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息子と受験 合否を超えて


息子はこれまで、三度の大きな受験を経験してきた。

一度目は、小学六年生の中学受験。

滑り止めを含め、二校を受験することにした。

まずは滑り止めの学校。ペーパーテストは何とかクリアしたようだった。問題は面接である。

……と思っていたのは親だけだった。

当の本人は、なぜか遠足前のようなテンションで面接会場へ向かっていった。

聞かれたことに対して、嘘にならない程度に話を盛り、自分を少しでも魅力的に見せる。そんな“自己PRスキル”を、小学六年生にしてすでに習得していた。

例えば委員会活動やクラブ活動。

副リーダーという肩書きではあったが、実際は「名ばかり副リーダー」。それなのに面接では、「みんなをまとめ、中心となって活動しました」と、もはやリーダー本人のような語り口である。

また、頑張らないと決めていたクラブチームでのサッカーについても、「毎日サッカー漬けです」と言わんばかりの熱量で語ったらしい。実際は週数回なのだが、そのあたりの“情報の圧縮と拡張”が絶妙だった。

極めつけは、「御校の良いところはどんなところですか」と逆質問までしたことだ。

小学六年生が、である。

もはや面接というより、就活、営業である。

それが学校の校風に合っていたのかどうかは分からない。

だが、結果は合格だった。

そして、いよいよ本命校。

さすがに息子も緊張していたようで、数日前から体調を崩し始めた。

受験当日の朝、「なんだか熱っぽい」と言うので体温を測ると、37.1度。

受験界では“いちばん判断に困る数字”である。

薬は眠くなるので避け、「まあ、気のせい、何とかなる」という昭和的根性論で送り出した。

試験は無事に終わった。

しかし息子は、「ほとんど記憶がない」と言う。

まるで夢の中で受験したかのようだ。

その足で病院へ直行すると、診断はインフルエンザ。

熱は39度まで上がっていた。

そりゃ記憶も飛ぶ。

結果は補欠合格。

いわゆるキャンセル待ちである。

ジェットコースターのような受験である。

運良く繰り上がり、その本命校へ進学することができた。

だが、私が一番驚いたのは、その後だった。

息子は、自分が補欠合格だったことをもちろん誰にも言わない。

しかし、まるで最初から余裕で合格していたかのように振る舞い、あっという間に学校へ溶け込んでいったのだ。

そのメンタルの強さは、もはや“記憶改ざん型ポジティブ”とでも呼びたいレベルだった。

親としては、ただただ感心するばかりだった。

次は高校受験。

中学受験でのインフルエンザ事件のせいで、我が家は必要以上に体調管理に神経を使うようになっていた。

もはや「受験」より「感染症との戦い」である。

絶対に病気になってはいけない。

その緊張感は、親子ともに相当なものだった。

私は少しでも体調がおかしいと感じると、「これは危険信号だ」と判断し、息子にうつさないよう実家へ避難するまでになった。もはや受験生の親というより隔離対象である。

一方の本人はというと、中学受験ほどの緊張感はない。

その中学校から本命高校へ進学する生徒が非常に多かったこともあり、「まあ大丈夫だろう」という空気をまとっていた。

親から見れば、「その“まあ大丈夫”で本当に大丈夫か」と毎日問い詰めたくなるレベルである。

それでも息子は最後までマイペース。

そして受験当日を迎えた。

試験を終えて帰宅した息子は笑顔だった。

安心したのも束の間、息子がこう言った。

「数学、大問二つやめといたわ。」

えっ、大問二つ?

それ、試験の“メインディッシュ”では?

そう思う私に対し、息子は平然としていた。

「あれ解いてたら、他の問題いけなかったから。」

なるほど、戦略的撤退らしい。

高校受験でそこまで割り切るものなのか、と驚いたが、もはやこちらが口を出す余地はない。

結果は合格。

おそらくギリギリだったろう。

しかし本人はそんなことなど気にもせず、その後はサッカーに青春を捧げながら、高校生活を満喫していた。

そして三度目。

大学受験である。

今度は家族全員の緊張感がこれまで以上だった。

感染症への恐怖はもはや“受験の付属科目”になっていた。

私はついに実家にも帰れず、ホテル暮らしまで経験した。受験生の親というより、もはや避難民である。

そこまでして迎えた受験。

共通テストは何とか突破。

問題は本命大学の二次試験だった。

試験終了後、息子からLINEが届いた。

「ごめん、多分ダメだわ。」

あまりにもストレートな自己採点である。

私は、「そんなことないだろう」と一縷の望みをつないだ。

しかし、息子の自己評価は正しかった。

結果は不合格。

滑り止めだった京都の大学へ進学することになった。

普通なら落ち込んでもおかしくない。

ところが息子は違った。

「京都エンジョイするわ。」

切り替えが早すぎる。

もはや“不合格の落胆”という概念が存在しない。

言葉どおり、新しい環境をすぐに受け入れ、大学生活を思い切り楽しんでいる。


私は三度の受験を通して、息子から一つのことを学んだ。

それは、人生は結果だけでは決まらないということだ。

補欠合格でも堂々と学校生活を送る。

試験で解けない問題は潔く捨てる。

第一志望に落ちても、その日のうちに気持ちを切り替える。

息子は、目の前の現実を嘆くよりも、その現実の中でどう楽しむかを本能的に選んでいた。

私はどちらかといえば、最悪の事態を想定して心配するタイプだ。

だから受験のたびに神経をすり減らし、体調管理に振り回されてきた。

一方の息子は、驚くほど楽天的だった。

そのせいで何度もこちらの寿命が縮んだ気もするが、それでも結果的には何とかなっているのがまた腹立たしい。

振り返ってみると、受験で一番強かったのは、学力ではなく、このポジティブさだったのかもしれない。

受験は合格か不合格かの世界だ。

しかし人生は、その後の方がずっと長い。

どんな結果になっても、自分の居場所を見つけ、笑って前を向ける。

親としては、それこそが息子にとって最大の「合格」だったのではないかと思っている。

※現在、息子は京都でロードバイクに乗り、思い切りエンジョイしています。

そんな息子の育て方のご参考になれば幸いです。

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