塵と十字架(2)
二〇三三年七月六日国会議事堂テロⅠ 約束
空の上じゃ、花火みたいに人が死ぬよ。
「はぁ?」
僕は余程惚けた顔をしていたのだろう。何だよ、と口の中でごにょごにょ呟いていると、ふかしていた煙草を取って捨てられた。返せと怒鳴ると、思い切り頭を殴られる。
当時、僕は十一歳。二年前に日本国内で起こった初めてのテロで両親を失って以来、不登校になっていた。ショックで、ではない。悪い習慣(アソビ)を覚えたからだ。そう、煙草とか薬とか。
「おい、止めろってば。イズミ」
「黙りなさい。チカゲ! ほら、また!」
僕のシャツをまくり、ベルトに挟んで隠していた煙草の箱を奪い取ったのは赤い髪をした女だ。
「返せよ」
言っても無駄な事は分かっていた。誰もこの姉に逆らう事は出来やしない。
「駄目よ。煙草の害は証明されてるの。アメリカじゃマリファナと同じ段階の薬物指定を受けたんだからね」
高い声で捲し立てる。何言ってやがる。ここはニッポンだ。煙草の何が悪いんだ。そんな酒臭い息で何言ったって、説得力ねぇんだよ。心の中で思い切り毒づく。とてもじゃないが、口に出す度胸はなかったが。
「ほら、イズミ。これ……埋めるんだろ」
煙草は諦めて、話題を変える為に足元のそれをつつく。
「埋めるんじゃないの。植えるの!」僕の足を手で払う。蹴るなと怒っているのだ。「ほら、チカゲ。早く掘ってよ」
「自分(てめぇ)でやれよ」
懲りもせず逆らった僕は、また殴られる羽目になった。
「第一次世界大戦(W.W.Ⅰ)の遺物と思っちゃいけないの。塹壕掘りは今でも戦場の立派な仕事の一つよ。駄目よ、アンタは引きこもって煙草ばっかり吸ってんだから。これも特訓よ」
「だからここは戦場じゃなくて……いや、いい」
何を言う気力もなくして、僕は黙々と庭先に穴を掘った。荒れ放題の固い土にスコップを入れるのは容易な作業ではない。七月のこの陽射し。瞬く間に額に汗が滲んだ。しかし手を休めないのは、不本意ながら特訓(・・)が身に染み付いているせいだろう。ちょっとでもさぼれば何が飛んでくるか分からない。拳や足であればまだしも、この間なんてビール瓶で頭を殴られた。
ちらりと彼女の方を盗み見る。庭先に引きずってきた椅子に優雅にくつろいで、ワイン瓶をラッパ飲みしていた。
赤に染められた長い髪。この程度の酒では全く変わらない白い肌。人形のような大きな目。愛らしさすら感じさせる容姿である。そんな華奢な身体でよく軍隊の厳しい仕事が勤まるものだと思うくらい腕も足も細くて、僕が触っただけで折れそうに見える。弟として決して口には出さないが、これ以上美しい女は他に居まい。
僕はこの女を姉として見る事は出来なかった。しかし勘違いするな。女性として見ている訳でもない。
言うなれば鬼か悪魔だ。人間じゃない。畏怖の対象である。
両親亡き後、九歳年上の姉のイズミが僕を育ててくれた。と言っても元警察官にして現自衛隊員の彼女はほぼ一年中家を空けていて、帰ってきても飲んだくれては特訓だと言って好き勝手に弟を苛める。尤もそれは両親健在中、彼女が警察学校に在学している時からそうだったから、僕がこれまで無事に育ったのはきっと打たれ強さを備えて生まれてきたからに違いない。
「おい、イズミ。こんなもんか?」
蹲れば僕自身が入れるくらいの大きさの穴を覗き込み、イズミも満足したようだ。庭先にほったらかしにしていた木の株を引きずって来る。
自分の身長くらいあるその木を抱えて彼女が帰ってきたのは夕べの事だった。いつも行き先は言わずに出かけるのだが、今回はアメリカ遠征に行っていたらしい。西部の海岸を空爆したと言っては笑う。何を考えているか分からない。そのお土産がこの木らしい。
「外国の物なんて勝手に持って帰っていいのかよ」
そう言うと「うるさい」と怒鳴られた。勝手にじゃない。貰ったのと言うが、きっと出鱈目だ。
二メートル近い、見事な枝振りの木だ。所々に尖った葉が付いている。根に土を付けたまま丁寧に縄でくるまれていた。
「これはヒイラギって言うんだって。知ってた?」
得意気に縄を解く。僕は黙って首を振った。
「元々ニッポンの木なんだって。アメリカ(向こう)じゃクリスマスに使うのよ」
「くりすます?」
姉は小馬鹿にしたように「はっ」と鼻を鳴らした。
「アンタ、クリスマスを知らないの? 変わった子」
あんたに言われたくはないよ。
しかし説明するのが面倒なのか、彼女自身詳しくは知らないのか、クリスマスの話はそこで途切れてしまった。
「冬になったら赤い実がなるんだって。楽しみだね」
「……ふぅん、珍しいじゃねぇか」
ヒイラギが、じゃない。姉が、だ。庭や植木は勿論、花にだって何の興味も示さなかったくせに。
「殺伐とした仕事をしていると、土に癒されるのよ」
しれっとした顔でそう言いやがった。何言ってんだよ、僕は笑おうとした。しかし言葉に詰まったのは、伏せられた姉の目がいつになく沈んでいると気付いたからだ。
「私、色々見てきた。戦争は地獄だよ。アジアや中東ではアンタより小さい子が、自分の体に爆弾巻き付けて戦車に突っ込んだり。死ななくていい人がいっぱい死んだり……」
「イズミ……?」
何を見たの? 何か辛いの?
「これから戦争は厳しくなる。かつての国力はないとは言え、アメリカ相手に戦ってるんだもの。ニッポン本土だっていつどうなるか知れないわ」
──でも。
イズミがこちらを向いた。あまりに至近距離で真っ直ぐ見つめられたもので、僕は動く事が出来なかった。
「アンタは死んじゃ駄目よ」
「………………」
何言ってんだよ。死ぬわけねぇだろ。そう言いたかった。しかし声が掠れ、喉からは何の音も出ない。頷く事すら出来ず、ただ彼女を見つめるだけ。
「約束しなさい」土で汚れた手が僕の腕をつかむ。「例え誰かを殺してでも、アンタは必ず生き延びなさい。絶対に私が助けにいくから」
真摯な目を見て、魅入られたように僕は頷く。
分かった、イズミ。ヤクソクする。
頭の奥が痺れた。それは殺伐とした約束だった。それがずっと、僕の空虚を支えていくんだ……。
「国家体制なんてどうでもいい。大切なのは自分が今日、ここで生き延びられるか、という事なの」
強い言葉が続く。僕は突然、怖くなった。
「イズミ、イズミこそ死なないで!」
細い腕にすがりつく。父を失い、母を失った。彼女が居なくなったら、僕には本当に何もない。
一瞬だけ、姉の腕が僕を抱き締める。馬鹿な子ね、と言われた気がした。しかしその腕は次の瞬間、凶器となって僕の背を叩く。
「誰に物言ってるの。私を誰だと思ってるのよ。元特殊急襲部隊(SAT)が誇る《赤き死(ブラッディ・デス)》っていったら私の事よ!」
ヤバイ。この女、変に興奮してきやがった。感傷にひたった僕が愚かだったようだ。姉は僕の背をバンバン叩く。細い腕、しかしこれがとんでもない力で、骨がいちいち悲鳴をあげる。そうこうする間に、彼女は「わぁ!」と叫んだ。
「時間だ。行かなきゃ。遅れちゃう」
アンタのせいよと言って、大慌てで家の中に飛び込む。
「仕事なの? 夕べ遠征から帰ったばかりだろ。しばらく休みだって言ってたじゃねぇか」
詰るように聞こえたのかも知れない。イズミは窓からひょっこり顔を出すと顔を顰めた。
「うるさい男ね。そんなじゃ、もてないわよ。仕事よ。今日は行かなきゃ。国会で勲章貰うの。どう? 馬鹿馬鹿しいでしょ」
でもね、さずかにサボるわけにはいかないよとぼやく。僕は彼女に行って欲しくないばかりに、更にごてた。
「でも、危ないだろ。夕べだって変なのに後付けられたって」
「それは大丈夫。私、強いから」
「イズミ、僕は心配して……」
あっと言う間に式典用の軍服に着替え、赤い髪もきれいに整えて彼女は出て来た。まるでお人形のような姿だ。しかしお人形は「じゃあね」と叫ぶととんでもない格好で塀を越えて、両国の街を猛然と走り出した。その赤い姿はたちまちのうちに見えなくなり、僕はこのヒイラギと一緒に取り残されてしまったのだった。
この日、二〇三三年七月六日──国会議事堂で爆弾テロが起きた。米系か中国系の仕業だろう。或いはイスラム系かもしれないという事だ。犯行声明は出なかった。結局、犯行グループの特定は出来なかった。
死者一名。
未曾有の大騒ぎではあったが《赤き死》の活躍もあり、被害は少なかったらしい。
勿論、イズミはピンピンして帰ってきた。死者一名の中に入る筈もない。こういう奴だ。何の心配もしていない。
それから三年後だ。核でニッポン全土が失われたのは。
姉のヒイラギも死んでしまった。炭のように黒くなった棒のような木の残骸。
全身ズタズタになりながら瓦礫から這い出てきた僕はそれを見て、ああ、彼女も死んだんだと……ぼんやりと思った。
