九界十年色地獄③~女郎の苦しい生活を地獄に例えた江戸マンガ
女郎の苦しい生活を地獄にたとえて、かなりデフォルメして描いているが、実際の女郎の苦しさを知っている作者が描く、黄表紙「九界十年色地獄」は、山東京伝(1761~1816)作、鳥居清長(1752~1815)画、寛政三年1791年、鶴屋喜右衛門版の三巻三冊。
その現代語訳を三回に分けて紹介する三回目、最終回。
下巻
十四

生理が始まると、人並みに風呂へも入れず、寒いときにも行水を使う。その湯をわかしてもらうために、下働きの男にも一分ずつ渡さねばならず、手持ち金が不足しているときなぞは、身を切られる思いなり。これを血の池の苦しみというべし。
下働きの鬼、小言を言う。
鬼「いいかげんに、あがんなせえ。わっちらが久米の仙人みたいにくらくらしてしまいやす」
女郎「もし、ちょっと耳をおだしなんし」
女郎「晩にまた松屋の客が来んすとさ。いやな客だよ」
十五

無間地獄というのは、この色地獄にうってつけの地獄で、遊女梅が枝が浄瑠璃「ひらかな盛衰記」の中で無間の鐘をついてお金を出したことよりはじまったものなり。お芝居で、「石にもせよ金にもせよ」という言葉が残って、女郎の身分相応に、石にもかぎらず金にもよらず、手水鉢を工面して、勝手次第につくことなり。
女郎「先の世はえいえい、雪の夜に夜鷹となり、この世は朝飯が昼(ヒル)になるとも、だんなへ(だんない=大事ない)、だんな、おかみさん、ままの皮のままでおすねえ」
女郎「わっちはちっと願いの筋がちがう。金ならたった六十両か七十両、自由ながら、錦の夜着に三つ布団、敷き始めの祝いの蕎麦までつけてほしいなあ」
なかにも若い振袖新造は、手水鉢や柄杓の工面もできかねぬが、求めるものはやっぱり無間の鐘、茶碗を手水鉢になぞらえ、簪を柄杓にたとえて、無間のはした銭をつくもあり。
振袖新造「わたしは、銭ならたった二百文か三百文、料理屋へご飯のおかずを取りに行くほどの銭がほしいなあ」
♪二八、十六でぶっかけ一つ、二九の十八で甘酒三杯、四五の二十でだんごが四串♪
十六

さてその次は、異見地獄というありて、例の鬼神のようなおかみさん、店の奥へ呼びつけ、あるいは振りつけ、あるいはあてこすり、しかったり、だましたり、油を思い切りしぼったうえに、真綿で首をしめる。これが異見地獄の呵責の責めなり。
おかみさん「こう言っては、箸の上げ下ろしにまでやかましく言うようだが、たとえ好きな男の濃い味噌汁、お客のごちゃまぜ汁、待ち人のよごしのあえもの、にんじんのふて寝をして、店を休むおひたしに、ひやかし客のげた焼きをつけ、こっちから据え膳で、色男の茶漬けを食おうが、それを無理と言うではない。それが身のためぞや」
店の男「真綿で首は、せつないものだ」
女郎「そう言われては、穴へも入りとうござんす。喜介どん、そこらに穴はないか。あな苦しや苦し」
十七

かかる色地獄の苦しきことを、極楽通土の一寸先は、やみだ如来ともうす大尽の仏、これは不憫と思われて、亭主大王に相談し、りっぱな黄金多く出し、女郎を身請けし、極楽通土へすくいとりたまうぞ、あら、ありがたや。弟や(お尊い)、妹、おじやいとこにはとこ、両親はもうすにおよばず、たちまち成仏うたがいなし。
女郎は、かつて遊女高尾が、秤に乗った重さと同じ金で身請けされたという伝説の、業の秤に乗る。亭主大王見物する。
よい相手が見つかったと、欲がまんまんの鬼のような者ども集まり、業の秤に乗せければ、女郎の重さより身請け金のほうが重いので、これにて相談まとまりぬ。
男「この花魁は、決算前の金がからむと強情で、押しが重かったが、体はべらぼうに軽いぞ」
おかみさん「花魁はしあわせだ」
十八

かくて身請けの談合きわまり、明日より店をやめやんす。
やっさもっさのいさくさなく、吉日選んで、一寸先はやみだ如来、ご来迎ましまし、極楽通土へ引き取りたまう。
苦界十年の苦しみ、一時に滅し、誘われ店出て四つ手駕篭、これから行く道急ぎ行く~♪
如来、虚空に祝儀の小判をふらせ、音楽担当の芸者天人やって来る。如来からさす後光は、みなみな金の光なり。
女郎「あなたのお心、ありがとうおす」
遣手「こっちも、ありがたやありがたや」
天人「ちりからちりから、すたすた坊主♪」
天人「こういうポーズはどうにもやりにくい」
十九

かくのごとくに、苦界で十年のあいだ、色地獄の責めをうけるのを不憫に思えば、女郎にふられても腹を立てるべからず、いくらモテてものめり込むべからず、余分な金があれば、苦しみをすくうべし。よいほどに遊んで、足ることを知るべし。「道の道とすべきは常の道にあらず、無名は天地の始め」と「老子」にあるように、通の通とすべきは常の通にあらず。このことを知れば、かの南無やぼ陀仏もいらぬほどに、通ともいわれず野暮ともいわれず、ただ無名だ無名だと唱えさっしゃれ。まず、今日の説法はこれまでにいたそう。
ジャンジャンジャンジャンジャンジャン
和尚「ああ、百日の説法も屁のごとしだ」
これにておしまい
京伝は、本作出版の前、寛政元年1789年に挿絵を描いた「黒白水鏡」で寛政の改革の言論統制によって罰金刑を受けている。おちゃらけた作品が書きにくくなり、善玉、悪玉のような真面目な作品しか描けなくなっている時代背景がある。ちなみに、本作と同じ寛政三年1791年には、京伝の洒落本三部作が風紀を乱すということで、京伝は手鎖五十日の刑をうけている。
京伝が科料をうけた「黒白水鏡」はこちら、
善玉、悪玉がヒットした京伝の教訓物「心学早染草」はこちら、
そんな時代に、本作出版の前年、寛政二年1790年、京伝三十歳のときに、年季明けの遊女、菊園を妻として迎えている。
若いときから吉原に親しんできた京伝だが、菊園改めお菊から、さらに遊女の苦しみなども聞いたことだろう。想像ではなく、実際に見聞きした、あるいは体験したことがもととなった作品ではある。
ちなみにちなみに、お菊は、寛政五年1793年に病没している。苦界で体力がなくなっていたのだろうか。
さらにこれは余談ですが、寛政十二年1800年に結婚した京伝の後妻、百合も、遊女玉の井である。彼女は、京伝を看取り、京伝の死後、錯乱したといわれる。

作中の狂伝和尚は、作者京伝をあらわし、その人物はおなじみの京伝鼻のキャラクターとなっているが、実際の京伝は、上記のようないい男だったらしい。
