今でもやっぱりよくわからない、音楽のこと
「音楽」というものが、身近な存在にならないまま、大人になった。
子どもの頃から、本を読むことはあっても、音楽を聴くことはあまりなかった。習い事の定番として、ピアノ教室に通ったこともなかった。親から薦められた記憶もない。
だからだろうか。
「音楽を聴く」という習慣が、おそらく実家の中になかった。生活音として音楽やテレビ番組が流れているということもなく、家は静かだった。
「文章」は身近な存在だったけれど、「音楽」は縁遠かった。
学校でクラスメイトが前日に観たテレビの歌番組の曲について盛り上がっていても、話に入れたことはほとんどなかった。
「あのバンドかっこいいよねー!」とどれだけ熱く語られても、うまく話にのることができなかった。
同級生の話にはのれないのに、音楽が出てくる小説は読んでいたから、音楽への憧れだけはあった。
当時読んでハマっていたのは、村山早紀さんの『はるかな空の東』という児童書と、荻原規子さんの『風神秘抄』。
『はるかな空の東』はフルート、『風神秘抄』は篠笛が出てきて、どちらも主人公が奏でていた。横笛に憧れが強かったのだと思う。子供心に、ずっと「カッコいいなぁ」と思っていた。
その結果、音楽の楽しみ方をほとんど知らないまま、憧れだけを拗らせて育っていった。当時の私は、それで別に困らなかったのだろう。厳密には、友達と共通の話題がないという困りごとはあったけれど、それ以上に、音楽はわからなかった。
憧れはあった。けれど、わからないものをずっと聴いていることのほうが、苦痛だったのかもしれない。
音楽はわからないから、音楽を聴いて楽しむことは諦めていた。
***
中学生の頃、友達に「カラオケに行こう」と誘われた。当時、友達と遊ぶ手段として、カラオケはそこそこメジャーだった。
けれど私は、カラオケに行ったことがそもそもなかった。加えて、カラオケで歌える曲はおろか、知っている曲がほとんどなかった。せいぜい、スーパーやコンビニで流れている曲を聞いたことがあるくらいで、歌手の名前も曲名も、ろくに知らなかった。
見かねた友達が、自分の好きな曲を教えてくれて、友達の家で一緒に聞いて、歌う練習をした。教えてもらった曲のうち、1曲くらいはぎりぎり歌えるかもしれない、くらいになった段階で、件のカラオケは実行された。
結果は、惨憺たるものだった。
友達はみんな、歌がうまかった。
自分がぎりぎり歌えると思っていたのは、まやかしにすぎなかった。実際に歌った私の歌は、リズム感はなく原曲よりも早すぎたし、音程は外れていた。あまりにも恥ずかしかった。唯一の救いは、照明が暗くて顔の赤さが見えづらかったことだろう。
それ以来、私はカラオケが嫌いになった。カラオケで人前で歌うということを極力避けるようになった。もう二度とカラオケで歌うもんか、と心に誓った。
そして同時に、わからないと思っていた音楽に、「苦手」という要素が追加された。
私は、ますます音楽を避けるようになった。
***
最初の転機が訪れたのは、高校生のときだった。
友人が演奏するピアノの発表会に、呼ばれたのだ。
演奏曲は、ホルストの組曲《惑星》より『木星』
軽やかに奏られた曲は、喜びに満ちているようで、今にもスキップそうだった。普段、学校でしか知らなかった友人の、まったく知らなかった一面を垣間見た気がした。
それくらい、スポットライトの降り注ぐ舞台の上でピアノを弾く友人は、楽しそうだった。
衝撃だった。
私はそれまで、その友人がそんなに楽しそうなところを見たことがなかった。友人は、やさしい人だけれど、いつもどこか遠くを見ているようで、なぜか心ここにあらずな感じがする、儚げな人だった。
近くても、遠い。
隣にいても、ここではないどこかを眼差していた。
いつか、月に呼ばれて帰ってしまうかもしれないね、と。
そんな冗談を、言ってしまえば本当に帰ってしまうかもしれないから、口が割けても本人には言えなかった。
そんな、近くて遠い友人が、その日は、まるで違ってみえた。
ピアノを弾く背中はとても楽しそうで、本人が踊っているかのようだった。
あの日、あの瞬間。
遠くに行ってしまいそうだった友人は、確かにあの場にいた。
あの時、友人の心は、言葉にならずとも、そこにあった。
喜びにはずんだ音色は、たぶん、友人の心そのものだった。
そして、ふと思った。
この友人をここまで虜にする音楽とは、一体なんなのだろう、と。
それは、それまでわからないと思って諦めていた音楽が、気になりだした瞬間だった。
***
大学生になってから、少しずつまわりの友人たちにCDを借りたり、おすすめの曲を教えてもらって聴くようになった。いくつか聴いてみたし、好きだと思われる曲も多少は見つかったけれど、やっぱり音楽はよくわからなかった。
そもそも生活の中で音楽を聴くという習慣がなかったので、音楽を聴くときは音楽を聴く以外のことができなかった。BGMとして流すという習慣もないので、何かをやりながら音楽を聴く、ということができなかったのだ。
そして、困ったことに音楽を聴くという習慣がない人間がいきなり音楽を聴いても、どう楽しめばいいのか、よくわからなかった。何度も聴いているうちに好きだと思われる曲はいくつかできたけれど、それらを聴くことが楽しいのかは、よくわからなかった。
***
仕事で精神的にしんどいことになっていた年の冬、二度目の転機が訪れた。その年の年末に観た、紅白歌合戦だった。
テレビ初登場らしいその人のライブに、私は釘付けになった。
目を奪われた、なんてものではなかった。その圧倒的な歌唱に、全身がぶわっと総毛だった。
あの瞬間、たしかに私はその人の虜になった。
それが、米津玄師さんだった。演奏が終わってしばらくしてからも、興奮が冷めなかった。
その年の冬から少しずつ、私は米津さんの曲を聴くようになった。
その人の曲の何が好きか、正直私はまだよくわかっていない。
よくわからないけれど、なぜだかその人の曲をずっと聴いていたい。
その人の曲の中でも、特に聴きたい曲をずっとエンドレスでリピートして聴いているような状態だった。
ちょうど、好きな作家さんの書かれた小説を全部読んで、好きな作品を繰り返し読んでしまうような、そんな感じに近い。
***
以前、米津さんのインスタで「音楽は人の心に作用するもの」というフレーズを読んだ。読んだ当時は、どういうことなのかいまいちよくわからなかった。
最近、米津さんの曲を通勤途中に聴きながら、よくこのフレーズを思い出す。
選ぶ曲は、毎朝のテンションによる。
この頃は、なぜかもっぱら「アイネクライネ」と「春雷」だ。
同じ曲を何度もリピートで聴く人間なので、音楽の楽しみ方は、今でもやっぱりよくわからない。
よくわからないけれど、今はまだ、この人の曲を聴いていたい。
それだけで、十分だと思っていた。
***
そうして、生活の中に少しずつ、音楽は出たり入ったりしていた。身近というには遠く、まったく知らない、というほどでもない。絶妙な距離感だった。
ずっとそのままなのだろうと思っていたら、なぜか昨年、三度目の転機がやってきた。なんの因果か、気がついたらいつの間にか、指笛を練習していた。
字面で読むとさっぱり意味がわからないが、残念なことに私もなんのはなしかよくわかっていない。
そしてなぜか昨年の私は練習記録を残していたようなので、振り返ってみる。
DAY1
とりあえず、難しいことがわかった。
まるで鳴らない。あと、音っぽいものが出ても、口笛との違いが不明。
この時点でなぜかコニシ木の子さんに見つかっていたらしい。
いつの間にか #指笛ドキュメント に参加していたらしいので、ひとまず練習することにする。
今までに、やったことのない動きをしようとしている。人体の限界に挑戦している気がするのは、気のせいだろうか。
とにかく、指笛は難しい。まず音が出ない。というか、身体の使い方が、普段の日常生活でやらない動きなのだ。
未だかつて、こんな身体の使い方をしたことがない、気がする。
使い方を間違っている気はするが、ひとまず置いておく。
なぜか腹筋が痛い。
呼吸とお腹はつながっているのだと実感する。
どうも、指笛は腹式呼吸らしい。
余談だが、肺で呼吸していると鳴らないことは後日判明した。
DAY2
人体を、どれだけ思うように操れるか、ということなんだろうか。とりあえず、腹筋と口が痛い。
この時点で、どうも音を鳴らすには、自分の身体を思い通りに操れる必要がありそう、と気がつく。
・自分の表情筋と腹筋と戦っている。
・鳴……なんか違った。
とりあえず、息がどこを通るか、の問題のような感じがしてきた。
・鳴っているのか、ブレス音なのか判別ができない。けど、判別できない時点で、鳴っていない。
顔面が痛くなり始める。当時の日常生活でここまで表情筋を使うことがないので、難易度が上がっていたのだと思う。なお、「判別できてない時点で、鳴っていない。」というこの時の自分の判断は、あながち間違いではない。鳴ると、結構な音量だからである。
DAY3
指笛、とりあえず自分の練習用ルールを作ることにする。noteと一緒でキリがない。
・1回3分まで(体力の限界、あと酸欠)
・鏡の前でやる
それにしても、吹ける日が来るかは不明。あと、コニシ木の子さんは鳴っててすごい。練習してるとわかる。
この段階で、あまりにも鳴らないので、練習にルールを作り始めた。noteと一緒で、際限がないのである。やってもやってもキリがない。3日も練習していると、音が鳴るのが奇跡のように感じる。
***
途中、あまりにも鳴らないので、DAY3のあたりで、chatGPTに指笛の原理を聞いていた。いかんせん、さっぱり音が出る仕組みがわからないからである。
指笛(ゆびぶえ)の音が鳴る仕組みは、空気の流れが指と口のすき間を通過するときに振動を生むことで音が発生します。
もう少し具体的に説明しますね:
🌬️ 指笛の音が鳴る原理
指笛は、簡単に言うと空気の流れがエッジ(縁)に当たって渦や振動を生じることで音が出るエアリード(空気リード)楽器の一種です。
1. 指と口のすき間を作る
・親指と人差し指(あるいは両手の指)で輪を作るなどして、小さな隙間(吹き口)を作ります。
・この隙間は「ノズル」と同じ役割を果たします。
2. 息を強く吹き込む
・隙間から勢いよく空気が噴き出します。
3. 空気がエッジに当たる
・吹き出した気流が指や唇の縁に当たると、空気の流れが分断されます。
・これにより気流が周期的に上下や左右に振れる(渦が発生する)。
4. 渦の振動が音波になる
・空気の振動が周囲の空気を揺らし、音波となって耳に届きます。
🎵 ポイント指笛は「管」ではなく、エッジで振動を作る。
・息を強く吹き出すこと、吹き口の角度・大きさを適切に保つことが重要。
・吹く角度や指の形で音の高さや音色が変わります。
……わかるような、わからないような。つまりわからない。具体的な説明なのだろうが、残念ながらいまいち頭に入ってこない(学生時代、物理の成績が壊滅的だったことを思い出した)。
せめてもう少し、口笛との違いを知りたい。
**口笛と指笛は、原理はどちらも「空気の流れがエッジや狭い隙間に当たって振動することで音が出る」**という点では共通していますが、空気の流れの制御とエッジのつくり方が異なります。
🌬️ 原理の違いを簡単にいうと
✅ 口笛
・唇を吹き口とエッジ両方の役割にする
・空気の流れが唇の縁に当たって渦を生む
・舌も共振に影響しやすい
✅ 指笛
・指で吹き口を作り、空気のノズルのように集中させる
・指の縁に空気が強く当たって大きな振動を作る
・構造上、より大きな音量が出しやすい
🧭 イメージでいうと
**口笛:**唇が「小さな管」と「エッジ」を兼ねる
**指笛:**指で人工的に「吹き口のノズル」と「エッジ」を作る
ちなみに、表も作ってくれた。

なんとなく、わからなくもない。わからなくもないが、身体がその通りに動くかは別なので、やはり練習が必要、という結論になった。
***
DAY4
口内炎を発見。
タイミング、わっる…!!と思わず思ってしまう。 とりあえずビタミンのサプリを飲んでおく。
さて、どうやろうか。
朝から口内炎を発見した模様。指笛と口内炎、どう考えても相性が悪い。
口内炎とは追いかけっこをしていたが、当時は治っていたので、油断していたのだろう。
青豆ノノさんの投稿見て思ったけど、私もパーティー行かないのに、なぜ指笛を練習しているのか。
楽しいからいいんだけども。
今さらだが、7/13の「なんのはなしですかパーティー」には出席しないのに、なぜ指笛の練習をしているのか、ということを考え始める。披露する場はないのに練習する指笛。考えなくていいから、練習しようぜ、と今なら思う。
自分でも、なんのはなしなのか、さっぱりわからない。
DAY5
鳴…………???
わからん。
なんか、口笛とは違った音が出た、気がする。
気のせいかもしれない。
何かの音が出た模様。しかし、よくわからず。
DAY6
指笛、練習していると姿勢が伸びる、気がする。
姿勢を気にし始めたらしい。なんとなくだが指笛は腹式呼吸のようで、最低限、座っているか立っているかしていないと、音が出ない模様。
DAY7
夢で練習していた。
なんか高音が鳴った気がして、目が覚めた。
どうも、夢の中で練習していた模様。若干、やりすぎでは、と思わなくもない。
DAY8
鳴っ……!……???
何かが鳴った、ような、気がする。
奇跡的に録音が取れましたが、鳴っているかはいまいち自分でもよくわかりません。
鳴ったのかな?
あと、とれた時間が短すぎて、BGMのほうが長くなった。
何を考えたのかは不明だが、なぜかスタエフで指笛の音onlyを流すアカウントを作っていた。声を出せないのに、我ながら一体何を考えているのか、さっぱりわからない。
当時の録音はこちら↓
DAY9
やればやるほど鳴らなくなる指笛。
難しいですね。
昨日より一転、まったく鳴らない模様。
まるで鳴らない。
日によるコンディションの差が激しいです。
みなさん凄すぎます。take27までやって、一回休憩。
あと、なぜみなさん指笛してから話せるのか。
話した後に指笛を鳴らせるのか。
尊敬しかないです。
そして、やっぱり鳴らない1日。ほぼ息笛。
この日の録音はこちら↓
DAY11
ひたすら録音し、一昨日よりは響いてる気がします。 指笛と息笛、3:7くらいな感じでしょうか。 鳴った瞬間は「響いた!?」って思うんですけど、 聞き直すと結構息漏れが多いんですよね……。 明日は難しいかな……。 まったくもって安定して鳴らせません苦笑
道のりは長いです。
ひたすら録音していた模様。当時の音源、聞き返すと「まだまだ……」と思う。
DAY12
せっせと練習する。
この、ひたすら指笛を練習し、指笛と向き合っているだけであっという間に時間がとけて、気づいたら1日が終わる現象に#指笛ドキュメント という名前をつけてくれていたのは、コニシ木の子さんだ。
もしも、と思う。
もしもこの名前がなければ、当時の私はきっと、早々に指笛と向き合うことを辞めていただろうな、と思う。
名前がついていない事象というのは、時として、想像しているよりつらいことがある。語りようがないからだ。
「言葉にならない」「言葉にできない」「そこに名前がついていない」という苦しみは、自分が思っているよりも、本人の首を、じわじわと真綿のように締めていることがある。
だからこそ、名前がついていることで、昇華できる想いがある。
指笛は、自分の身体を楽器にしているゆえに、練習中は、ただひたすらに自分の身体と向き合うことになる。
求めることは、ただ一つ。
どうやったら、鳴るのか。
それだけを探して、ほぼエンドレスで試行錯誤している。
だからこそ。
鳴った瞬間は、めちゃくちゃおもしろかった。
高揚感、という言葉は、こういう時に使うのかもしれない。
まず、自分で思っているより、だいぶ音量が大きい。体感で、ものすごく響く。まるで、耳元でホイッスルを思いっきり吹いたみたいな感じになる。
そして、明らかに口笛とは音の出方が違う。
なんというか、息の流れる箇所が、口笛とは異なるのだ。まだうまく説明できないけど。
余談だが、指笛の音を試しに音程チェッカーというアプリで測定したら、hihihihiC(C8, 4,238Hz)くらいの音が出ていた。
それがどれくらい音が高いのかまったくピンとこなかったので、調べたら、フルートより1オクターブ高い音域を出すピッコロの最高音と同じくらいだった(ピッコロの最高音は約4,000Hzらしい)。
人体、すごい。

今もまだ、安定して鳴らせるわけではない。日によってまるでコンディションが異なるので、鳴らない日は、それこそ全然鳴らない。
けれど、自分の身体に向き合って音を奏でるのが、こんなにもおもしろく、楽しいことだとは知らなかった。
音楽は、「わからない」と思って生きてきたのに。
指笛って、おもしろい。
***
あの日、楽しそうに演奏する友人を見た時から、「音楽」は、ただわからないだけのものではなくなった。
表舞台の上、たった一人でスポットライトを浴び、観衆の視線を集めて。緊張してないわけではないのだろうけれど、煌々と輝くステージの上で演奏していた彼は、私から見れば、ただただ楽しそうだった。
私が「いいなぁ」と憧れたのは、彼が晴れ舞台に立っていたからじゃない。聴衆の視線を集めていたからでもない。
るんるんと踊り出しそうな背中で、楽しそうに曲を奏でていたからだった。
だから、音楽はわからないけど、知りたいと思った。
その楽しさを。
***
あれから、15年以上の月日が経つ。
今の私は、彼が楽しそうだった理由の一端に、ほんの少しだけ、触れたような気もする。
楽器を奏でることの、音を奏でることの楽しさの片鱗を、指笛は教えてくれた。
けれど、きっとそれは「音楽」の楽しさの、まだほんの一部にすぎないだろう。
私は今でもまだ、あの日の背中を、追いかけているのかもしれない。
楽しそうな、喜びに満ちていた背中を、知りたくて。私が楽しいと、おもしろいと思ったことと、同じなのか。違うのか。違うとすれば、どう違うのか。
わからないけれど、知りたいと思う。
わからないまま、私はきっとこの道を歩いていくだろう。
奏でる楽器が違っても、表現する方法が変わっていくとしても。
「表現」という山を、違うかもしれないけれど、同じ時代に登っているのかもしれないから。
そしていつか、「一緒に演奏しない?」と話しかける日を、夢見ている。
もう二度と、叶わない夢だとしても。
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