祇園祭(蘇民将来)と信州 ~ みんなのしんしゅうがく旅行【京都】編
信州人(長野県民)の旅のnote【京都】編
修学旅行は昔の想い出の人も、これから修学旅行という人も
イマドキの新しい修学旅行の気分を楽しみましょう
日本最大の祭礼と言っても過言でない京都の祇園祭
今回のnoteは前回「祇園祭(山鉾)と信州」の続きです
祇園祭および山鉾巡行についてはこちらをご参照下さい
「蘇民将来」とは
「そみん...? 何それ?」
信州でも東信を中心にしたエリア以外、特に南信の方にはなじみが薄いかもしれません
京都人でも祇園祭に関心が薄い人だと、あるいはご存じないかも、です
蘇民将来、蘇という民族の将来の話ではありませんよ
人の名前なんです!
京都祇園祭と蘇民将来
蘇民将来というのは人の名前...マジですか?
ということで、最初に蘇民将来の伝承からお話しましょう
実はこの話、様々なバリエーションが存在しています。
ここでは祇園祭のnoteということもあり「祇園牛頭天王御縁起」から
古くから『備後国風土記』などで知られる蘇民将来の物語。豊饒国の武答天皇の太子は七歳でその丈七尺五寸、頭に三尺の赤い角があるという姿であった。父は太子に位を譲り、牛頭天皇と名付ける。天皇が狩りをしていると一羽の鳩があらわれ、天皇の后となるべきしゃかつ龍王の三番目の娘、婆利采女のもとへ案内すると言う。眷属をひきつれて龍宮へ向かう途中、天皇は古単という長者に宿所を求めるが、慳貪な古単は許さない。一方貧しい蘇民将来は天皇を歓待し、牛玉という玉を授かる。龍宮で婆利采女と結婚し八人の皇子皇女をもうけた天皇は、帰途再び蘇民の家に宿り、古単の家には災いをなそうとする。古単は相師の占いにより千人の僧に大般若経を講読させるが、中に一人の僧が居眠りしていたために結局天皇の眷属に一族もろとも殺されてしまう。(京都大学附属図書館創立百周年記念公開展示会図録より)
上記概略の後どうなったか少し補足しましょう
素戔嗚尊(牛頭天皇でも良いのですが以下便宜上「素戔嗚尊」に統一します)が蘇民将来の娘に告げました
「私は素戔嗚である。蘇民将来の子孫の証として茅の輪を腰につければ厄災を避けることができる」
ということで、「蘇民将来の子孫なり」という札と腰に付ける茅の輪が厄災を避けるためのアイテムとなったのでした
なお、この説話...蘇民将来の娘以外皆殺しにされたと書かれています
それでも「さすがに蘇民将来は殺されないよなぁ」と考える人は多いです
くどいようですが説話では、蘇民将来の娘以外は蹴り殺されたと伝えています(どんな仕打ちなんでしょう...怖すぎます)
蛇足になりますが
現在日本各地にある「茅の輪くぐり」
左に回るとか右に回るとか、茅の輪くぐりの作法が言われますが
少なくとも蘇民将来と厄災封じの文脈で語られる場合はくぐる作法は不要です
腰に付けるか住まいの玄関など目につくところに置けばよい訳です
さて、話を祇園祭に戻します
京都の祇園祭は八坂神社の祭事
その八坂神社の主祀神は素戔嗚尊です
祇園祭のメインは、素戔嗚尊と妻、子供たちの三基の神輿が御旅所に移られる神輿渡御です
神輿渡御に先立ち町中を清める(露払い)のが山鉾巡行です
山鉾町会で授与される厄除け粽の「粽」は「茅の輪」が「茅を巻いたもの」
つまり「茅巻(ちまき)」からきているとされています


こうした由来から厄除け粽を玄関に飾ることで疫災を避けると信仰されてきている訳でした
蘇民将来と信州の関係とは
蘇民将来の疫災除け、京都の祇園祭と全く同じ主旨で全く異なる祭事が信州(長野県)で行われています
それが信州上田(長野県上田市)にある「蘇民将来符」
上田市指定民俗文化財なんです

【信州観光】八日堂の縁日
八日堂こと上田の信濃国分寺の縁日が「八日堂の縁日」です
八日堂(信濃国分寺)公式サイトより転載します
毎年、上田市国分の信濃国分寺では1月7日から8日にかけて八日堂縁日が開催されます。本堂では護摩法要やご祈祷が行われ、厄除けのお守り「蘇民将来符」や縁起物のだるまを求める人でにぎわいます。信濃国分寺の周辺は大変混雑し大渋滞が予想されます。八日堂縁日へはしなの鉄道「信濃国分寺駅」のご利用をお薦めします。駅から信濃国分寺までは徒歩で約5分です。
この縁日で頒布される蘇民将来の護符は2種類あり、お寺で用意するものと蘇民講と呼ばれる人達が作るもの(絵蘇民)があります。絵蘇民は七福神の絵入りの蘇民将来で1月8日午前8時より頒布されます。 朝早くから絵蘇民や蘇民将来符、福だるまを求める人で境内が賑わいます。
この一月八日の縁日があまりに有名であり「八日堂」という名もここから付いたようです

蘇民将来符の頒布について
1月7日午前10時ごろよりご祈祷された蘇民将来符を頒布いたします(元旦に祈祷済み)。また、午後6時よりご祈祷が始まり、この時の将来符も頒布されます。1月8日は朝8時より地元の蘇民講による絵蘇民が頒布されます。
信州(長野県)では、「蘇民将来の子孫也」の札や茅の輪を身に付けたり飾るのではなく、蘇民将来符というものを玄関に吊るすパターンです
私の経験上、蘇民将来符を玄関に吊るすお宅よりは神棚や仏壇、床の間や玄関に置かれているケースをよく見かけます
上田市を中心とした東信から離れた地域だと
蘇民将来符の特殊な上部の形状が紐をかけるためのものだということも知られていないようです
私の長野市の知人宅では応接間(うわぁ昭和ですねぇ)のサイドボードの上に蘇民将来符がこけしと一緒に並べて置かれています
聞いてはみませんが多分こけしと同じような物だと理解しているかと...
ということで京都の蘇民将来は
祇園祭の厄災よけの護符として、特に山鉾町会の厄除け粽が代表でした
信州(長野県)の蘇民将来は
八日堂縁日に授与される蘇民将来符(および将来符)でした
いずれも、祭事の時しか授与されないのでプレミア感たっぷりデス
【信州観光】八日堂(信濃国分寺)上田市
八日堂(信濃国分寺)の公式サイトはこちら
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ちなみに八日堂(信濃国分寺)には、室町時代中期に建てられたと推定される三重塔があります
信州に現存する三重塔としては最古だと考えられています
【追記】「茅の輪くぐり」
腰に付ければ良いはずの「茅の輪」
どうして大きな茅の輪が置かれくぐらなければならないのか?
気になるので調べてみました
諸説あるのですが、素戔嗚尊の伝承が日本各地に広まる際に「茅の輪」を
・家の目につくところに置く
・家の玄関に置く
・家の周囲に置く
というバリエーションができたようです
それが素戔嗚尊を祀る日本各地の神社などでも茅の輪を置くようになり
しだいに巨大化し
それならくぐってみればご利益がありそう...
という民間信仰によるもののようです
茅の輪くぐりの際に右に回るとか左に回るという作法の根拠は調べてみても分かりませんでした
後付け、と言ってはいけないかもしれませんが...
鳥居や楼門いっぱいに取り付けられた茅の輪は回ってくぐることができませんので、ただくぐるだけで良いようです
夏越の神事の際に混雑していると
「くぐったらそのままお通り下さい」
と誘導されたりしますので、作法より参拝する際の気持ちが大切なようです
京都祇園祭と信州上田の八日堂の縁日にまつわる「蘇民将来」のnoteでした
京都と信州にあるなら日本中そこら中あるのだろう...と思われるかもしれません
しかし他には三重県伊勢や広島ぐらいなものです
と、言い切ってはいけませんネ
皆様の地元で蘇民将来にまつわる祭祀や説話などありましたら、是非御教示いただけますよう宜しくお願い致します
【平成八年(2026年7月)追記】
関連の話題を追記していますのでよろしかったらこちらも
