息子と回らないあの店 美食の沼へ
幼少期、ブロッコリーばかりを好んで食べていた我が息子が、美食の沼にハマる決定的なきっかけがあった。
※ブロッコリー編もよければお読みください
小学校の入学祝いとして、妻の両親に初めて「回らない寿司屋」へ連れて行ってもらったときのことである。
その店は、いかにも一見さんお断りといった風情の重厚な店構えで、私たち夫婦は入る前から緊張しっぱなしだった。ちなみに妻もこの店はお初で、孫にはとことん甘い祖父母の生態が浮き彫りになっている。
店内に一歩足を踏み入れると、他のお客さんはみな上流階級といった身なりをしており、空気が違う。ふぅ、スーツを着てきてよかった。
そんなお店のカウンターに通された。大将から「いらっしゃい!」
と威勢の良い声をかけてもらったものの、心は落ち着かない。店内にメニューはなく、当然のごとくネタの値段などどこにも書かれていない。
「一体、いくらするのだろう……」
と私が心の中で怯えていると、妻の父は慣れた様子で「お任せで」とスマートに注文した。
私たち夫婦も、必然的に「お任せ」の波に乗ることとなった。
極上のネタを堪能しつつも、まだまだ緊張の解けない私たち。
そんな様子を察してか、カウンターの向こうから大将が優しく一言、声をかけてきた。
「ぼっちゃん、次は何を握りやしょう?」
ターゲットになったのは息子だ。当然、こんな高級店に来たことはないし、寿司のネタも大して知らない。そんな息子が、記憶の引き出しから引っ張り出して放った一言は、あろうことか、
「トロ」
心臓が跳ね上がった。
私はすかさず「あ、鉄火巻きでお願いします!」と、できるだけ安価な着地点へと軌道修正を試みた。
するとすかさず、横から義父の鋭いツッコミが入る。
「鉄火巻きじゃないだろう。大将、大トロと中トロで」
私の必死の防衛線は一瞬で崩壊した。結果として、贅沢な「お任せコース」にプラスして、大トロ、中トロ、そして私の注文した鉄火巻きがカウンターに並ぶという、奇妙で豪華な景色が出来上がった。
さらに大将の追撃は続く。
「ぼっちゃん、次はどうしやす?」
息子は自分が知っている数少ないネタの中から、自信満々に言った。
「いくら!」
「やめろー」
私は心の中で叫び、顔を引き攣らせていた。そんな私の様子を見た義父が、ニヤリと笑って一言。
「〇〇君も、好きなものを遠慮せずに頼みなよ」
神の救いか、悪魔の囁きか。義父の太っ腹な言葉に甘え、私は恐縮しつつも、ついに理性のタガが外れて口にしていた。
「……ウニ、お願いします」
大将の「ウニいっちょう!」という大きな声が店内に響き渡る。美味かったが、それ以上にめちゃくちゃ恥ずかしかった。
この日を境に、息子はことあるごとに「あの回らないお寿司屋さんに行きたい」と言うようになった。
しかし、私たち夫婦の経済力だけで行けるはずもない特別な空間であることを、子どもながらに悟ったのだろう。
息子はその後、じいじ(義父)にうまくすり寄り、私たち夫婦を抜きにして連れて行ってもらうという高等テクニックを編み出した。
まったく、ちゃっかりした世渡り上手小僧である。
