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私の「君が代反対」はあなたの「君が代反対」と同じではない

三品純さんの昨日のnote記事は面白かった。

参議院会館でおこなわれた、学校での「日の丸・君が代」に反対する集会の写真を見ると、退職教員含め、年寄りばかりだった、という記事だ。


左翼活動にすがる高齢者たち 「日の丸君が代」を反対するのは子供ではない(三品純 2025/7/10)


子供でも、現役教員でもない。

「日の丸君が代」に反対しているのは、60代、70代、あるいはそれ以上ばかり、というわけだ。


ところで、私は60代だが、「君が代反対」だ。

あなたが「君が代」を歌うのは自由だが、私は歌わない。

国家斉唱や吹奏では、起立はするが、歌わない。

どうしても歌えというなら、「裏声で」歌うことになる。


「君が代・日の丸」に反対する人の理由はさまざまだと思うが、多いのは、やはり共産主義者だったり、反戦論者だったり、「国家」に敵意を持つ人ではないか。

共産主義者ではなく、アナーキストかもしれない。左翼とは限らず、たとえばリバータリアンもいるかもしれない。


私は「反国家主義」ではない。だから「反日の丸」というのはわからない。日の丸に反対したことはない。


私は、これまでさんざん書いてきたが、昭和天皇が嫌いだった。「君が代」の「君」は天皇を指すことが明確だったので、歌いたくなかった。

他人が歌うのを妨害することはないが、一緒に歌わなければいけないような機会は、なるべく少なくしてほしい。

日本社会の中で、君が代を「強制」される機会は、大人になればそうそうない。あるとすれば学校なので、学校での「君が代」には私も反対だった。


「君が代」反対者は、今では年寄りだけかもしれないが、それぞれ理由があると思う。

ここでは、私の天皇制観と、「君が代反対」の理由を、改めて明確にしておきたい。



最近、山尾しおり関連でも言及される、「女性・女系天皇論」から触れていきたい。

私は、最近の女性・女系天皇論をめぐる議論は、何か根本的なところで馬鹿馬鹿しくて、乗れていない。

日本が戦争に負けたことを忘れてないかい、と。

昭和天皇は戦争に負けた。負けた王様です。

その結果として、今の天皇制がある。


戦時中、皇国日本は「金甌無欠(きんおうむけつ)」だ、とよく言われた。

金甌無欠とは、欠陥がない、完璧だ、ということだけど、要するに、日本は戦争に負けたことがない、という意味でした。

皇軍は不敗である、と。それを信じて人々は戦い、そして負けた。

だから、戦後は、おそらく右翼のあいだでも、この言葉は使われなくなった。


天皇制(皇室伝統でも皇統でも、言葉はなんでもいいけど)が、1600年続いているのか、2600年続いているのか、知らないけれど。

仮に2000年として、2000年続いているのは、たしかに大したものです。

それは、2000年、日本が戦争で負けなかったからです。

まあ古代の白村江の戦いを例外として。

日本は少なくとも本土で負けてない。

ほとんど外敵の侵入も許していない。

今のアメリカと同じですね。

アメリカがGreatだと自認できるのは、負けてないからです。本土も侵略されてない。

例外的に、ハワイを日本にやられた。だから、表面上はともかく、心の中では根に持たれている。


なぜ2000年、日本で天皇制が続いたのか。

いろいろ理由があると思う。天皇家が地主になった土地制度とか、歴史に残っていないけど、権力維持のための天皇家側からの権謀術数も絶えずあったでしょう。

でも、2000年間、戦争に負けてない、本土が侵略されていない、というのが、天皇家の「信用」上、大きかったと思う。


19世紀までの人間は、基本的に科学は知らない。呪術的世界に生きていました。

「合理主義者」だったとされる織田信長だって、合理主義以上に、勝ち負けに関心があったはず。というか勝ち負けだけが人生だった。

だから彼も、半ば疑いつつも、天皇家の「霊力」が外敵を防いでくれているのかも〜と考えたでしょう。

迷信だと思っても、「お札(ふだ)」を剥がせないとか、2025年7月5日に世界が滅亡すると予言されると何か気にしちゃう、とかと同じ心理で。

私が住んでいる川崎市にも、20世紀前半までは家の玄関に「お札」を貼って疫病を防ぐ、というならわしがあった(柳田國男が記録している)。

天皇家は、「お札」のようなものだったと思う。


男系論者は、

「2000年続いた伝統を、なぜ今変えようとするのか。現代人がそれを変えるのは傲慢だ」

と言う。

その気持ちはわかるけど、それは今時「お札を剥がすのが怖い」というのと同じ心理だと思う。

なぜ、2000年続いた伝統が、変わらざるを得ないのか。

それは2000年の歴史で、天皇が初めて戦争に負けたからですよ。結局。

原爆をふくめ、本土もひどく破壊された。

1945年を境に、天皇家の信用はいったん「ゼロ」になり、決定的に変質した。

天皇に「不敗の霊力」がないことが、2000年間で初めて証明された。

そのうえ、戦後には「人間宣言」までした。


そういう意味で、もう1945年までの、2000年続いた天皇家は終わってるんです。

いつまで「お札」あつかいするのか。おかしいだろう、と。


それに、現在に至るまで2000年続いていると言うけど、天皇の地位は、1945年でいったん途絶えたと見ることができる。

少なくともアメリカの占領期、天皇の生殺与奪は外国、占領軍が握っていた。

昭和天皇が「自分の命はどうでもいいから、国民を助けてほしい」とマッカーサーに言った、という美談を、私は信じていないけれど、仮に言ったとしたら、それも生殺与奪の権がアメリカにあったことを示している。

連合国内でソ連が強く主張し、ソ連が日本を占領していたら、天皇家は断絶したかもしれない。アメリカの「寛大な」占領政策で天皇制が存続した。

だから、天皇制が2000年続いたとしても、「自力」で続いたわけではない。「一部、アメリカのお情けで続いた」と付け加えなければならない。

天皇制が続いて、よかったかもしれないけど、それでアメリカに頭が上がらなくなったことも忘れてはならない。

天皇制も続いているが、同じ理由で、米軍の駐留も続いている。


私は、前に書いたように、女性天皇論や女系天皇論は、天皇家自体から発してるんではないか、と想像している。

なぜなら、皇族の方々こそ、自分たちに「霊力」がないことを一番ご存知なはずだから。

男系だと「霊力」があり、女系になるとそれが消える? ない、ない、と。


そういう「お札」あつかいではなく、われわれ家族がより心地よく、家業を継承できるようにしてほしい、と願われて当然だ。

嫁に「男の子を産め」と圧力がかかったり、そういう圧力が嫌だから息子に嫁が来なかったり、絶えず跡取りが少なくて気が気でない、とか、そういった事態が改善されてほしい、と。


今、皇族は、「霊力」で国家に仕えているのではなく、国家の「威厳」部分を象徴するための仕事をなさっている。

そして、上皇と天皇は、「憲法に従う、憲法を守る」ことを繰り返し表明されている。

憲法の理念は「男女平等」であり、その点でも、皇室だけが「男尊女卑」なのはおかしい、と考えられているかもしれない。


もちろん仕事の上だけど、私は現役時代に、皇室の方と何度かお会いする機会があった。

もちろん私より何十倍も立派な方々でした。

そして、もちろん常識人でしたよ。私の見る限り。



で、話を「昭和天皇」に戻せば。

私は昭和天皇は、敗戦責任をとって退位されるべきだったと思う。これまでも書いてきたように。

天皇に最も忠実で、大東亜戦争を遂行する側だった人たちの中にも、そう考える人がいた。近衛文麿もそう考えたようだし、火野葦平もそう考えた。


私が「こうなれば理想だった」と思うことを言えば、昭和天皇が退位され、そして自主憲法が制定される前に、天皇制の存続について国民投票がなされればよかったと思う。

天皇制の存続は、実際には終戦前に決まっていた。

しかし、アメリカ占領軍は、憲法については日本人自身に作らせようと、一度はボールを投げている。

これも以前に書いたけど、そのチャンスに自主憲法制定と国民投票をすればよかったと思う。

おそらく天皇制は、国民投票で支持されただろう。そうなれば、戦後の日本は民主主義国としてもっといいスタートが切れた。


もちろん、日本の中にも天皇制廃止を望む人たちがいた。

のちに、マッカーサー人気に焦ったかのように、天皇は行幸を重ねて人々の人気を得ていくが、終戦直後でいえば、国民が天皇制存続を望むかどうか、支配層は自信がなかったかもしれない。

そして、もちろん、天皇制廃絶を望む社会主義者や共産主義者が伸長することを、日米の支配層は警戒せねばならなかった。

だから、上のような私にとっての「理想のシナリオ」は、いずれにせよ実現しなかったでしょうが。


大方の日本人は、負けた天皇とともに、敗戦という国難を乗り越える道を選んだ、と言えるだろう。『敗北を抱きしめて』で描かれたように。まあ、「選ぶ」というような選択肢が示されなかったのが実際ですが。

しかし、私のように、昭和天皇が何の責任もとらず、軍服を脱いで背広の「平和主義者」に変身し、その後長く君臨したことについて、割り切れない思いを抱いた人も多かったはずだ。

とくに、天皇の霊性と、皇国の「金甌無欠」を信じて死んでいった人たちのことを思うと、三島由紀夫のように、怒りを覚えただろう。


そして、三島死後のことになるが、昭和天皇は、「A級戦犯」が靖国に合祀されたことを理由に、1975年を最後に、靖国神社に参拝しなくなった。

これも私には許せない。

政治家が、その理由で靖国に参拝できない、と言うなら、まだわかるが。

右翼や保守も、政治家の靖国参拝は当然と言うだけで、なぜ天皇に靖国参拝するように促さないのか。

英霊のことを考えたら、政治家より何より、天皇に来てほしいはずではないか。

靖国神社は、皇居のすぐ目と鼻の先にあるのに、なぜ来てくれないのか、と思っているだろう。


とにかく、これまでも色々な角度から書いてきたように、私は昭和天皇の行動が理解できず、無責任だと感じ、ひとことで言えば嫌いだった。

だから、昭和天皇が生きている間は、「君が代」に積極的に反対だった。


そして、結局、昭和天皇は、責任を曖昧なままにして、亡くなった。

その時の巨大な虚脱感、「敗戦の責任をもう問うことができない、敗戦の決着は永久につかない」という喪失感を、私は小説「平成の亡霊」に書いた。

ちなみに、昭和天皇とともに敗戦責任をとっていないと私が思っているのが、朝日新聞と毎日新聞だ。日本国民を敗戦に追い込んだのに、同じ看板で平気に営業している。だから、そっちの責任も追及している。

(1989年は、昭和天皇の死去で敗戦責任が曖昧に終わったと同時に、冷戦の終了で、左翼の「敗戦責任」も曖昧にされた年でした。右も左も無責任で、二重に虚脱感があった)


私にとって、昭和天皇が亡くなった後は、「君が代」に積極的に反対する理由はなくなった。

しかし、次の平成時代になると、「敗戦責任」「戦争責任」論を積極的に忘れさせようとする、保坂正康流の「昭和天皇は被害者だった」論が流行し、苦々しい思いは続くことになった。

上皇陛下や今の天皇陛下には親しみを感じている。

しかし、昭和時代の「苦々しさ」は、私が死ぬまで続くと思う。

そして、私の世代が死ねば、もうそういう想いがあったことも、歴史から消えるだろう。

何のわだかまりもなく、若い人が「君が代」を歌うようになれば、それはそれでいいことだと思う。



<参考>


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