
「最初から正解を出さなきゃって、思いすぎてたかもしれません」
小春はやわらかく微笑む。
「一歩目が小さくても、前に進むことには変わらないと思います」
男性は「ありがとうございます」と頭を下げ、店を出ていった。
ドアが閉まり、ベルがまた小さく鳴る。
その背中は、入ってきたときよりほんの少しだけ、まっすぐに見えた。
小春は棚に視線を戻しながら、そっと息をつく。うまくすすめられたかどうか、まだ少し自信はない。
でも、誰かの迷いが少しだけ軽くなる瞬間に立ち会えた気がした。
カウンターの向こうで、木村が小春ようにコーヒーを注いでる。そのやわらかな香りが、小春をそっと包み込んでくれた。
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