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塵と十字架(5)


   三

 イスラエルIMI社製TAVOR─21アサルトライフル。
 ゼネラル・ダイナミック社製M47ストライカー40ミリグレネードマシン。
 スペシャル・テクノロジー・システム製AN/PVS─21暗視装置。
 いい銃、揃えてやがる。さすがミリタリーショップだ。様々な武器弾薬、銃アクセサリー、タクティカルベスト、無線機、果てはヘリ搭載用大型火器まで。目移りするくらい並んでいる。
 手にした鉄材でショーケースを叩き割った途端、非常用アラームが鳴り響き奥から店主が駆け出て来た。
「何しやがる、出て行け!」
 その手には大掛かりな武器が。チカゲの見るところ、それはSPASフランキ12.毎分四~五発程度の発射が可能なショットガンだ。
 さすがミリタリーショップの店主だ。舌なめずりしそうな表情でチカゲはもう一度呟いた。いい銃持ってやがる。しかし今はそんな事を言っている場合ではない。
 核前まではニッポンでは見なかったガンショップが、今や通り毎に数軒の割合で林立している。それだけこの《塵》が無法地帯になったという事だ。人は自ら自衛しなければ生き残れない。それなのに今、チカゲの手にはハンドガンの一つもなかった。
 一言の警告もなく、強盗(チカゲ)目がけてフランキ21が火を噴く。数百メートルの射程を持つこいつの射撃を間近で喰らってはたまらない。反射的に身を伏せたチカゲのはるか頭上、店舗の屋根の一部が吹き飛ばされた。外からビーストの悲鳴が聞こえる。
 ショットガンの射撃の反動に、店主が僅かにふらついた一瞬の隙をついて、チカゲの足が跳ね上がる。踵が顎を抉り、店主はよろめく。取り落としたガンを空中で捉えて、チカゲは銃の台座を男の頭に振り下ろした。ガシッと鈍い音がして、店主はその場に倒れ込む。
 アラームは未だ鳴り響く。チカゲの表情には明らかに焦りが見えていた。割れたショーケースからサブマシンガンを一挺。それから弾丸の箱を袋に入るだけ詰め込む。
 その間、約二十秒。それだけ持って出て行きかけた彼の足が止まる。店の奥の壁に造り付けられたショーケースの中の大型銃が目に付いたのだ。手にしたサブマシンガンだけでは不安だ。一瞬、躊躇した後、彼はそのケースをも割った。全長一メートル近い銃を両手に抱えると、あまりの重さに足元がふらつく。しかし立ち止まってはいられない。チカゲは両手一杯に武器弾薬を抱えて外に飛び出す。止めてあるRATTに飛び乗ると、ビーストがまたもや悲鳴をあげた。
「落ち着け、僕だよ!」
 怒鳴って車を急発進させる。思い切りハンドルを切ったものだから、助手席から振り落とされかねないと思ったのか。ビーストの悲鳴は止まない。
「ご、強盗だよ。何やってんのさ! た、助けて!」
 相当混乱しているようだ。
 外人病院から飛び出したチカゲは、友人の車に飛び乗ると闇雲に街(ダスト)を走った。暫くしてから急停止。そこがこのガンショップの前だったのである。
「ビースト、金ある? 円もドルも持ってねぇんだ、僕」
 助手席にしがみついていたビーストが「ない」と答えると黙って車を降りた。
「第一、今の時代エンなんて役に立たないよ。チカゲ? 何を……?」
 それもそうだなと肩を竦めてから、軽い足取りで店に入って行く。暫くしてから発砲音。店主を襲って武器を奪って来た彼の行動は──。
「立派な強盗だよ!」ビーストが叫び続ける。「しかもオキも病院に置いてきて。 ほとんど知らない街でどうするつもりだよ!」
 病院では様子がおかしかったから心配したけど。元気になったのはいいけど、これはこれで行きすぎなんだよね。巻き込まれるオレの身にも……。
「ガタガタうるせぇな、しょうがないだろ」
 車が急停止する。反動でフロントに頭をぶつけて、文句を言おうと口を開きかけたビーストだが今度は青ざめた。隣りに座るチカゲの目が完全に据わっていたのだ。相当苛立っている。煙草に火を点けて、わざわざ嫌がらせのようにビーストの顔目がけて煙を吐く。
「や、止めなよ。体に毒だよ」
 ゲホッと咳をして、少年は息を止める。両手で煙を払い飛ばしたかったが、そんな嫌味な事でもしてみろ。殴られるのがオチだ。
「分かってるよ。止められねぇんだよ」
 苛立たしげにそう呟いてから、二本目をくわえる。彼はそのまま助手席側の外に手を伸ばした。何気ない行動に見えたが次の瞬間、ビーストは震え上がる。チカゲはミラーの横に付いている小型機械をむんずとつかむと、力任せに折ってしまったのだった。ゴミでも捨てるように地面に落とす。
「これ(・・)はいらないんだ」
「な、何を……」
 それは車両搭載用無線機であった。昨日、今日とオキが仕事用の連絡に使用していたものだ。
「ビースト、それ取って」
 チカゲの声には明るさが戻っていた。八つ当たりで車を壊しているわけではなさそうだ。
「それって?」
 彼が指差したのはガンショップから引きずってきた大型銃であった。どうやら車の助手席側側面に取り付けようとしているようだ。全長一メートル、重さは五十キロはあろうそれを、二人がかりでボンネットに運んで無理矢理固定させた。回転式の銃口が幾つも付いた大掛かりな代物である。
「凄そうだけど、これ何?」
 武器の事ならば何でも知っている筈のチカゲは、しかし言葉を詰まらせた。
「さぁ? 初めて見るけど。多分対戦車用銃じゃないかな。中国に行くなら、やっぱりこれくらい武装しないと」
「何か分からずに持ってきたの?」
 案外、呑気な人だね。そう言ってビーストが笑う。しかし笑いは途中で引き攣った。
「……どこに行くって?」
 だから、中国。
 あっけらかんとそう言って、チカゲはビーストが叫び出す前に車を急発進させた。
「しょうがねぇだろ」文句を言われる前にチカゲは怒鳴った。「ダスト(ここ)に居たって埒が明かねぇんだから」
 あの映像を流した中国のテレビ局に行って、ビデオを始めから終わりまでちゃんと見るんだ。あれは間違いなく姉だ。前方を見据えたまま彼は呟く。
 気になってしょうがないのだ。あれはイズミのいつの映像だ? 何を言っている? そもそも何の為に今、あんなものが? イズミの映像を利用されているだけなら許せないし、もし何か理由があるなら……。
 いや、何だかんだ理屈をつけたところで分かっていた。ただの映像でもいいから、自分は姉に会いたいだけなのだと。
「お前は戦力になるから、騙して連れて行こうとおもったんだけど。でも嫌だったら、今降ろしてやるよ」
 そう言われて、ビーストも嫌々ながら覚悟を決めたようだ。
「降ろされたって行く所なんてないし。でもチカゲ、警備が厳しいから中国には入れないって今朝だってオキが言って……」ぼそぼそと口の中で呟いてから、彼は運転席のチカゲをじっと見る。「生き生きしてるね。服役したチンピラが久々にシャバに出て来たみたい」
 ニヤニヤしながら、今度は確実に皮肉のつもりで言っていた。陰険な奴だ。チカゲの口元が引き攣るが、敢えて黙る。突風を受けて車は走り続ける。巨大な影のような高層ビル群に向かって。
 
 旧ニッポンの唯一残った土地《塵》と中国は地続きになっていた。日本海に中国の埋立地が張り出してきて、そこは中国領となっていたらしい。核後、混乱の中で、僅か五年の間に行われた事らしい。施設に居たチカゲにそんな情報は全く入っては来なかったが、今更日本地図が変わったと聞いてもさして感慨もない。国なんてどうでも良かった。ただ──。
「国境とか、税関とか入国審査とか……。そういう不便が迷惑なんだ」
 車で金時間ばかり走ったろうか。《塵》と中国の境界線には、見るからに威圧的な大型機器が二基設置されてあった。
「何、あれ……」
 ビーストの声が掠れた。小さなビル並みの大きさを誇る衛星受信機のような形態の巨大システムだ。そのすぐ向こうにはテレビ局らしい、アンテナを張り巡らせた建物が見える。距離にしてここから僅か数百メートルであるが、あいつの間を通らなければならないのかと思うと体が竦んだ。
「アロー・システムか」チカゲが呟いた。
 何それと尋ねられ、チカゲは青い顔でビーストを眺め、それから語り出した。
「命中率95パーセントのミサイル迎撃システムだ。イスラエルとアメリカの共同開発で、そもそも湾岸戦争で使用したパトリオットが……」
 こんな状況ながら得意気に語り出したが、それはビーストにはいまいち理解出来ない単語の羅列だった。人の事を変態だ何だと散々けなすが、自分だってただの軍事マニアじゃないか。相当ヘンだよ。心の中でそう毒づく。
「数十のミサイルの弾道探知と追撃が可能で、複数ミサイルの一斉射撃にも対応出来る世界最高峰のミサイル迎撃システムだ」
 しかもあの形態は……ただのアローじゃねぇな、と付け加える。改良が加えられてるのかも。
 但し──とチカゲは言う。
「基本的に中距離弾道が対象だから、僕達が脇を車で通るのは問題ない筈。いちいち反応しないから」
 それより問題はアローの前に並ぶ武装した男達だ。おそらくその辺りが一応の国境線と定められているのだろう。《塵》が無法地帯と化した現状、彼等は国境警備を担っているのだ。物陰に止めた車から身を乗り出して数えても、十人規模の部隊が三つは数えられる。
「いい? チカゲ。何とかこっそり入るんだよ」
 ビーストの声は緊張のあまり裏返っていた。
 親しくなってまだ一昼夜しか経っていない。しかしその間の行動を見てチカゲの性格を悟ったビーストは不安でならない。
「こっそり? 無理だろ」
 案の定、あっさりそう返された。施設で遠くから見ているだけの時は物静かな青年に見えたのだが、こんなに横暴な男だったとは。さすが《赤き死》の弟だけあって頭が良くて、洞察力も優れている。しかし根が単純なのだ。己の目的しか見えていない。それをやり抜く胆力も備えているらしいが、単独で行動するならいざ知らず、巻き込まれるこちらの身にもなってくれとビーストは思う。
「大丈夫だよ。こういうのは素早く行動した方が成功率が高くなるんだ」
 やけに自信たっぷりに断言する。どうせ《赤き死》の受け売りだろう。姉と自分では抱えている目的(ミッション)が違いすぎる事には完全に目を瞑っているのだ。
 チカゲは言う。その為にこいつがあるんだと。片手にサブマシンガンMP5SD3を、もう片手でフロントに取り付けた大型銃を指す。
「ああ、こいつを準備しとかなきゃ」
 ビーストの返事も待たずにチカゲは浮き浮きした様子で、店から奪ってきたままの袋をひっくり返して弾丸の箱を取り出した。手持ちの銃に九ミリの弾丸を補充している。初弾が薬室に入っているかを確認。これはオートマチック火器を扱う際の基本動作である。尤も大型銃には手持ちの弾丸は合わなかったらしく、頻りに「しくじった」と繰り返していたが。
「イズミだったら、どんな武器も使いこなせたろうな……」
 こんなさし迫った時ですら姉の事を考えている時分に苦笑する。
 隣りでビーストが何か抗議しているようだが、チカゲはあえてそれを無視した。
 その時だ。灰色の空に閃光が走る。
 その一瞬、地上の人間には何が起こったか分からなかった。チカゲもビーストも、遠くに見える兵士達も。
 だがアローは瞬時に反応した。それを感知すると、瞬時にして全自動(オート)小型迎撃ミサイルを発射したのだ。閃光は空中でアローのミサイルとその砲弾が激突、消滅した光だったのだ。
 通常のアローであれば中距離広範囲を対象とする。近接した地上からのロケット砲という、いわゆる小さな攻撃は拾わないものだ。それがこの距離で反応したという事は、通常のアローに中国が独自の改良を加えたものに違いない。しかも準備時間もなく反応した。地面から僅か百メートル未満での迎撃、爆発──。この性能を見せ付けられ、地上の人間は戦慄した。
 
 ──空の上じゃ、花火みたいに人が死ぬよ。
 
 イズミの言葉が不意に蘇る。
 だが彼等以上に中国側の兵士の動揺は激しかったようだ。衝撃で地面は揺れ、止めてあった車両がぶつかり合う。実際、間近でアローの発射を見れば肝を冷やすに違いない。人々は右往左往している。
「今だ」
 状況はどうであれ、チャンスは今しかない。チカゲはアクセルを踏み込む。
 後方から再びミサイルの発射音。数秒遅れてアローが再び反応する。空中での爆発を待たずに、再びミサイル音──それは彼等の背後から聞こえた。
「ロケット砲? 何だよ、抗争かな。チカゲ」
「さぁな。ともかくこれに紛れていけば……」
 《塵》側──街を牛耳る官房長官──と、中国側の抗争かとも考えられたが、判断はつかない。ともかく混乱に乗じて彼等の車は中国領に突っ込んだ。
 次の瞬間、事態は深刻だと悟る。背後から凄まじい衝撃波。爆風に乗って、車が加速する。さっきまでRATTが泊まっていた位置にロケット砲が直撃したのだ。その瞬間、アローから発射されたミサイルが地面を抉った。
「違う……」チカゲは呟く。背中に刺さる冷たい殺意。「抗争なんかじゃない。狙われたのは僕達だ」
 施設の追っ手? 先程のガンショップの? 中国側の警備システム? それとも……?
 全てが敵に見えた。
 
     ※
 
『Dr.カーンの生体実験を暴け』
『公文書廃棄の実情』
 硬質なタイトルのポスターが並ぶ。今夜のニュース番組の特集用コーナーの宣伝用だ。
「はぁ、疲れた……」
 日本語で呟き、彼女はその場に座り込んだ。明るい廊下だが今の時間、ここに人が居ないのは知っていたから。
 薄茶色の髪を纏め、まだ幼さの残る顔立ちに濃いメイクを施し、黄色のスーツを身に着けたその姿は、一見中国人に紛れてしまえる。核後、人の紹介で中国のローカルテレビ局に入社し、今では週に二度ニュース番組の天気予報を担当するようになった。慣れない中国語を懸命に喋り、彼等に溶け込めるように努力した。それから五年──しかし彼女は疲れてしまった。
「いつまで経ってもニッポン人ってだけで馬鹿にされるし。仕事は雑用ばかりだし」
 愚痴を言う相手も居ないものだから、ここに来ると日本語での独り言が口をつく。元々こんな仕事、向いていなかったのだと思う。
「早く辞めたいなぁ」
 でも──。
 手にしたビデオテープが重く感じられる。
「アラカキが許してくれないよね」
 三年前に会った時、この仕事を紹介された。すぐに辞めて良い、準備が出来ればな。そう言われたっけ。彼が《塵》で何をしているかは知らない。自分は従うだけだから。
 どうせならニッポンでこの仕事が出来ればいいのにと思う。しかし直ぐに「ううん!」と首を振った。あんな街に戻るのは絶対に嫌!
 はぁ……。もう一度深く溜め息をついて、彼女は再び歩き出した。こうしていても仕方がない。
「さっさと仕事を片付けよう」
 ビデオテープを手に、しかし愚痴は続く。独り言が、もう癖になってしまっているのだ。
 そもそもさっきの騒ぎは何なの。地震かと思ったらアローの誤射とか何とか。こんなに直ぐ近くであんな騒ぎが起こったら怖いじゃない。
「ああ、誰か助けて。あたしをここから救い出し……」
 芝居がかった台詞を吐く。調子に乗って両手を宙に差し出しかけて、そこでびくりとして彼女は足を止めた。廊下の角から何かが飛び出してきたのだ。思わず小さく悲鳴をあげる。
 ──き、聞かれた?
 人の気配など全く感じられなかった。いや、自分が周りを見ていなかったのが悪い。もし相手が日本語を理解するならば、これ以上恥ずかしい事はあるまい。
「あ、あの、違うんです。独り言で……」
 しかし突然目の前に現れたそれを見て、彼女の悲鳴は途切れた。驚愕。声も出ない。
 ぱくぱくと口を動かす。それは待ち望んだ王子様でも救世主でも、断じてなかったから、それどころか、そのものが何なのかも判別できない。
 人間、ではない。動物──犬? 狼? 灰色の毛並み。人間のような姿。敏捷な身のこなし。鋭い牙と爪。黄金に輝く目は爛々と光って彼女を睨む。
「ギャ……」
 変な声が出た。目の前の動物からではなく、彼女の喉から。
 有り得ない。こんな光景。最先端の中国のテレビ局に猛獣が? ああ、何て事なの?
 女は改めて深く深く息を吸う。
「ギャァー!」
 あらん限りの声を放って、女は絶叫した。ああ、いっそ意識を失ってしまえたらと願いながら。
 それでも、無常にも目の前に繰り広げられる光景。
 猛獣が前足を踏みしめる。一瞬後、それは躍り上がった。女目がけて灰色の体躯が飛ぶ。それがやけにゆっくりと見えて、彼女は目を閉じる事すら出来なかった。
 ああ、こんな所であたしは死ぬのか……。
 ぼんやりとそう考えた時、廊下の向こうから影がもう一つ現れた。何か叫ぶ声が聞こえる。軍人でも警備員でもない。見た事ない、細身の若い男だった。腕には銀色の何かがきらきら輝いている。その光に見とれた瞬間、銀は音もなく火を噴いた。
「ギャッ!」
 猛獣が空中で回転し、彼女の足元に転がった。ぴくぴく痙攣したかと思うと、それは形を変えていく。体毛が消え、肌色の皮膚が。獰猛な顔はすべすべした人間のものに。薄茶の髪をした──これはどう見ても十六、七の少年の姿ではないか。
「何よ。何なの、これ……」
 舌打ちする音が聞こえた。銃を抱えた男が、そこに居た彼女を見て顔を顰める。口の中で悪態らしい言葉を何か呟いていた。しかし彼女の耳には何も聞こえない。男の姿も次第に遠退いていく。
 ──こんなの……嘘だ。
 彼女は白目を向いて、その場に昏倒した。
 
     ※
 
「どうしろってんだよ」
 足元には二人の人間。一人は男──全裸で転がっている。うーんと呻いて今にも意識を取り戻しそうな様子なので、手にしたコートを放ってやる。
 もう一人が女。厄介な事になった。このテレビ局の者に違いない。ビーストのその姿、完全に見られてしまった。しかもこのクソ女、大騒ぎしやがって。
「ん……オレ、どうし……あっ、この子!」むくりと起き上がったビーストが女の側ににじり寄った。「ほら、あの子だよ。天気予報のキャスター。チカゲ、見て。本物だ」
「クソッ、この馬鹿!」短く言い捨てた。
 全く危機感が感じられない。コートを着込みながら一人で騒いでいる。呑気なものだ。誰のせいだと思ってやがる、とチカゲは一人毒づいた。
「とりあえずビースト、そっち持て」銃を片手に持ち直して、チカゲは女の片足を持ち上げた。「意外と重てぇ」
 言いながら手近な部屋に引きずって行く。
「ど、どうするの?」
 慌ててビーストも後を追う。
「どうするって? お前が言うか。建物に入るなり興奮して獣化しやがって。人気のない所に誘導してくるのがどれ程大変だったか……」チカゲの声は低い。少々気が立っているようだ。そう言われてはビーストには返す言葉もない。「どうするって、この女? うるせぇな、殺すしかねぇだろ」
 MP5SD3を撫でる。先程調達してきた武器である。ドイツのヘックラー・ウント・コッホ社開発のこの銃……さすがにいい銃だ。全長七十六センチ、重量四キロ弱。高性能消音装置標準装備。発射音を低く抑え、銃口から火炎を漏らさないようにしてある。撃った時の反動も少なく、手元も狂いにくい。こういう建物への侵入戦にはもってこいの銃だ。
 しかしその細やかな気遣いも、全て獣人(コイツ)のおかげで台無しにされてしまったわけだが。もう一睨みするが、ビーストは応えちゃいなかった。
「この子、ナオっていうんだ。カワイイよね」
 首から下げた社員証を見てはカワイイを連発している。女が目覚める気配はない。幸いな事に、この騒ぎを咎めてやってくる者も居ないようだ。
 狭く薄暗い、埃っぽい部屋である。人の気配は感じられない。元々編集室として使われていたのだろう。旧式のビデオデッキが四、五台並ぶ。床にはビデオテープが散乱していた。今は使われていない部屋だと一目で分かる。倉庫代わりに使われているようだった。
 部屋中を見回してチカゲは呻く。そもそもこんな所にまでやって来た目的──イズミの、否、《赤き死》の映像はどこに? この部屋のテープの中にあるかもしれないし、ないかも知れない。いずれにしろ、人に見付からないようにこれだけの数のテープを確認するのは不可能だ。今日の昼間、流れたばかりの映像だ。こんな倉庫よりも別の部屋を探した方が確かかもしれない。しかし……。
 考えている間に、ビーストがデッキの電源を入れていた。文句を言うより先に女──お天気キャスターのナオが持っていたテープを入れる。トラッキング、再生。ハッカーを自称するだけあって、さすがにこの手の機械の扱いは手慣れたものだ。
「遊ぶなよ。そんなもん、見てる暇はねぇよ」腹立たしげに電源コードを引っ張る。
「ちょっと、やめなよ。大人気ないよ」ビーストも負けじとコードを引っ張り返した。
「どっちが!」
「こんな所で仲間割れは良くないだろ」
「クソッ、誰のせいだと……。そもそも誰と誰が仲間だって?」
「何、その言い方!」
 醜い争いが始まった。二人の声が次第に激しさを増す。そんな中、モニターが光を放った。再生が始まったのだ。
「何……?」
 ビーストの声だったか、チカゲの叫びだったか分からない。
 モニターに鮮明な赤が映ったのだ。瞬間、音声が流れ出す。雑音が混じった、ざわざわしたリアルな音だ。続いて着飾った大勢の人が談笑する様子が映し出される。赤の絨毯──いや違う、赤いのは女の髪だった。人形のように整った顔立ち。しかしその表情は動かない。
「イズミだ……」
 モニターに喰い入った。間違いない。姉だ。軍服を着て、部屋中をうろついている。ただ彼女一人を映した映像ではないらしく、その姿は直ぐに人込みの中に紛れてしまった。
「これは、国会テロの時の……?」ビーストの声も掠れていた。
 カメラは当時の官僚や著名人を次々と映す。殊に軍事関係者が多い。
 その映像が突然途切れた。数秒のノイズの後、次に始まったのは、その場が悲鳴と混乱に包まれている所からだ。カメラも上下左右に激しく揺れて混乱を表している。広間の一方には爆発の火の手が上がっていた。倒れている人物の姿も映る。赤絨毯が濃い色に染まり、その男はぴくりとも動かない。生きているとは思えなかった。
「ビースト、これがあの時のテロ……? 爆発が……」
 返事はない。
 チカゲの目はこんな時にも姉の姿を求める。しかしそれは探すまでもなかった。死体の方から弾丸のように赤い髪の女が飛び出して来たのだ。武器らしいものを手にしている。正確な構えでそれを投げ付けると、カメラがスクロールして、頭部を吹き飛ばされるようにして倒れる人物を映した。体に爆弾を巻き付けているように見える。これが犯人(テロリスト)?
 また、映像が消える。どうやら素人が意図的に編集したもののようだ。
 次は空が映った。真っ青な大空に、戦闘機の赤い機影が過ぎった。そんな派手な機体は見た事がないが、イズミが乗っている事は察せられる。
 映像はまた途切れ、次は地上だ。今度は隠し撮りであるとはっきり分かる。茂みの影からズームで狙っているらしく先のものに比べ、画像は乱れがちである。それは自衛隊の訓練風景であった。カメラの中央に常に収められているのはイズミ。目標物に対して、様々な武器を使って射撃の訓練をしている。
 不意にまた映像が切れ、真っ黒な画面が。それは数秒後、砂嵐に変わる。暫くしてからウィーンと音を立てて、テープが取出し口から出て来た。反射的にそれを取ってから、初めてチカゲは己の指が激しく震えている事に気付く。
「イズミ……」
 これは、何?
 考えても何が何だか分からなかった。イズミ、これは一体何なんだ?
 その時だ。感情は無視して、しかし体は反応した。不意に扉が勢い良く開け放たれたのだ。怒声と共に数人の男達が踏み込んで来る。一見して、この建物の警備員と分かった。叫ぶ言葉は理解出来なかったが、チカゲの体は入口へ飛んだ。まだ戦闘態勢の整っていない警備員達に体当たりすると、そのまま廊下へ転がり出る。
「ビースト、逃げるぞ!」
 片手に姉のテープを握り締め、部屋に向かって叫ぶ。しかし返事はない。完全に気配は消えていた。どうやら相棒はいち早く逃げ出したらしい。確認する間もなく、チカゲも駆け出す。背後から銃声が響き、銃弾が彼の髪を掠める。こういう時は応戦するより何より、とにかく逃げるしかない。テレビ局の廊下が細く、入り組んでいる事が幸いした。銃弾を掻い潜って階段を駆け降り、窓硝子を破って二階の高さから外に転がり出た時、チカゲは全身傷だらけの状態だった。
 このまま橋って中国領を脱する事は不可能だったろう。境界線には兵士達も警備しているのだ。
 その時だ。彼の前に棺桶を積んだ見慣れた車が突っ込んで来た。フロントには大型銃。運転席にはビースト。
「チカゲ、早く乗って!」
 警備ラインを突破して来たのだろう。車目掛けて凄まじい銃撃が降り注ぐ。しかし頑丈な装甲はびくともしない。RATTが止まり切る前に、チカゲは荷台に向かって飛び込んだ。車はそのまま走り出す。
 確実に何人かは跳ねた。強引に警備ラインを突き抜ける前にビーストが何度か悲鳴をあげる。しかしチカゲには顔を上げる余裕すらなかった。
 奇跡に近い。車が止まったのは《塵》領に入ってからだった。止まったというより、廃材の山に突っ込んで動けなくなったという表現が正しいか。ビーストが何度かアクセルを踏み込むが、タイヤは空回りする。銃撃は尚止まない。しかしその中で上体を屈める事もなく、チカゲは悠々と車を降りた。
「あの銃じゃ、この距離は届かねぇよ。ビースト、降りろ。車を捨てて歩いて逃げるぞ」
 しかし彼は動かない。意地になっているのか。何度も何度もアクセルを踏む。
「ビースト?」
「だ、駄目だよ!」金切り声で叫ぶ。「だ、だって、この車には……捨てるなんて。オキが怒るよ」
 何やら様子がおかしい。獣化ともまた違うようだ。
「車はともかく、せめて棺桶は……オキにとって大切な物だし。棺桶だけは持って帰らないと!」
 叫ぶと、運転席を飛び降りた。後ろの荷台へ駆け寄ると、金具で固定されている柩を取り外しにかかる。念の入った事に、柩まで鉄板で防弾加工されているので、その重量は計り知れない。
 嫌な予感がした。
「退け」
 抵抗するビーストを脇に避けると、チカゲは柩の蓋を持ち上げる。それだけで両腕の骨が軋むくらいの重量だ。覗くまでもない。中に目をやったチカゲは「うっ」と呻いてその場で蓋を落としてしまう。
「何だ、これ……」
 その瞬間、中国領からの銃撃もアローも完全に頭から飛んでしまっていた。
 空の筈の棺桶の中には女が一人、横たわっていたのだ。先程の女──お天気キャスターのナオである。ふっくらした頬の血色は良いが、固く目を閉じてぴくりとも動かない。
「ち、違うんだ。チカゲ……。死んでない。気を失ってるだけ。ちゃんと生きてるよ」
「何が違うんだよ……」
 眩暈がした。いつの間に居なくなったのかと思ったら、コイツは女を抱えて逃げていたというわけか。死んでないなら良いという問題ではない。これは拉致だ。何を考えているんだ。足から力が抜けて、チカゲはその場に座り込んだ。
 その時だ。
 凄まじい衝撃と爆音がRATTの側面を抉った。予想だにしない《塵》側からの攻撃に、車体は横転しチカゲとビースト、それから気を失ったままのナオも吹き飛ばされ、地に叩きつけられる。
 一瞬、意識が飛ぶ。目の前が真っ白になり、それから真っ赤に染まった。
「うぅ……、ビースト。無事か?」
 チカゲは呻いた。目が痛い。血が入ったのだろう。痛みが幸いして、意識は急速に戻っていく。感覚はないが、傷を負ったに違いない。耳元で微かな唸り声。チカゲに伸し掛かるようにしてビーストが倒れていた。その腹はぱっくりと割れて鮮血が噴き出ている。夕べの傷口が開いたのだ。チカゲの顔を染める赤は全てビーストの血であった。
「おい、しっかりしろ」
「うぅ……。だ、大丈夫……」
「大丈夫なわけない……うわっ!」
 上体を起こしかけた時だ。再び、爆音。反射的にビーストの体はチカゲを庇うようにその身を覆う。
 何が何だか分からない。爆風が治まり、身を起こしたチカゲはビーストの背を抉った傷口を見て愕然とする。とめどなく血が溢れ、既に彼の肌から色は失われている。呼んでも今度は反応がない。完全に意識を失っている。
「ビー……」
 また、爆音。
 それが治まった時、チカゲは跳ね起きた。横倒しになった車の影に失神したビーストを引きずって行き、自身も地面に落としたサブマシンガンを拾って抱える。
 ロケット砲だろうか。砲撃は常に同じ方向から、しかも一定の間隔をおいて発射される。敵は一人──少なくとも大型火器は一つに違いない。往路で喰らった爆撃と同一の相手である事は確かだろう。それは間違いなく、チカゲを狙っていた。
 中国側からの応戦も続く。アローも不気味な光を点滅させていた。あらゆる方向に注意を払わなければ蜂の巣にされてしまう。
 次の砲撃の直後、大体の方向の見当をつけてチカゲは走り出した。手にしたMP5の射程はせいぜい百メートルが限度だ。近付かなければ応戦も出来ない。
 《塵》中心部から外れたそこは荒地になっている。所々に廃材が転がっている程度で、視界を遮るものは何もない。それは逆に相手が身を隠す場所もないという事だ。
 まず、武器が見えた。遠目にも分かる。チカゲ目掛けて火を噴く大型兵器。あれはカールグスタフM3無反動砲だ。とんでもねェ物持ってやがる。それは対戦車用兵器であった。発射時の反動を抑えた造りになっているので、これ程の威力の砲ですら一人で扱えるのだが、当然ながら素人の手におえる類いの火器ではない。
 それを肩に固定して、僅かに転がる廃材の影に身を隠しているその姿。見付けた瞬間は驚いた。細い体。金の髪と、憑かれたような目の色。メイといったか。突然チカゲに襲いかかったあの男だ。病院から追って来た? まさか!
 しかし、今必要なのは分析ではなく、応戦だ。
 チカゲの銃も火を噴いた。だが、サイレンサーの音のない銃撃は、いかにも頼りなく感じる。彼は更にメイ目掛けて走った。向こうの銃の装填中にかなり近付く事が出来る筈だ。あの銃の威力を最小限に、且つこちらの攻撃を生かすには危険だが接近戦しかあるまい。奴の狙いをビーストから離すのも目的だった。
 至近距離での撃ち合い。とは言え、両者の間にはまだ八十メートル程の間隔がある。チカゲの銃では相手を確実に捉える事は難しい。対して敵の無反動砲の威力と言ったら。
 ドン!
 発射音が抑えられているだけに、余計間合いをつかみにくい。相手の呼吸と、銃口の動きを見て横に飛ぶ。それで何とか直撃を避けても、爆風を喰らい、その度に舞う鉄屑の嵐に巻き込まれてチカゲの身体には確実に傷が増えていった。しかし痛みに躊躇してはいられない。ただ、走る。
 互いに相手の顔を直視出来る距離まで近付き、チカゲはメイを睨み据える。無表情なその面──背筋が凍るようだ。しかし緑の目には明確な殺意と限りない憎しみが燃えている。
 ──何故?
 僕じゃない。チカゲは悟る。奴が見ているのは僕じゃなくて、イズミだ。
 ──何故、そこまで?
 チカゲは男に向かって突っ込んで行った。奪うように無反動砲に飛びかかる。させじとメイもチカゲの身体を撥ね退ける。
 クソ。細い腕で何て力だ。
 たちまち押さえ込まれた。無表情な面がチカゲをじっと見下ろす。突然、男が真っ赤な口を開いた。すぅ……息を吸い込む。
「ブラッディ・デス!」ありったけの憎悪を込めて、男は絶叫した。「ブラッディ・デス、おまえを殺す」
「な、何で……」
 チカゲの声は掠れていた。一体何があったんだ。《赤き死》に何をされた? いや、たとえ何があったとしても何故イズミがそこまで憎まれなければならないのだ。
「しょうがないだろ、戦争なんだから!」
「殺す!」
 メイの叫びはやまない。コロス、コロス。こちらの気も狂いそうになる。イズミを思うとたまらなくなった。
 戦争は彼女のせいじゃない。なのに何故?
 彼女はもう死んでしまった。なのに何故?
 チカゲの怒りも頂点に達した。
「死ねェ!」
 毒のような叫びをあげ、手にした銃を持ち上げる。
 ここまで接近していると、互いの銃はその長さが邪魔をして非常に扱いにくくなっていた。一メートル近いメイの砲は尚更だ。
 チカゲの銃口を握って、それを余所へ向けようとするメイ。凄まじい力だ。構わずチカゲは引金を引いた。
 鈍い音と、今までにない確かな感触が腕に響く。メイの指が飛んだ。一瞬、力を失ったその体を撥ね退けてチカゲは立ち上がる。
 叫んでいた。叫びながらメイの全身に銃弾を撃ち込む。撃つ度に男の体はピクピクと跳ね上がった。地に横たわったメイは体中穴だらけで血を流し、視線はチカゲを通り越した遠くを見ている。銃声が次第に遠退き、自分の心臓の音だけが耳一杯に響く。
 人を殺した。しかも憎しみを持って。こんな事は初めてだ。
 喉から嗚咽に近い叫びが迸り、興奮のあまり空に向けて弾が尽きるまで銃を発射する。
 その時だ。死んだと思っていたメイの腕がピクリと動いた。意識が散漫になっていたのだろう。思いがけぬ事態に、気付いた時はもう遅い。
 カールグスタフの銃口は完全にそっぽを向いていた。死にかけの男には重い砲を操って、それを敵(チカゲ)に向けるまでの力は残されてはいなかったのだ。ただ憎しみだけで、残された指は引金を引く。
 戦車をも破壊する威力の砲を至近距離で放たれたのだ。塵のようにチカゲの身体は吹き飛ぶ。
 
 空が急に眼前に迫り、目を見開いた彼の視界は突然赤に染まった。そして──黒に落ちる。


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