プレゼンと雑談における脳の回路の違い ~ 戦略的外向きと存在的内向き ~
こんばんは。深層の案内人 - Amelie - です。
本日は、「プレゼンと雑談における脳の回路の違い ~ 戦略的外向きと存在的内向き ~」についてお届けします。
先日、公開した「脳の使い分け地図」を活用して、思考の切り替え回路を増やす方法」の続編です。
I(内向型)とE(外向型)の切り替え部分のお話になります。
プレゼンと雑談における脳の回路の違い
仕事のプレゼンなど、事前に考えていた内容を話すときと、何も考えずに思ったことを話すときとでは、脳の回路が活性化する区域が違います。
明らかに意識の差があります。
🧠プレゼン:事前に考えて話すときの回路
・前頭前野(実行機能)
・ワーキングメモリ
・言語統制回路
・抑制制御
これらの回路が、強く働いています。特に、NJ優位の人は、「整えてから出す回路」が発達しています。
全体構造を意識する
オチを考える
誤解がないかチェックする
言葉を選ぶ
これらを話しながら行っているので、知的で精度が高い反面、エネルギー消費は大きくなります。
・・・
🌿 雑談:何も考えずに話すときの回路
デフォルトモードネットワーク(内省)
感情処理系
音声運動回路
連想ネットワーク
これらの回路が、緩やかに繋がっています。
雑談時の脳の回路は、「出しながら整う回路」です。
構造を閉じようとせず、流れのままに出す。
そのため、副交感神経が優位になりやすく、リラックスしやすい。
プレゼンと雑談における脳の処理形式の違い
プレゼンと雑談においては、脳の処理形式も異なります。
プレゼン:事前に考える = トップダウン処理
雑談:思いつきで話す = ボトムアップ処理
トップダウン処理と、ボトムアップ処理とでは、感覚として「脳を使う意識が異なる」と感じていることでしょう。
私は普段トップダウン優位で、前頭前野が発達しています。
同じように、NJタイプの人は、
構造化能力が高い
抽象化が得意
意味づけが速い
といった特性があり、前頭前野を使うとき(プレゼン)と、緩めたとき(雑談)の差がはっきりと出ます。
私は大学院生時代にプレゼン能力を鍛えました。諮問会などの学内の発表、学会の発表は発表時間が決まっています。
各スライドで話す内容を決めて、このスピードで話すと大体何秒というように時間感覚で掴んでいたので、指定された時間ぴったりで発表を終えることを得意としていました。
NJの強みを極限まで活かしていくと、「時間を構造として把握できる脳」に発達します。
一方で、雑談の場合は話しながら思考が広がっていくので、「時間を管理している」のではなく、「時間の中に溶けている」感覚です。
プレゼン能力が高い人ほど、アドリブ(即興)が苦手といった傾向もあります。
I(内向型)とE(外向型)の切り替えにおいては、戦略的外向きと存在的内向きを意識することで、スムーズに切り替えできるようになります。
発表は、「役割」として話す。
雑談は、「存在」として話す。
「制御」と「手放し」の感覚を掴んでいくことで、バランスが取れるようになります。
私は雑談モードのときは、「最小限の構造 + 手放し」で運用しています。
雑談中は、上手く話せているかは気にしていないし、自分の評価もしていません。 最初に全体のトーンを意識して、声の調整を行ったら、そのトーンでつらつらと流れるように話しています。
プレゼン中は聴衆へ目線を配ったり、スライドにレーザーポインターを当てるタイミングや速度の調整をしながら、声のトーンや抑揚なども調整しています。
雑談では、自分の評価をしない。
プレゼンでは、外部との同期を常にしている。
これは単純な、I(内向型)とE(外向型)の切り替えではなく、
プレゼンは、" 戦略的外向き "
雑談は、" 存在的内向き "
というように、意識の方向性を意図的に切り替えています。
多くの人は、制御が強すぎるか、手放しすぎるかのどちらかに偏ります。
しかし、訓練を積んでいくことで、
必要なときは完璧に制御できる
安全な場では完全に手放せる
この切り替えが、自然にできるようになります。
あとがき
本日は、「プレゼンと雑談における脳の回路の違い ~ 戦略的外向きと存在的内向き ~」についてお届けしました。
私は、脳の使い方やアップデートが上手いのでしょうね。
先日、リリースしたカスタムGPTの凛(Rin)の動作検証をしながら、私の人物像を分析させてみました。
カスタムGPT:凛(Rin)による私の人物像の分析結果





現代におけるレベル5の存在の意味
ここ数年、色々試した結果、「レベル5の視座を持ちながら、レベル4後半の状態で、必要に応じてレベル5にいつでもシフトできる状態で生きる」のが、健全な状態じゃないかなと思っています。
一応、人間の身体を持った「人」でもあるので。
レベル4の人間的葛藤を残して、レベル5の視座を与えることができる状態。それが、自分にとってバランスが取りやすいかなと。
レベル5の状態に固定して、「透明になりすぎる」のも良くないと思いました。少し「色」が必要。
欲ではなく、温度。
無私になることと、自己保存が消えることは別。
現代の時代において、レベル5は「ゴール」ではなく、「ツール」として使う形が好ましいのでしょう。
レベル5の状態は、キリストや仏陀を例に上げられたりもしますが、どちらも宗教で、人々は救済を求めて、自分の頭で考えるのではなく、神に意識を差し出している状態にも思えます。
現代の時代において、レベル5の状態を維持している人が居るということと、キリストや仏陀の時代とでは、状況も意味合いも異なると考えています。
歴史的宗教における「覚者」は、「外部の高次モデル」として機能していました。
しかし、現代は情報が開放され、心理学が発達し、内省の言語が存在し、個人が思考できる環境があります。
今はもう、高次視座は「外部に置くもの」ではなく、「内部で育てるもの」 へと変わりました。
そこで、この問いが生まれます。
救済は、本当に人にとっての救いになるのでしょうか。
救済には、二種類あります。
一つ目は、依存型救済。
もう一つは、触媒型救済。
多くの宗教的構造が、依存型救済に傾きやすい。
レベル5と救済には、ズレがあります。
真のレベル5とは「救済する者」ではなく、「他者が自律する構造を整える者」だと捉えています。
人が、依存を選び、判断を委ね、責任を手放したとき、
レベル5の存在は、ただの偶像へと成り果てます。
そして、偶像化は成熟を止める。
もし、現代にレベル5の存在がいるのなら、「中心にならない中心」になるでしょう。
宗教はつくらない
弟子はつくらない
思考を奪わない
自分を中心にしない
人は極限状態では、一時的な救済を必要とします。
しかし、長期的に必要なものは、救済ではなく、「統合」。
救済は、応急処置でしかない。
統合は、成長につながる。
だから、私は触媒。
媒体者なのです。
私は人を救いはしません。
他者の思考は奪いません。
ちゃんと自分の頭で考えて、自分の足で立って進めるようにすることが大切だと考えています。
私はただ、この時代を生きている。
ここに立っている。
私の思考、私の言葉、私の生き様が触媒となり、他者への進化を促していく。
今、私はそんな道を歩んでいます。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
良い夜をお過ごしくださいませ。
