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塵と十字架(4)

 

 二

 小さな赤い実が付くという。
 炭のように黒く焦げて死んでしまったと思っていたその木に、極小さな緑が芽吹いていた。芽を擡げ、葉を伸ばそうと、まるでもがいているかのよう。そこから木は育ち、いつかは実もなるのだろうか。
 その姿を、僕は生きて見なくちゃいけないんだ。チカゲは呟く。
 ──死んでしまったイズミの代わりに。
 核が落ちたあの日から五年。希望という感情が沸き起こったのは初めてだった。
 
 チカゲは煙草に火を点ける。清涼感とマリファナの香しさが鼻孔と喉をくすぐった。ヒイラギの前に座り込んで、一本吸い、二本吸い、三本吸ったところで彼の世界は破られた。
「チカゲ、何してるの?」
 おずおずと隣りに座ったのは少年──ビーストだ。チカゲが無視していると、その横顔と焦げた植物を交互に見やる。
「その木どうしたの?」
「誰の事考えてるの?」
「その人、死んだの?」
 遠慮がちな、しかし矢継ぎ早なその質問。
「……多分な」
 三本目の煙草を地に捨てる。
 死体は帰ってこなかった。姉が確実に死んだという証拠も、公式発表もない。非現実的な期待を抱いてしまわないよう、彼は全てを絶望で覆う事にした。フン、死んだんなら十字架でも残していきゃいいんだ。そう呟いてから、姉の顔を思い出す。
「……似合わねぇか、そんなもん」
 チカゲは苦笑した。
「あのさ、チカゲ。闇雲に吸うのは身体に毒だよ」
 四本目に火を点けたところでビーストに止められた。薬中(ヤクチュウ)の男は、傍らの少年をじろりと睨む。随分馴れ馴れしい奴だ。お前だって麻薬更生施設(あそこ)に居たくせに。幾つかは知らないが、十九のチカゲより明らかに年下に見える。彼は立ち上がった。少年に背を向ける。
「チ、チカゲ。悪いんだけどオレ……この家には入りたくない」
「いいよ、別に。入ってくれなくて」
 失礼な奴だ。何抜かしてやがる。ここは僕とイズミの家だ。誰がお前なんて入れてやるものか。息巻いて家の方に振り向いたチカゲの声が次の瞬間、奇妙に高く跳ね上がった。そして、絶句。
 狭いアパートの一室は間仕切りの壁が全て取り払われ、家具も失われてだだっ広い空間と化している。いや、壁とか家具とか、そんな物はどうでも良い。誰かが盗っていったのかもしれないし、壊れたのかも。問題は空間そのものだった。床一面ゴロゴロと何かが転がっている。じっくり見たくなんかない。これは──。
 老若男女問わず、これは人間の死体だった。それらが床を埋め尽くさんばかりに並べられていたのだ。しかもただ転がされているわけではない。きちんと仰向けに、身長順に整列させられている。耳や鼻に脱脂綿を突っ込まれ、しかも死者特有のあの腐臭も一切ない。完璧に処置してある死体である。誰の仕業かは明らかであった。
 チカゲが睨み据えたのは死体達の真ん中に突っ立って、今更どうしようもないと観念したのか、うなだれたままの黒ずくめの男。
「オキ、ここは死体安置所じゃねぇんだぞ」
 低く押し殺した声が怒りの度合いを示している。確かにこんな家には入りたくない。ここは僕とイズミの家だ。なのにこんな目茶目茶にしやがって……。チカゲは泣きそうになった。
「死体は静かだ。迷惑はかけない」友人は小さな声でぼそっと呟いた。何て言い草だ。
「この事態が既に大迷惑なんだよ!」
 核後、趣味と実益を兼ねて《塵》で葬儀屋を開業した。それはオキ本人の口から聞いた。ああ、構わないさ。そんな友人に家の鍵を渡したのも自分だ。施設に拘束されている間にもし姉が帰ってきたら? 有り得ないとは分かっていたが、ちらりとそんな事を思った──願ったのだ。時々様子を見に行ってくれと頼んだのは五年も前になる。外壁が壊れた建物に鍵なんて不要だったが、それは信頼の証に他ならなかった。なのに……。
「すまん」反省のかけらも見せず、陰気にオキが頷いた。「あんたが来ると知ってたら、予め片付けていたんだが」
 だからそういう問題じゃないだろ。
「ここは僕の家だ」チカゲは拳を震わせて叫ぶ。それからその場に座り込んだ。「こんなのあんまりだ……」
 怒りと脱力のあまり、殴りかかる気力も沸いてこない。暫くの間、しんとした冷たい沈黙が流れた。ビーストだけが自分には関係ないとばかりに庭の瓦礫で遊んでいる。
 沈黙を破ったのはチカゲの方であった。堪らず手を伸ばした煙草の箱が空だったのだ。握り潰した箱を足元に投げ捨てる。
「新しいの持って来い、オキ!」
「さ、さっき渡しただろ」
 もう無(ね)ぇよ。
 怒鳴ると、葬儀屋は慌てて車の方へと走って行った。舌打ちしてから、チカゲは足音荒く部屋へと踏み込む。腹立ち紛れの行動か、死体を蹴り転がしてから、床板をバリバリ剥がし始めた。
「チカゲ、止めなよ」
 未だ室内に入る勇気の持てないビーストが庭先から声をあげる。チカゲは無視して床の穴に顔を突っ込んだ。
「何やってんだよ、あの人」
 ビーストが呟く。顔色の悪い薬中の男の行動は、傍で見ると異様な光景であった。男は穴の中で何か叫んでいる。「無い!」とかどうとか。
「何か探して……?」
 気にはなったが、それでも死体だらけの家には入りたくなくて、ビーストは庭の入口から顔だけを覗かせた。穴に顔を入れたまま、チカゲの手が何度か上下する。床下から大小様々な瓶を取り出し始めたのだ。その全てが酒の瓶だという事に気付くと、現金な事にビーストの相好は情けなく崩れたのだった。
 
 結局、チカゲの機嫌が治ったのは夜になってからであった。
「イズミが床下に色んな武器を隠してたんだよ。それがそっくり無くなってる」
 お前か? 睨まれて、オキはそれは違うと首を振った。
「一緒に入れてたんだろうな。イズミの秘蔵の酒しか残ってねぇ」
 もういいんだ。全部飲んじまえ! 彼は栓を開ける。だって、彼女はもう居ない。
 死体はオキの手によって部屋の隅に固められた。見えないように布を張ってある。それでやっとチカゲもビーストも部屋に落ち着く事が出来たのだ。侘びのつもりだろうか、オキが車に積んでいたマリファナ煙草を三カートンも渡したのでチカゲはご機嫌だった。
「薬(クスリ)ってのは酒と一緒にやると目茶(メチャ)効くんだ」二本同時にくわえては大量の煙を吐き出している。「オキ、もう一回テレビ点けてくれ」
 当分この友人には逆らわないと決めたのか、オキはだらりと立ち上がると、この家に唯一残った家具ともいえるテレビのスイッチを付ける。そこには当然、ややこしい作業が付随するわけだが。電気が通っているわけではないので、車から引いてきた自家発電装置のモーターを回して接続して、それからようやくテレビも点けられる。その作業を黒ずくめの男は黙々と無言で行う。しかし努力空しく、映った画面は灰色の砂嵐であった。
「……滅多に電波を拾えないから」
 言い訳がましくオキが呟いた。昼間から何度か挑戦させられているのだが、一度としてまともな映像を映さないのだ。
 娯楽というものが極端に少なくなってしまった時代だ。人々はこんな面倒な思いをしてでも──しかも報われない事が多くとも──こうやって暇を見付けてはテレビを触っている。
 オキの言によればそれが今朝、一斉に映したのが《赤き死》の姿という事だ。例え画面が映っても、今その映像が流れるとは限らない。しかし弟(チカゲ)としては気になって仕方がないのだ。「あのテロの時の映像、僕は見た事がないんだ」
 オキがぼんやりと顔を上げる。無表情だが、この男なりにそれは驚いた時の反応だ。
「当時、ニュースで随分流れていたが」
「らしいな」チカゲが肩を竦める。「イズミがテレビを見るなって言って壊しちまって。無茶苦茶だろ。だから今の機械は後から買ったやつ」
 もしかしたら自分が血生臭く映っている様を、弟には見せたくなかったのかもしれない。彼女の気持ちなんて、今となっては分からないが。
「そうか……」
 こういう時、オキは適当な気の利いた言葉を言えない男だ。生返事をしたまま黙ってしまった。代わりにビースト割って入る。ちゃっかり酒を飲みながら、こちらもご機嫌な様子であった。
「何? 昔のニュース映像? ちょっと前までならネットで探せば一発だったんだけど。テロ映像なら軍事マニアが絶対に保存してる筈だし、さもなきゃニュース映像ってことで意外と女子アナマニアが持ってたり」
「何まにあ?」
 何だ、こいつ……。チカゲの笑みが凍りついた。いや、違うよと言いながら、少年は尚も一人で喋り続ける。何が違うと言うんだ。
「オレ、そういう仕事してたから。政府筋から依頼を受けて国際機関のコンピューターに進入したり。そうそうオレ、ハッカーって呼ばれてたな」
 ろくな仕事をしていなかったようだ。どちらにしろ、『ハッカー』も本名ではない。
「テロの映像って昔の? あれ、もしかして……」
 懸命に記憶の糸を手繰る様子。それからほんの数秒後、彼はすっとんきょうな声を上げた。
「イズミって、まさか……チカゲのお姉さんって《赤き死》?」
 元SAT(特殊急襲部隊)隊員で、空軍特殊作戦軍団・SOC所属のイズミ?
 早口で一気に捲し立てられたが、チカゲには半分以上聞き取れなかった。僕は詳しくは知らないんだ、言い訳するように返すしかない。しかし何でお前がそんなに興奮してるんだ。咎めるような調子に、しかしビーストは応えちゃいない。本当だ、よく見りゃこの人、イズミとそっくり……。うっとりと眺められ、チカゲは後ずさる。
「オレ、大ファンなんだ。《赤き死(イズミ)》。カワイイよね、キレイだよね。それで格好いい! 彼女が警察学校の全国射撃大会で優勝した時からオレ、目を付けてて。公開の大会は全部見に行ったし、非公開のもコネ使って潜り込んだし。彼女が警察辞めて自衛隊に入ってからもスケジュールとか休みとか全部調べて。て言っても別に辞めたくて辞めたわけじゃないってのも知ってるよ。特殊部隊所属の警察官は軍の方に移らなきゃいけないって圧力掛かったんでしょ。ヒッドイよね。でも移ってからの活躍ったらまた! まさに空の人って感じ。でね……」
「……おい、ちょっと待て」チカゲの声が低くなる。
「ある日、彼女が家に帰るとこ後付けてって。オレ、投げ飛ばされちゃった」
 少年はアハハと明るく笑った。あの時初めて手をつないだんだよなぁ。と遠い目をしている。
 それは手を繋いだんじゃなくて殴り飛ばされたんだろ! 怒鳴りつけるか、ぶん殴ってやるか、怒りのあまり一瞬躊躇したチカゲの手を、オキが押さえる。
「身体的危害を与えて、獣化されては危ない」
「お前な……」
 獣人(こいつ)の体の事しか興味がないんだな。関心のない事には酷く冷淡なオキに対しても怒りが込み上げる。
 姉を付けてたのはこいつだったか。獣人のストーカー? イズミも傍迷惑な奴に目を付けられたものだ。それにしても彼女が学生の頃からだと? 生きていたら姉は二十八歳になる筈だ。
「お前、一体何歳(いくつ)なんだ」
 しかし調子に乗ったこのストーカーはうっとりした表情で首を横に振った。
「《赤き死》の弟がチカゲだったなんて。お姉さんのこと教えてよ。何て呼んでたの?」
 こいつ、やっぱりムカツク。オキに止める間も与えず、チカゲはストーカーの頭を思い切り殴った。大袈裟に悲鳴をあげてその場に倒れるこの男を、更に奈落へ突き落としてやれ。
「そんな良いもんじゃねぇよ。イズミ……《赤き死》か? ありゃあ、どっちかって言うと奇人変人の類いだ」
 訳分かんねぇ女だったな。酷い酒乱で飲んだくれちゃ暴れて、僕が酒隠したら半殺しにされたし。それで酔っ払っちゃ特殊部隊の実戦訓練だって言って、弟にライフルぶっ放すような奴だよ。
「へ、へぇ……」
 さすがにビーストの顔が引き攣った。
「自分の事、フランス人だって言って髪赤くして。そんな訳ねぇだろ!」
 余程実感がこもっているように聞こえたのだろう。ビーストが黙ったままのオキに向かって「フランス人って赤毛なの?」と聞いている。オキは「知らん」と首を振った。
「そ、それでも……」
 素敵なお姉さんだよ、と言いかけたビーストを遮ったのは他ならぬチカゲだ。
「それでも僕を育ててくれた姉だ。復讐はしてやる。彼女を討った奴を必ず見付けて、僕がこの手で……」
 ガシャンと音がした。
 少年が酒の瓶を落としたのだ。アルコールの臭いが部屋中に立ち込め、残る二人が噎せ返る。そんな中、ビーストは呆然と立ち尽くしていた。
「イズミは死んだの……?」
 そんな、そんな事が……。激しく首を振る。
「一体いつ? 何で? オレは知らない。そんな、イズミが……」
 酷い! と叫び手足を激しく動かす。チカゲは慌てて彼を押さえた。酷く興奮している。このまま放っておけば獣に変異しそうに思えたのだ。
「飲め」
 横からグラスが差し出された。オキだ。中身は勿論、酒ではなくて水である。チカゲはそれをひったくると、暴れるビーストの口に無理矢理あてがった。
 一口水を飲んで、ようやく少し落ち着いたのだろう。手足の力が徐々に抜けていく。
「そりゃ、僕だって認めたくはないさ……」
 チカゲもうなだれた。オキがもう一杯水を差し出し、今度はチカゲがそれを飲み干す。
 その姿を見て、ごめんと言いながらビーストはその場に座り直した。
「ごめん、びっくりしたんだ。まさか彼女が……」
 チカゲはちらりとビーストを見やる。何となく親近感を抱いたのだ。複雑な事情はあるが、イズミを好きだという点においては自分達は同類だ。放っておけない気になった。
「ビースト? お前は何であんな姿……つまり、獣化するんだ?」
 相手も同じ様な思いを抱いたのであろうか。神妙な顔付きでチカゲを見詰める。しかし返ってきた答えは人を喰ったものだった。
「それは分かんないよ」あっけらかんと言って肩を竦める。「だって、なりたくてなるわけじゃないし。オレのせいじゃないし。いつからこうなったとか、あまり何も覚えてないんだ。考えたってしょうがないし、どうでもいいかなって」
「お前な……」
 前言撤回だ。やっぱりこいつとは相容れない。煙草を一本取り出そうと、溜め息をつきながら箱に手を伸ばしかけたチカゲは、そこで強烈な眩暈に襲われた。
「アレ……」
 強烈な眠気。座っていられなくなり、その場に倒れ込む。
 意識を失う寸前、隣りでビーストも同じ様に倒れ込むのが分かった。そして黒ずくめの男が立ち上がる様も。その口元が微妙に歪んでいる事に気付いた瞬間に、チカゲの感覚は完全に失われる。
 
 目覚めると、最悪な光景が広がっていた。
 
     ※
 
 《塵》特有の強風がむき出しの顔面に刺さるようだ。チカゲは樹種席で丸くなった。
「寒ぃ……」
 家から家具はなくなっていたが、それでも昔使っていた上着やコートを探し出して無理矢理着込んでいる。少々、きつい。
「チカゲ、寒がり?」後部荷台からビーストが呑気に尋ねた。
 ちらりと少年の方を見てから、彼は血の気の失せた顔を更に青くする。チカゲが応えないものだから、ビーストは首を傾げてみせた。
「まったく……。まだお腹が引き攣れる変な感じ。ひどいよね」
「細かく縫ったからな」とオキが呟く。「肉は直ぐに付くだろうが。それにしても脅威の回復力だ」
 普通ならまだ痛みがあるだろうし、動けば傷口が開く筈だ。
 オキが饒舌になっている。また妙な癖が出たのだ。
「人の腹だと思って! メチャメチャだよ。腹肉が内側からスースーする感じ」
「う……」
 ──やめろ……。
 
 チカゲは片手で口元を押さえた。また胸がむかついてきた。血の臭いが蘇る。
 
 今朝の事だ。
 薬によって眠らされていたチカゲはやけにすっきりと目覚めた。久々に自宅で──余計な死体はあったものの──眠った為だろうか。それとも薬によって深い睡眠を得られたからか? などと考えながら、起き上がった彼はくんくんと鼻をひくつかせる。
 嫌な臭いがした。そう、これは血の臭い。それも生々しくて、近い。
 周囲を見渡しても昨夜と変わった様子はない。ただ一か所、布で隠された向こうが気になった。そこにはオキが集めた死体がある筈だ。勿論、入りたくなんかない。しかしオキとビーストの姿が見えない事も、不安感に拍車をかける。まさかという思いが過ぎり、カーテンを剥ぎ取った目の前に広がっていたのは実際、想像を絶する光景であった。
 血まみれのオキが立っている。自分の血ではない。手にはメス。チカゲになど目もくれず、歓喜の表情で見下ろす足元。
 床に仰向けに横たわるのはビーストだ。その腹はぱっくりと割れている。つやつやと光る臓腑が見え、床に垂れる血液が香る。
 ウッと呻いて、チカゲはその場で嘔吐した。
 
「気持ち悪い。寒い」
 昼を過ぎても食事もとれず青白い顔を晒す男を、当のビーストは指差してケラケラ笑う。
「チカゲ、生肉とか食べられないタイプ? 学校でフナの解剖する日はずる休みしたクチ?」
「……学校には、行ってない」
 これが通常の神経だよ! 本当ならそう怒鳴りたいところだが、そんな気力もない。頭も痛くなってきた。すると、この度の騒ぎの元凶である黒ずくめの男がまたもや妙な事を語り出した。
「解剖の結果、獣人と言っても内部は普通の人間と変わらないという事が判明した。獣化の原因は分からないが、血液中のアドレナリン量の増加という事が考えられるか。出来れば獣化した時にもう一度解剖してみたい」
「……そりゃ無理だろ、オキ」
 前の二人はちらりと少年を振り返る。ビーストはきょとんとしていたが、それは己のあの姿を知らないからだ。
「ごめんね、獣化の間は本当に何も覚えてないんだ」と繰り返す。「でもさ、記憶があったら逆に悲劇だよね」
「全くだな」
 チカゲは溜め息をついた。図太いんだか何だか。この神経には付いていけそうにない。
 その時だ。RATTが急停車した。乗り心地の良い快適な車内とは到底言えない戦闘用車両だ。チカゲとビーストは前につんのめる。
「痛い! オキ、何やってんのさ」前の座席に頭をぶつけたビーストが叫ぶ。
 しかし運転席のオキは苦い顔をしたまま、前方を凝視していた。その視線の先──車の前には数人の人影が。
「何だよ、あれ」チカゲが舌打ちした。
 目出し帽で顔を隠し、全身を戦闘服に包んだ男達。ご丁寧に防弾アーマーまで着込んでいた。これは一見して普通の強盗ではないと分かる。手には当然というか、アサルトライフルを持っていた。それをイスラエル・ミリタリー・インダストリー社製のIMIタボールARシステムであると見抜いたチカゲはベルトに挟んだベレッタをそっと抜き出す。尤もハンドガン(こんなもの)でアサルト数本に対抗できるとは思えないが。
 どうしようとうろたえるビーストに「こういう時に獣化しろよ」と言ってから、チカゲは隣りのオキに何事か囁く。葬儀屋は血の気の失せた顔で「そんな事はできない……」と呟いた。こういう時は本当に役に立たない男だ。
 男達は探るように車を取り囲む。直ぐに発砲する意思はないようだ。銃口が上を向いている。ならば相手の出方を窺うより、先手を打つ方が有利。そう判断すると、チカゲの行動は早かった。競走馬の尻を叩くようにオキの足を叩いてアクセルを踏み込ませると、続け様に数発。空に向かってベレッタを撃ち放った。急発進する車から狙いを付ける事は不可能だが、威嚇にはなる。後は座席に身を沈めるだけだ。
 その辺の建物に車体を擦り、悲鳴を上げながらもオキはアクセルから足を離そうとはしなかった。足が硬直したのかもしれない。車はどんどん加速する。後部座席で蹲ったビーストが、こちらも情けない悲鳴を叫び続ける。
 数発の銃弾が掠めたが、航空機用のアルミニウムで防弾を施された車体に影響はない。男達が迫って来る気配もなく、しばらく走ると車は道路脇の鉄材の屑に突っ込むようにして止まった。止まるなり興奮したビーストが後ろで何か叫び出す。「無茶だ」とか「危ないだろ」とか。オキもぜぇぜぇと喉を震わせている。空になった弾倉を道路に落として、チカゲはもう見えない敵を振り返った。
「施設の追っ手かな」ちらりとビーストを見やる。
 麻薬更生施設の連中がどこまで関わっているかは知らないが、こんな奴を野放しにしてはおかないだろう。どさくさに紛れて逃げ出した自分にも追っ手が掛かるのは道理だった。
「い、いや、違うだろう。ただの強盗だ」
 あんたは核の後、五年もこの街から離れていたから。オキが言う。最近は随分減ったが、ああいうのは日常茶飯事だったんだ。
 《塵》には警察組織も、勿論軍もない。荒れ放題だった。
「しかし今は官房長官のおかげで秩序を取り戻しつつある」
「……誰?」
 最近では全く聞かなくなった政府役職名。当然だ。ニッポン政府そのものが無くなったのだから。しかもオキがやけにその名を誇らしそうに言うものだから、チカゲは眉を顰めた。
「官房長官って?」
 チカゲは勿論、ビーストまで顔を顰めたのを見て、オキは言い直した。
「分かっている。政府は無いから肩書きだけだ。要は渾名みたいなものだ。
 その男は新垣(アラカキ)財閥の御曹司で、政府高官の唯一の生き残りであるとオキは説明した。この《塵》で、ニッポン復興を指揮する指導者なのだと。
「ふーん……」
 友人の口振りから、彼がその人物に好感を抱いている事は窺える。
「くっ……」
 ビーストを見やると、彼は顔を顰めたままおかしな表情をしている。どうやら笑いを噛み殺しているようだ。
「何だ、何がおかしい」
「いや、違うよ。オキ、ごめん。オレ、新垣財閥の親戚って奴なら知ってるんだ。内緒だけど、外務省からも仕事請け負ってたから。そいつ、外相の第三秘書の手伝いか何かしてた。覇気のない奴でさ。いつもボソボソ喋るから何言ってるか分かんないんだ」
 そうそう、大相撲の表彰式だけは毎回出てたな。トロフィー渡す人に付いて行って。それだけは自分の仕事みたいに。おかしな奴だったよ。
「まさかそのニイガキじゃないよね」
 オキは少々むっとしたように、ビーストの言葉を無視した。チカゲも遠い目をしている。
「僕も国技館にはよく行ったな。イズミが相撲好きで、朝っぱらから無理矢理連れて行かれたんだ」
 今、その方向に懐かしい緑の六角屋根は見えない。崩れかけたビルが並ぶだけだ。ちょうど国技館のあった場所辺りに建設中のやけに高い鉄塔が目に止まるくらいか。
 この街で、イズミとの思い出はあらかた消えてしまっていた。
「そういや、オキ。お前いつだったか言ってたな。崩れた国技館跡地の廃墟に幽霊が
でるって」
 馬鹿にしたような軽い口調に、オキはますます黙り込む。ビーストも笑いを噛み殺した。
「幽霊? そりゃ大変だね。オレもそのテの話は嫌いじゃないけど。それよりさ、あの建物、何?」
 鉄塔よりずっと向こう。方向にして北西の方に、五年前には見た事もない巨大ビル群が立ち並んでいる。距離はかなりありそうだ。霧の中に、影だけが威圧的に映る。
「あそこは中国の埋立地だ。一歩でも入ったら向こうの軍に撃ち殺される」
 仕返しのつもりか、オキの言い方は意地悪い。ビーストは肩を竦めて話題を転じる。
「ところでオレ達、どこにむかってるの?」
 オキは答えない。代わりに運転席横に標準装備されている無線機に向かって何か話し始めた。もう直ぐ到着するので門を開けてくれとか、遺体がどうとか。
 今朝、彼が無線で何かやり取りしていた事は知っていた。仕事の依頼だったのだろう。死人が出たから引取に来るようにと。
 チカゲは《塵》の景色を見ながら思い出していた。施設に面会を装って薬を届けに来た友人が趣味と実益を兼ねて葬儀屋を開いたと報告してきた時を。
「昔から儲かるんだ、葬儀屋は。なにせ相場のない仕事だからな」
 陰気な口調でそう言われ、チカゲは「へぇ……」としか返す言葉がなかったのだった。
 車は街外れに向かう。暫くして、外国人専用の病院の前に止まった。背後の荷台で空の棺桶が音を立てる。機嫌の悪かったオキの表情が輝き始め、チカゲは人知れぬよう溜め息をついたのだった。
 
     ※
 
 核後、アメリカ軍はすぐさまニッポンに残された唯一の土地に上陸した。対中戦線を見据えて焦っていたに違いない。大混乱の中、とりあえず急ピッチで建物を二つ建てた。そこを拠点に《塵》占領を試みたのだ。
 しかし僅か二週間後、軍は本国へ引き上げる。大気中、或いは土の中の残留放射能の危険を考えると、ここに基地を造る事は出来ないとの判断であろう。建物はアメリカの人権団体に下げ渡された。その一つがチカゲ、ビーストの居た麻薬更生施設。もう一つがここ──外国人専用病院だ。
「ダスト(こんなとこ)に外人なんて居るのかよ」
 ぼやきながら屋内に入ったのだが、そこは意外と大規模なホームであった。死体を引き取り、簡単な葬儀を執り行うというオキは奥の方へ進んで行ったが、チカゲとビーストは玄関近くのこの遊戯室に残った。わざわざ死体なんて見たくないと言うチカゲの腰は完全に引けていた。ここで待っていると言い張ったのだ。ビーストも彼に倣う。尤も、こちらは単に面倒臭かっただけだろうが。
「でもさ、ここも結構……」
 そのビーストが情けない声でコートの袖を引っ張った。部屋の隅のソファーに腰を下ろしたチカゲは黙って頷く。
 病院といってもここは精神病院(メンタルクリニック)であった。喰い入るようにテレビ画面の砂嵐を見続ける者。うろうろ立ち歩く者。新顔の二人を睨み付ける者。
「チカゲ、ちょっと怖いね」
 突然人間になったり動物になったりするお前の方がよっぽど怖いよ、と言いたいところだが言葉を飲み込む。
「僕は慣れてる。イズミも酔っ払ったらあんな感じだったから」
 大声をあげて走り回る少女を指差した。
「え? そ、そうなの……?」
 理想を崩され、一瞬ビーストが言葉に詰まる。少女はこちらに気付くと人懐っこい笑顔を見せて走り寄って来た。
「リリ、です。よ、ろしく」
 片言の日本語だ。怯えていたビーストが、突然笑顔を作ってこれに答える。
「オレはビースト。君、カワイイね」
 ──怖いんじゃねぇのかよ。相手は十歳にもならないアメリカ人の女の子だぞ。訴えられるぞ。
 嫌味のつもりで肘をつつくが、うるさそうに手で払われた。
「あのコ、はムーン」
「あのコ、はパウル」
 リリはビーストの腕をつかむと、遊戯室に居る男女を順に指差しては紹介していく。
「あのコ、はメイ。と、うもろこし畑、で働いてた、の」
 少女の指が一人の男の所で止まる。チカゲと同い年くらいの小柄な青年が椅子に座ってじっと虚空を見詰めていた。ぼさぼさの金髪を束ねて、見るからに病的な青白い肌をした男である。
「あれでもメイ、はスゴイの。強い、の。センソウ、でロケット砲でヒ、コウキを一日で二十、機も、落とし、たんだって!」
 自分の話題とは気付かないのか、メイはこちらを見ようともしない。その男を睨んでいたチカゲの視線が微かに沈んだ。自分でも気付かないうちに、ちょっと変わった外人を見たら、それかせ復讐相手ではないのか。姉を討った奴ではないのかと疑う癖がついてしまっていたのだった。そんな訳ねぇだろ。一人、呟く。
 その時だった。部屋の隅から叫び声が上がった。映らないテレビを凝視していた男が突然大声を上げたのだ。つられたリリも裏返った甲高い声で叫び出す。
「うぅ……。な、何だよ」
 すぐ側でやられたのだろう。ビーストが耳を押さえて床に蹲った。
 男は叫びながら床に座り込んだ。風向きの影響だろうか、突然電波が回復したのだ。粒子の粗いざらざらした映像だが、画面から薄い光が放たれる。映像は一人の女性を映していた。音声がないので良く分からないが、どうやら中国の天気予報のようだった。アナウンサーであるらしい女性はにこやかな笑顔で口を動かす。
「ちょっと見てよ、チカゲ。こういう映像久しぶり。この子、カワイイね」ビーストが嬌声をあげた。
 この男のカワイイはどうやら全ての女性に向けられる言葉のようだ。姉を褒められて気分を良くしていたチカゲは僅かに肩を落とした。
「あっ……!」
 ビースト始め、部屋に居た大半の者が声を上げたのは、画面がまたもや黒く乱れ始めたからだった。たまに映ってもこうやって直ぐに駄目になってしまう。彼等の落胆の声はその事に慣れたような色合いをなしていた。
 しかし画面は暗くならなかった。女性アナウンサーの笑顔と赤い画面が交互に瞬き、一瞬真っ暗に落ちた後、そこに全く別の映像を映したのだ。
 赤の髪を揺らし、佇む女性の姿。見慣れた軍服を着ている。カメラが寄り、その厳しい表情を映し出す瞬間、またもや画面は黒に落ちた。
 時間にして僅か数秒。しかしチカゲはそこに全世界を見たかのように、凍り付いていた。
「……イズミ?」
 潤んだ眼球が激しく震える。息が詰まったように呼吸すら止めて、彼は画面を凝視していた。そこにはもう赤い髪の女は居ない。女性アナウンサーの姿も消え、黒と灰の砂嵐に戻っている。
 一瞬だった。しかしそれは紛れもなく《赤き死》──彼の姉、イズミの姿である。激しい動揺が見せた幻などでは断じてない。ああ、何故もう一度映さない? お願いだからもう一度、彼女の姿を……。
「チカゲ、落ち着けよ!」
 ビーストに腕をつかまれて初めて彼は我に返る。ほとんど無意識のうちにテレビを激しく揺すっていたのだ。機械は台から落ち、床に転がる。液晶に異常を来たしたのか、画面は真っ黒に転じていた。
 ──確かに今のは《赤き死》だった。一瞬で分からなかったけど、多分……。
 ──いや、まさか……。
 ──イズミが生きて……?
「チカゲ!」
 握る腕の力が強くなる。チカゲの視線に危ういものを感じたのか、ビーストは彼を無理矢理テレビの前から引き離しにかかった。
「あれは昔の映像だよ。落ち着けよ、チカゲ。昔のビデオだ」
「昔の……?」
 ならば今はイズミは生きてない?
 チカゲの身体から力が抜けた。膝から崩れ落ちる。ほっとしたようにビーストは彼から手を放した。
「でも、どうして今頃彼女のビデオが?」
 訝しむ顔付きで部屋に目を転じると、この騒ぎに興奮してソファーで飛び跳ねているリリと目が合った。
「アカキシ? 知ってるよーぅ。スコ、シ昔、ラジオで、も言ってた。私はアカキし、ってオンナの人がァ!」
「何……?」
 言ってる意味が分からない。つまり《赤き死》の情報が氾濫しているという事か?
「イズミが生きてるって事か?」
 ──信じちゃ駄目だ。信じたら絶望する。でも……。
 チカゲが猛然と立ち上がる。今にもどこかに飛び出して行きそうな勢いだ。
 しかしその瞬間。彼の体は背後の壁に飛んだ。自らの意思ではない。突っ込んで来た人物に体当たりされ、飛ばされたのだ。突然の事に、ビーストはその場で硬直する。周りの者達も悲鳴を上げて走り回り、部屋はとんでもない騒ぎで膨れ上がった。
 背中を強打し、咳き込みながらもチカゲは反射的にその場を飛び退く。その髪をつかんで今度は床に叩きつけたのは、青白い顔をした青年であった。表情のない双眸、しかし馬乗りになって押さえつけるその力の凄まじさ。一瞬怯んだ隙に銃を奪われ、額に押し付けられる。先程撃ったばかりで、銃口はまだ熱い。
「やめろ……」
 チカゲの声は、部屋中の悲鳴に完全に消えてしまった。
 じっと虚空を見据えていた青年、メイであった。表情を失ったその目には、追い詰められた恐怖のような暗さが見え隠れする。目の前で引金に掛けた指が動き、チカゲは凍り付いた。
 ガチッ。
 硬質の金属音。そして銃の内部で何かがスライドする音が続く。額に一瞬の振動が伝わり、その瞬間、彼の頭は飛ぶ筈だった。
 ガチッ。ガチッ。何度も引金を引く音。
 ──そ、そうだ。
 チカゲの意識が次第に明瞭になっていく。強盗に襲われた時に弾丸を全部使い切ったんだった。さっき空の弾倉を捨てた事を思い出す。額から冷たい汗が吹き出した。
 メイは役に立たない銃を投げ捨てると、今度はチカゲの首に両手を。押し潰さんばかりに体重をかけられ彼の額が色を失った時、背後から細い銃声が響いた。メイの手が力を失い、その上体がチカゲの上に倒れ込む。
 ──コロス……。
 彼の耳にしか届かない小さな声を残してメイは意識を失った。
「だ、大丈夫? チカゲ」慌てて走り寄ったビーストが彼を助け起こす。
 激しく咳き込みながら、しかし全身の震えを悟られたくなくてチカゲは彼の手を払って起き上がった。
「大丈夫か?」
 英語の言葉に顔を上げると、施設の看護人らしき男がライフルに似た銃を持ってそこに立っていた。傍らでは「メイが死んだ!」とリリが泣いている。
「麻酔銃だ。しばらくすると意識を取り戻す。あんた等がブラッディ・デスがどうとか言ってたから興奮したんだろ」
 こいつは西海岸であの悪魔みたいなブラッディ・デスにやられたんだ。何とか命は取りとめたが、ショックで喋らなくなっちまった。
「何言って……?」
 ビーストがきょとんとした表情でチカゲの背をつつく。看護員の英語が理解出来ず、説明を求めているのだ。しかしチカゲも彼に答える余裕はない。
 聞くところによると地上からでも見えるらしいぞ。掃射してくる飛行機のパイロットの顔ってな。その表情までもが。
 瞬間。チカゲの脳裏で映像が弾けた。逃げ惑う地上の人間を狙って、低空で爆撃を繰り返す機体の操縦席──そこに赤い髪の女が。地上からでもはっきりと見える。女の顔はチカゲそっくりであった。
 弾かれたように体を震わせ、チカゲは物も言わずに建物を出て行った。最後にちらりと振り返り、倒れたままのメイを見やるが直ぐに怯えたように視線を逸らせる。
 外に出るなり煙草をくわえ火を点ける。だがライターが上手くつかない。苛立って何度も操作するうちに、くわえた煙草をも落としてしまった。まだ奥歯が震えている。
「チカゲ、大丈夫?」
 慌てて追って来たビーストの声すらも耳に入らなくなっていた。
 ──オマエをコロス。
 まだ耳の奥に残るその憎しみの声。あれほど強烈な殺意をぶつけられたのは生まれて初めての事だった。
 戦争なんだ。仕方がない。でも、イズミは──《赤き死》は戦場で何をしていたのだ?
 そう思うと全身が凍り付いた。
 


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