【茅の輪と祇園祭】山鉾「厄除け粽」と夏越の祓いの話
今年の祇園祭の前祭を終えて、ガイドをした所感をnoteしたところ
思いかけず多くの方から反響いただきました
有難うございました
また蘇民将来についてもたくさんのお声を頂戴いたしました
こちらも有難うございました
「茅の輪くぐりは、そもそもくぐる必要がないもの」
と記載したところ
「へぇ~そうなんだ」
から
「ふざけんなよ、夏越の祓いでくぐってきたところだぞ」
まで様々
他にも祇園祭の山鉾巡行の各山鉾の「厄除け粽」を紹介し、今しか買えないと記載したところ
「どこで買うのか?」「どこに行けばよいのか?」
というお問い合わせもいただきました
そこで「茅の輪」から山鉾の厄除け粽について、急遽補足させていただくことにしました
何故なら山鉾の「厄除け粽」は山鉾巡行の期間しか入手できません
前祭が終わった現時点ですが、後祭はこれから
まだ間に合います!
後祭に巡行する11基の山鉾の「厄除け粽」は後祭山鉾巡行まで入手可能だからです

「茅の輪」の話はどこからきたの?
私が調べてみても、他の皆様のご指摘通り蘇民将来の伝承(『備後国風土記逸文』)からきているようです
これについては最後に詳しくお話します
腰に付ける「茅の輪」の話が拡散する中(今風で言えばバズった)
家の玄関に「茅の輪」を掲げるようになったようです
また素戔嗚尊を祀る神社が増える中、神社でも「茅の輪」を掲げられるようになりました
神社や家で「茅の輪」を掲げるうちに、徐々に大きな「茅の輪」が登場
まぁ、見栄とか「ドヤ顔」ノリもあったのかもしれません
「茅の輪」が巨大化すると建物に掲げておくわけにいかず、地面に置くことになり、門とか鳥居に括り付けられたのだと思います
そうなると中を通りたくなるのも人情、というかくぐり抜けなければ入れませんので「茅の輪くぐり」が始まったと考えられます
後は、右だ左だという能書きはどうにでも後付け可能なわけです
「茅の輪くぐり」の作法については、学者によると陰陽道の影響が強いそうです
山鉾の「厄除け粽」

山鉾町会で授与されている「厄除け粽」
これは山鉾34基ありますので34種類あります
さらに山鉾連合会や八坂神社、神輿渡御を担う神興会の粽もあります
いずれにしても祇園祭の期間のみ限定授与です
基本は毎年買い替えて、古いものは山鉾の会所で引き取っていただきます(食品で言えば消費期限は1年)
とは言え、私の家には3年物などがあったりしますが...
蛇足【厄除け粽が貴重な意外な理由】
山鉾の厄除け粽、推しの山鉾がある人にはたまらない逸品です
やはり例年人気が高いのは長刀鉾
今年も連日午前中で完売!(購入個数に制限も)
ところで山鉾の「厄除け粽」は危機に見舞われています!
えーっ、何で?
コロナ明けの際は、厄除け粽制作の京都北部の農家さんが高齢化や人手不足もあって「もう、やめときますワ」が続出
山鉾巡行再開後には、予定数量の60%しか準備できなかった山鉾町会もありました
さらに追い打ちをかけたのが粽笹不足、つまり材料不足
原因は異常気象ではなく、鹿による食害!
「どないしょ~」なのですが、そこで考えられたのが
”粽の本数を減らす”
でした
基本10本締めなのですが、「別に10本でなくても」ということから
昨年放下鉾は3本、霰天神山は1本のプレミアム粽が登場しました
(放下鉾は三光の鉾なので理に適ってたりします)
今年は更に進化して
長刀鉾では長刀の模型に3本の小型粽
各山鉾で小型のキーホルダー粽
などが登場しました
キーホルダーだと、本来腰に付けるという主旨にかなり近いので
「ほんまやなぁ」
と感じ入った次第です
蛇足の蛇足ですが
函谷鉾では理事長、専務肝いりの新商品が登場!
その名も「ちまきチャーム」

おじさんたちが「これは若い人にも絶対ウケる」と意気込んだ場合
だいたいが残念な結果になりがちですよネ
でも、函谷鉾の理事長や専務はホントいい人なんですよ
いい人なんですがねぇ...
ちなみに「ちまきチャーム」、ホンモノの函谷鉾の厄除け粽と同じ
1,500円...デス (そりゃぁ厳しおすなぁ)
本家八坂神社の茅の輪護符
さぁ、ここで本家本元の八坂神社の茅の輪です

八坂神社で授与されている「茅の輪守」は小型で身に付けられるものです
これは主旨に適った、しかも八坂神社のものなので最強ですネ
実はここだけの話、
京都人でもあまり知られていない最強「茅の輪守」があります
疫神社夏越祭
7月の1ヶ月にわたる祇園祭
その最後の最後を飾る神事「疫神社夏越祭」
素戔嗚尊が南海に旅をされた時、疫神社の御祭神蘇民将来に手厚くもてなされたことを喜ばれ、疫病流行の際、蘇民将来之子孫は疫病より免れしめると誓約された故事により鳥居に大茅輪を設け、参拝者は之をくぐって厄気を祓い、又「蘇民将来之子孫也」の護符を授かります。
茅の輪、つまり蘇民将来の護符であるならば、この「疫神社夏越祭」で授与いただく護符以上の有難いものはありません
さらに、さらにですよ
「疫神社夏越祭」では疫神社におかれた茅の輪から茅の枝を1本抜いて自分で「マイ茅の輪」を作ることができます
京都人によっては疫神社におかれた茅の輪は、他の人の穢れを集めているから本末転倒だとおっしゃる方もいます
しかし、本来「茅の輪くぐり」というものは存在していなかったですし
茅の輪が人の穢れを祓うというのも蘇民将来の伝承とは別の後付け民間信仰なので気にされなくてよろしいかと思います
再び「茅の輪」の話はどこからきたの?
ここからは、少し面倒な話になりますのでご関心ある方のみご覧ください
「茅の輪」はやはり蘇民将来の伝承(伝説)からきています
オリジナルは『備後国風土記逸文』であることは研究者の皆様共通認識なようです
その後、素戔嗚尊を祀る神社の縁起を始め、多種多様のバリエーションが生じています
では『備後国風土記逸文』にはどうか書かれているのか
卜部兼方『釈日本紀』巻七に引用された形
備後國風土記曰 疫隅國社。 昔 北海坐志武塔神、南海神之女子乎與波比爾出座爾日暮。 彼所將來二人在伎。 兄蘇民將來甚貧窮、弟將來富饒屋倉一百在伎。 爰武塔神借宿處、惜而不借。 兄蘇民將來借奉、即以粟柄爲座、以粟飯等饗奉。 爰畢出坐。 後爾經年、率八柱子還來天詔久、我將來之爲報。 汝子孫其家爾在哉止問給。 蘇民將來答申久、己女子與斯婦侍止申。 即詔久、以茅輪令着於腰上。 隨詔令着。 即夜爾蘇民之女子一人乎置天、皆悉許呂志保呂保志天伎。 即詔久、吾者速須佐雄能神也。 後世爾疫氣在者、汝蘇民將來之子孫止云天、以茅輪着腰在人者、將免止詔伎。
備後の国の風土記にいはく、疫隈(えのくま)の国つ社[1]。昔、北の海にいましし武塔(むたふ)の神[2]、南の海の神の女子をよばひに出でまししに、日暮れぬ。その所に蘇民将来二人ありき。兄の蘇民将来は甚貧窮(いとまづ)しく、弟の将来は富饒みて、屋倉一百ありき。ここに、武塔の神、宿処を借りたまふに、惜しみて貸さず[3]、兄の蘇民将来惜し奉りき。すなはち、粟柄[4]をもちて座(みまし)となし、粟飯等をもちて饗(あ)へ奉りき。ここに畢(を)へて出でまる後に、年を経て八柱の子を率て還り来て詔りたまひしく、「我、奉りし報答(むくい)せむ。汝(いまし)が子孫(うみのこ)その家にありや」と問ひ給ひき。蘇民将来答へて申ししく、「己が女子と斯の婦と侍り」と申しき。即ち詔たまひしく、「茅の輪をもちて、腰の上に着けしめよ」とのりたまひき。詔の隨(まにま)に着けしむるに、即夜(そのよ)に蘇民の女子一人を置きて、皆悉に殺し滅ぼしてき。即ち詔りたまひしく、「吾は速須佐雄(はやすさのを)の神なり。後の世に疾気(えやみ)あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と詔りたまひき。(釈日本紀 巻の七)
^ 現広島県芦品郡新市町大字戸手の江熊にある疫隅神社(疫隈國社 ?)。『風土記 日本古典文学大系2』 岩波書店 14刷1971年(1刷1958年) p.488の脚注。
^ 蕃神の武答神王の名による神名とするが、あるいは武に勝れた神の意のタケタフカミ(武勝神)にあてた神名かともする。『風土記 日本古典文学大系2』 p.488の脚注。
^ 貸すの意。『風土記 日本古典文学大系2』 p.489の脚注。
^ 貧しさを表現した言葉。『風土記 日本古典文学大系2』 p.489の脚注。
結論として「茅の輪は腰に付けるもの」になります
ここまでお読みいただいたアナタ!
有難うございます
この話、人に話したくなりませんか?
「ねぇ知ってる? 茅の輪ってさ、くぐる必要ないらしいよ」
とか
でも、やめといた方が良いですよ
嫌がられるか嫌われますから(涙)
余談
最後に余談です
この話からすると、蘇民将来の娘以外は全員殺されています(蘇民之女子一人乎置天、皆悉許呂志保呂保志天伎)
兄はいざ知らず、なぜ親切をした蘇民将来まで殺してしまったのか...
それは分かりません
神話なので、現代の私たちからすると残虐に過ぎるところもあります
そういうところもあって後の時代に、様々に脚色と言いますか
受け入れやすいような話に書き換えられ、伝え継がれているのかもしれません
