見出し画像

【涙の話】令和八年(2026年)祇園祭山鉾巡行ガイドの現場から

平成八年(2026年)7月17日(金)
祇園祭の最大イベント、前祭の山鉾巡行の有料観覧席での説明員を担当しております
本noteでは、所感と申しますかお客様に一番届いた(と感じている)トピックをご紹介いたします
と言いますか、是非聞いていただきたい話なんです

「涙」
図らずも3つの話題は涙になりました
いつの時代であっても
AIがなんでもしてくれる現代でも
感情が動き、涙があふれてくる、心が揺さぶられる、
そういう話が大切なんだと改めて気づかされました


京都市観光協会による祇園祭観覧席

話の前ですが、祇園祭や山鉾巡行、そして有料観覧席については上記リンクをご参照ください

お金はかかりますが、暑い中長時間にわたり山鉾巡行を目の前で見れる、
しかも「椅子に座って」
なのでオススメします
(自分が説明員だからではありませんよ、念のため)

各団体や企業でも観覧席を確保されて独自サービスをされています
さらにオススメなのですが、本noteはマーケティング目的ではないため
人気が高いアメックス様のみご紹介しておきます
(紹介料とか宣伝料とか金銭の授受一切ありません、これまた念のため)


3つの「涙」

2026年当日は酷暑でした(汗...)
しかし昨年の土砂降りに比べたら、まだ良かったとも言えます

雨ですと懸想品などにビニールシートがかかり、山鉾を曳く皆さんも雨カッパ姿
稚児人形や近年人気の高い蟷螂山のカマキリも雨天仕様で残念なお姿となります

天気と言えば...
京都三大祭りで「葵祭」、「祇園祭」、「時代祭」と言われますが
歴史が長いのは「葵祭」と「祇園祭」になります

「葵祭」の「路頭の儀」(斎王代と勅使の行列)は
雨天順延、順延日も雨の場合は中止です

では「祇園祭」の「山鉾巡行」は?
雨天順延も中止もありません! 

...ってマジですか?

そうなんです
「小雨決行」、「大雨強行」
なんです
この天候ネタは山鉾巡行説明開始時にツカミとして使ってます

さて、ここからが本題です

私が説明員の最初の頃は、自分で思い返しても良くなかったです(大反省)

  • きちんと正確に話さなくてはいけない

  • あの鉾は云々、あの山は云々

  • あれは懸想品で、どこそこの誰それがどうしたこうした

と、ガイドブックやネットにあるような情報を必死で話続けていました
良くないですねぇ
聞きたくないですねぇ
そもそも観覧席のお客様には山鉾連合会の立派な公式ガイドブックが配布されているんですから...

現在はどうしているか

  • 山鉾巡行を実施している山鉾町会内部の視点から

  • 京都市民の視点から

  • 京都観光ガイドとしての視点から

お客様が「聞きたいなぁ」と思われる話題をその時の状況や
お客様の引きの度合(関心の強弱)によりアドリブでお話させていただいています

私は山鉾巡行で言えば綾傘鉾の後援会員でもあり、各山鉾町会に知り合いがそれなりにいます

彼らの熱い想いを伝えるのが使命ともと思ったりしますが
しかし、そこはプロの説明員の端くれ
自分の感情や知識の押し売りだけは絶対に避けなければなりません

さて、今年お客様の表情から一番熱心に聞いていただけたネタ3選
すべて共通ワードは「涙」でした

おじさんたちの「美しい涙」
お母さんの「こらえきれなかった涙」
人知れず流した「悔し涙」


おじさんたちの「美しい涙」

そもそも祇園祭、山鉾巡行は疫病を鎮めるための祭礼です
しかし1000回を超える長い歴史の中では中止や中断されていたこともありました
そういった説明の文脈のなかで、数年前のコロナ禍での中止の話題になりました

まだ皆様の記憶にも新しいコロナ禍での感染対策
三蜜(「密閉」「密集」「密接」)を避けよ

様々なイベントは中止、企業も学校もリモート
学校生活でたった1回きりの修学旅行もなくなりました(涙)

祇園祭のほとんどの神事も中止、または神職のみで斎行
山鉾巡行も早々に中止が通達されました

しかし、納得ががいかない山鉾町会もあり、某町会は最後の最後まで残りました

「山鉾巡行は疫病を鎮めるためにやってきたのではないか」
「このコロナの今、まさに今! ここでやらないでいつやるんだ!」
「やらない奴はどうでもいい、ウチだけでも巡行するゾ!」

やるんだ!と力説するおじさんは感情が高ぶるんでしょうね、男泣きですよ
大粒の涙をポロポロこぼしながら叫んでいました
それを説得し押しとどめようとする立場の人も、気持ちがわかるだけに
同じように泣きながら必死に説得でした

最後の最後に山鉾巡行は中止になりました

あのおじさんたちが流した涙
人目もはばからず大泣きしたおじさんたち
鼻水も混じってひどい状況でしたが
私はこれほど美しい涙は見たことがありませんでした(もらい泣き)


お母さんの「こらえきれなかった涙」

山鉾巡行の鉾頭には子供が乗っていました
前祭の五つの鉾のうち、現在では長刀鉾のみにお稚児さんが乗っています
「生稚児(いきちご)」と言います

他の鉾では稚児人形なのですが、それぞれにエピソードがあり
中にはカラクリ仕掛け(3人がかり)で舞を舞う稚児人形も!

このお稚児さんについては、観覧席のお客様も興味津々

  • 毎年違う子供なの?

  • どうやって選んでいるの?

  • そもそもなんで子供なの?

  • どんな意味があるの?

などなど

山鉾巡行の開始を告げる「注連縄切」
これをやるのが長刀鉾のお稚児さん
全国ニュースでもながれる祇園祭を象徴する見せ場の一つです

でも、注連縄切だけではないんです、お稚児さんがやること

稚児に選出されてからはメディアの取材を受けたり
神事の作法や所作のお稽古などなどそれは大変なことに
着物を着て、お化粧付けてお千度参りもあります

しかも個人氏名や年齢、学校名はもとより親兄弟の情報まで大公開!
この個人情報保護が叫ばれている御時勢にここまで晒す必要あるんですか、と心配になるくらいです

そして祇園祭が始まり八坂神社に社参する「長刀鉾稚児社参」を迎えます

ここで稚児さんは五位少将(ごいしょうしょう)、江戸時代で言えば十万石の大名相当の格式を授かります

「すごいなぁ、いいなぁ」と思われるかもしれませんが、もっと大変な日々がここから始まります!

この日から精進潔斎の生活に入ります
女人禁制のしきたりということで、男性に取り囲まれての生活となります
お母さん、お姉さんや妹に会ったり話したりもできません
女性が作った食事はもちろん、他の人とは別の火で食事を作ります
実質お父さんとの二人だけの生活になるわけです

マンションを借りてお父さんと二人だけの生活というパターンが多いようです

ある年の稚児さんは、役目を終えてのインタビューで
・お父さんと二人だけで食事したりお風呂に入ったりで楽しかった
・それまで毎日していた友達とのSNSはしなかった
などと答えていました

神様のお仕えするお稚児さんは、山鉾巡行では地面を歩くこともできません
強力(ごうりき)という男性の肩に担がれて長刀鉾に乗り降りします

まだ小学校の子供ですよ!
遊んだり、ゲームしたり、友達とふざけたり、やりたい盛りです
なのに子供ながらに頑張っている姿には頭が下がります、ホント

・・・・・・・・・・
という前置きで今年話したのが、過去のお稚児さんのお母さんの話です

稚児のお母さんは本番までの期間どうしているのかというと
それはそれは緊張と心配で毎日ドキドキ過ごされていると思います

しかしそこは稚児に選出されるような立派なご家庭のお母さん
気丈に過ごされています
少なくとも傍目からはそう見えます

山鉾巡行が終わるとお母さんもテレビ中継などで取材を受けます
受け答えも気丈なお母さんそのもの、大したものです

・頑張っている姿を見ながら、陰ながら応援していました
・神事などで姿を見ることもできたので心配はしていなかったです
・上手く終わるように願っていました
・周囲の皆様方のおかげで感謝しかありません
などなど

美しい着物姿でそつのない受け答えをされていました

最後にインタビューアーが
「お子さんと会ったらどうされますか?」
と聞きました

これまでの流れからすると
「頑張ったネと褒めてあげます」
ぐらいかなぁ、と普通に思っていました

でも、これまでの子供の頑張っている姿など脳裏に浮かんだのでしょうね
あんなに甘えん坊だった、あの子があんな一生懸命に...
あの子もいつの間にか立派になって...とか(以上想像です)

お母さんは一瞬言葉に詰まりながら

「抱きしめてあげたいです」

みるみる目に涙が...

お母さんだって、稚児の母として立派にしていようと必死に頑張っていたのだと思います
だって我が子の一番大変な時に会うことも言葉をかけることもできないのですから...
それまでの立ち居振る舞いから、その張り詰めた気持ちは良く伝わってきていました

でも、最後はいつもの優しいお母さんに一足早く戻られたようでした


人知れず流した「悔し涙」

一昨年の山鉾行列でトラブルが起きました

山鉾巡行が始まってすぐに鶏鉾の車輪が破損したのです

結果として
鶏鉾は巡行断念、鶏鉾町会に戻る
残りの山鉾は巡行継続する

でした

この間20分強でしたが炎天下の四条通りでは大変長く感じられました

鶏鉾の後ろの小さな山3基は通り過ぎました
しかし大問題なのはその後
前祭後祭あわせ山鉾34基の中でも最大にして最重量の月鉾がいます
「どうやって追い越すの?」
なんです

四条通りは交通渋滞対策で片側二車線に整備されました
あえて車道を狭くして、御池通りなど他の広い幹線道路に迂回することを促しているのです

巡行開始後ですから、四条通りに山鉾23基が整列後のことです
鶏鋒より後ろをいったん鶏鉾町会まで下げて入れ替えることは現実的に有り得ません

「何としても、月鉾を鶏鉾の横から通す」

それしかなかったのです
これは誰が考えても「ホントにできるの?」でした

鉾に関係する人たちには大きく3つの役割分担があります
これを作事三役と言います
大工方:屋根の取り付け、巡行時には屋根に乗って障害物回避
手伝い方:山鉾の骨格造り、巡行時には音頭取り
車方:山鉾の車輪取り付け、巡行時には進路調整、辻廻し

ここからが語り継がれるであろう「鉾のすれ違い」が始まりました
伝説のはじまりです

鶏鋒の車方が四条通りでバスの乗降車時用に切り込まれたエリアになんとか鶏鉾を誘導し
月鉾の車方が針に糸を通すような繊細な進路制御で鶏鋒をかわし
鶏鉾と月鉾の屋根方がお互いの屋根を足で制御しながら接触を防ぐ

山鉾関係者、見物の皆様、固唾をのんで見守りる中
ギシギシと鈍い音を立てながら不思議な静けさの中を月鉾が進みます
祇園ばやしのお囃子が鳴り続いているのに、何故かシーンと静まり返っているような言葉にできない不思議な静寂感...
本当に数センチ、いや数ミリの制御で見事に月鉾が鶏鉾の横を通過できました

張り詰めた緊張が解けて、大歓声と大拍手が沸き起こりました
思わず涙を流す人もあちこちに...

その後、残りの山鉾も無事に鶏鉾の横を通り過ぎていきました

「行ってきます」「頑張って下さい」
「お気をつけて」「行ってらっしゃい」「本当に有難う」
山鉾同士で声を掛け合います

鶏鋒の皆さんは、どうしようか、大変なことになった、と心中を察するに余りある精神状態だったと思います

しかし、それよりなにより山鉾巡行は始まったところでした
他の山鉾を通さなければなりません
そのことに全神経を集中されていたと思います
(ホントに神がかり的なことなんです)

やがて最後の船鉾が過ぎて鶏鋒だけになり、静かになった四条通り
観覧会場の片付けや、信号機や電線の復帰作業が始まる中
先程とは逆に曳き綱を付け替え、静かに鶏鋒会所へ戻っていきました

特に車方の人たちは立場上深刻な精神状態になられていたことでしょう
何とか他の山鉾を通過させることができたという安堵感もあったのでしょう
そして何より悔しかったのだと思います

ボルト締めで応急処置した車輪の痛々しい鶏鋒を曳きながら
溢れ出る涙を汗を拭うようにして...


【2026年7月追記】

関連情報を追記しました
よろしかったらこちらもご覧ください


いいなと思ったら応援しよう!