イェッセ・ミュルダーさんとの思い出 その6

ということで、ユトレヒトの続きだ。

オランダの都市について (ツアーガイド調の)後編

しかし残念なことに、ユトレヒトには観光の「目玉」と呼べるものは何も無い。例えばオランダ旅行のためのガイドブックには、ユトレヒトに割り当てられた紙面はごく僅かしかない(多分、見開きともう一ページくらいだと思う)。しかし僕はイェッセに会いにオランダに行くと、必ずユトレヒトの旧市街を散歩してから、そこのカフェで長い話をした。だから、この美しい街の魅力を伝える為に、殆ど無いユトレヒトの観光情報を頑張って絞り出して、なんとか三つ挙げてみようと思う。

第一の観光名所

第一は矢張り「ドム教会」で、これはユトレヒト大司教区の司教座聖堂である。この教会の面白いところは高さ112mという、教会の塔としてはオランダで最も高い「ドム塔」が、内陣から完全に分断されていることだ。これは1674年の暴風雨が原因で、この時に中央部の身廊が崩落してから現在に至るまで、様々な理由から修復はされていない。
バルセロナのサグラダ・ファミリアの様に、「百年以上も未完成」というのも中々にロマンティックだが、三百年以上も壊れっぱなしというドム協会も、実に味わい深い。興味の有る人は是非、グーグル・アースで、この教会の全貌を真上から見て欲しい。そうすると教会の「本来の」大きさと、それに対する残っている部分の「少なさ」が良く分かると思う。僕はイェッセと一緒に登って、この塔の上から教会全体の平面図を確認した。

そして、このドム塔は長崎県のテーマパーク、ハウステンボスのシンボルタワー「ドムトールン」のモデルとしても知られている。ハウステンボスでは、この「ドムトールン」が独立した建築物として、市街地の中心にある様な構造になっているが、この塔は本来、巨大なユトレヒト司教座聖堂の「一部」に過ぎないのだ。
ちょうど当時リリースされたばかりのグーグルストリートビューを使って、僕らはイェッセさんの学友と、長崎のハウステンボスを一緒に見た。先ずオランダ人が大爆笑したのは、典型的なオランダの市街地の背景に、山が見えたことだ。この「違和感」に僕は全く気が付かなかったが確かにオランダ風の街並みの背景に緑の山が有るということは考えられない。しかし、それは飽くまでも全景を写した写真においてで有って、ストリートビューで街中の画像になった時点で、ハウステンボスの街並みは、オランダ人が見ても「これはオランダのどこかの街並みだ」と勘違いするくらいの精巧さである。確かに、細かく見ると漢字表記の看板が有ったりするのだが、それだって本物のオランダの街に中国人観光客向けの看板が掛けられていると考えることも出来る。
そして、そこからストリートビュー上でハウステンボスを隈なく見て回った結果、イェッセさんは「背景の山以外で不自然な点は、石畳が実物よりも綺麗なことくらいしか思い浮かばない」と、かなり神妙な面持ちで言った。詰まりハウステンボスの精巧さというのは、オランダ人が目を見張るほどのものなのだ。
さてイェッセさんの見解は全くオランダ人らしいもので、実はオランダの旧市街の石畳はかなりデコボコしている。これはオランダの大地が平坦で有ることと矛盾する気がするのだが、恐らく地盤が軟弱であることが原因だと思われる。だからオランダの道路脇に立つ車止めの鉄製のポールは、どれもピサの斜塔の様にナナメになっている。

僕はオランダ人と一緒にハウステンボスをストリートビューで見る、ということを複数回行っているが、必ず訊かれるのは「日本では、こんなかんじで世界各国の街並みが実寸台で再現されているのか?」ということだ。
「そう言われてみると、確かに日本には『ドイツの森』や『スペイン村』は有るが、この『ハウステンボス』ほど完成度の高いものは他に無い」と答えている。イェッセも気に入ったみたいで、「いつか日本に来た時に、一緒に行こう!」と盛り上がっているのだが奥さんのアンネは「なんで?」と冷たい。

長崎ハウステンボスオランダ館 画像クレジット

話を元に戻して、ハウステンボスの街並みは確かに様々なオランダの街並みの折衷の産物ではあると思うのだが、その骨子はユトレヒトの旧市街をモデルに構成されている、というのが僕の予想だ。そんなドム教会と、美しい旧市街がユトレヒト観光の第一の目玉だとするならば、第二の観光名所は一気に規模が縮小する。それはシュレーダー邸で、これはリートフェルトの設計による1924年の個人宅だ。


第ニの観光名所

シュレーダー邸
"Composition No. 10" (1939–42), 油彩,Piet Mondrian

僕は若い時からモンドリアンが大好きで、この「モンドリアンの絵画を空間に変換した様な家」には長らく憧れが有ったが、実際に行ってみると街外れの高速道路の高架の近くに、こじんまりと建っていて余り印象的では無い。一応、ユネスコの世界遺産にも登録されている様な「エポックメイキングな」建築物なのだが、今のオランダの「普通の」建築に比べると、随分と地味な印象を受ける(オランダの「普通」の建築が、どれだけ奇抜なのかは既に述べた)。だから一緒に見に行ったニールスが「この個人宅がどうした?」みたいな反応をしていたのも、よく分かる。
僕は確か『美の巨人たち』で内側の構造を映像で見ていたので感慨も一入だったが、外から見ると何の変哲も無い個人宅にしか見えない。僕の記憶では、二階の出窓部分の柱の処理が上手くて、特別な空間が構成されているという印象だったが、それは外からでは分からない。どうやら現在では、ミュージアムとして内部が一般公開されているみたいなので、訪問される時には事前に予約しておくことをお勧めする。何故なら外観を眺めるためだけにユトレヒトに行くのは、少し勿体ないからだ。


第三の観光名所

さて第三の観光名所は自分では未だ行っていないので恐縮だが、矢張り「ミッフィーちゃんミュージアム」だと思う。そもそもミッフィーちゃんの生みの親であるディック・ブルーナはユトレヒト出身の絵本作家なので、旧市街を歩いているとランプの部分がミッフィーちゃんの形に切り取られている信号が目につく。

因みに「ミッフィー」というのは英語名で、オランダ語では「ナインティエNijntje」と言う。これはドイツ語のHäschenに相当し、直訳すると「兎ちゃん」となる(正確にはドイツ語のHäschenはオランダ語ではKonijntje)。だから日本語では「うさこちゃん」とも呼ばれている。そして僕は子どものころ、確か「ブルーナちゃん」と呼んでいた気がする。前回の「スヘーフェニンヘン」と同様、この「名前が安定しない問題」は、オランダ由来のもので常に付き纏う。
無類の動物好きである僕はミッフィーちゃんのカワイさについても色々と語りたいところが有るのだが、何だか無理矢理に話を引き伸ばしているみたいなので、この辺りで止めておく。


そして、ユトレヒト大学へ

さあユトレヒトの街を遊び尽くしたら、次に向かうのはオランダ最大の大学であるユトレヒト大学だ。
僕はイェッセに連れられて、この大学に何回来たのか覚えていない。このユトレヒト大学には、広大な土地にオランダらしい奇抜なデザインの建物が林立している。中でも僕が好きなのはルービックキューブの様なカラフルな外観の学生寮で、そのエントランスには三階か四階の高さから吊り下げられた巨大なベンチ式のブランコが付いている(幸い下が鎖につながれているので数メートルしか揺れないが、人が乗る部分の重量と腕の長さから考えて、このブランコは鎖を外して本気でスイングさせると人が死ぬくらいに危ない代物だ)。

マルリース・ローマの建築と都市化から引用

建物の中のデザインは外観よりも更に奇抜で、廊下の一部がアクリル貼りで透けている。詰まり一階の廊下で上を見ると、二階の廊下の床の一部が窓の様になっていて、二階の廊下の天井が見えるのだ。少し視線を斜めにすると、二階の廊下の天井が窓の様に透けている部分も有り、そのまま三階、四階と見通せる。僕の記憶では確か、五階か六階くらいまで見えた気がするが、こういう型破りな発送は「思い付いてもやらない」のが日本人にとっての「普通」だと思うが、これを大真面目に実現させてしまうのが正に「オランダ人の気質」だと思う。
僕は一度だけ、この中に住んでいた学生さんの好意で部屋の中も見させてもらったことが有る。わりと普通な作りだったと記憶しているが、意匠的なディティールに関して色々と写真を撮っておかなかったことを今では後悔している。中に入ってみて気がついたのは、それぞれの部屋の窓の大きさが、ルービックキューブのパネルの大きさと同じだということだ。それによって学生寮の部屋が、等間隔に区切られていることが外観からは全く想像できなくなっているのだ。
また透けた床は、見上げた時よりも見下ろした時の方が印象的だった。どうしてだかは良くわからないが、その方が「建物のひろがり」を実感できたからだ。こういう特殊な空間体験ができたことを考えると、この「奇抜なデザイン」も、単に「非常識なことをしただけ」だとは言え無くなる。何れにせよ「スケベ人間」だらけの日本では、こんな学生寮は建てられないだろうと僕は思うのだが。
さて学生寮の向かいには、それとは対照的にシックな外観の図書館が有る。どうやら建築物としてはこちらの方が評価が高いらしく、確かに狭い入り口を入って見えて来る空間は開放的で、そこには縦横無尽に橋の様な渡り廊下が架けられている。
例の如く哲学書の有る階までイェッセと一緒に上り、バルコニーの様なところから下を除くと、ひとつ下の階が今の自分のいる階よりも大きいことが分かる。その更にひとつ下の階は、それよりも更に大きくなっていて、全体としては階段状の構造になっている。
よく日本のマンションなんかで上の方だけが階段状に細くなっている構造のものが有るが、それが黒くて四角いガラス貼りの図書館の建物の中に、スッポリ入っているのだ。

さて僕たちの行きつけは、この図書館の一階にあるカフェ「グーテンベルグ」だ。言わずと知れた欧州における活版印刷技術の開始者と言われる、ヨハネス・グーテンベルクの名前を、図書館併設のカフェの名称にするとは実に心憎い。
そして、ここでイェッセとカプチーノを飲んでいる時にアンネに撮って貰った写真を、僕は長らくプロフィール写真として使っていた。

そして、僕の頭の後ろを拡大すると多分「Gutenberg」という文字が読めるはずだ。

現在、ユトレヒト大学はバスでないと行けない郊外に有るが、本来は旧市街地の中心部、即ちドム教会から徒歩圏内に位置していた。恐らく、建物の大部分は近代化に伴ない取り壊されたと思うのだが、シンボリックな意味合いを持った講堂だけは未だ残っていて一般にも公開されている。この建物は学位授与などのセレモニーの時には今でも現役で使われている、とイェッセが言っていた。
だから上では書き忘れていたが、旧市街の観光をする際には是非、こちらにも立ち寄って頂きたい。

そう言えば、今週の後半にはイェッセさんは日本に到着しているはずだ。
この記事は本来、イェッセさんの四度目の来日を盛り上げる為に書き始めたのだが、思い出したことをツラツラと書いている内に不必要に長くなってしまった。そして恐らく、このままのペースでいくと、彼の最初の来日のシーンが来るのは11月になってからだと思う。それはイェッセさんがオランダに帰国して一ヶ月が経つ頃なのだが、今更どうしようもないので仕方なくこのままマイペースに書き進めていくことにする。

その7へつづく。。。

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