『絵本・白峰アカネの冒険(改)』 3.帰還[再構成版]/1月13 日挿絵追加
このエピソードは、は、既に発表済みの『絵本・白峰アカネの冒険(改)第3話 帰還』を、キャラクターと世界観はそのままに再構成した新作です。
旧版は下記リンクからお読みいただけます。
このエピソードに先立つ第2話はこちらです:
魔獣は、アカネをにらんでいた。アカネの中で恐怖が嵐のように沸き起こった。だが、アカネはその恐怖に抗おうとはしなかった。恐怖の嵐が自分の中を吹き荒れるまま、使える限りの五感を魔獣に振り向けた。
恐れつつ、なすべきをなせ。
「魔祓い巫女」養成課程で叩き込まれた恐怖への対処法だった。
アカネたちは、恐怖について次のように教えられていた。
恐怖は血中に毒を生む。あるいは、血中に生じた毒が恐怖を生む。その順は重要ではない。重要なのは、恐怖が身体反応だということだ。
健康な人体では、極端な身体反応は長くは続かず、いずれ平常に戻る。恐怖も同じで、恐怖の毒は血液に乗って体内を一巡するうちに弱まり、平常心が戻ってくる。
その間の時間は、およそ90秒(地球時間換算)。この間に恐怖に抗おうとすると、その抵抗が血流を滞らせ、毒が体内に留まり恐怖を増大させてしまう。
恐怖を受け容れ90秒のあいだ耐え、その間も、なすべきことをなせ。

アカネは、それをほとんど反射的に実行していた。中級巫女訓練課程での1,000時間にわたる恐怖対処訓練が、その効力を見事に発揮していた。
その点、まだ初級巫女で十分な恐怖対処訓練を受けていないサチは、恐怖に飲み込まれているように見えた。

サチが、魔獣から離れるために後退しようとして、足をもつれさせた。魔獣は、一瞬、サチに鋭い視線を向けたが、すぐに視線をアカネに戻してきた。
――この魔獣の第一の関心は、私たちではない。
と、アカネは思った。魔獣が視線をアカネに戻してきたと言っても、ぴたりと照準を合わせているというよりは、アカネを中心に周りを探るような目をしているのだ。
アカネは、大人魔獣の目的を推論した。その結果を8割の確率で正しいと確信した。アカネにとって8割の確信は、行動を起こすのに十分だった。
「サッちゃん、返事はしなくていいから、落ち着いて聞いて」
サチがかすかに首を上下させたように見えた。この際、じっとしてくれている方がありがたいのだが……
「この魔獣は、子ども魔獣を探しに来ただけで、私たちを攻撃する気はない。その気があったら、背中を見せていた私たちは、とっくにやられていたはず。そして、さっきから、子ども魔獣の方ばかり見ている。
私がこの魔獣と話をつけるから、あなたは、そこでじっとしていなさい。もし、私が襲われるようなことがあったら、全力で逃げること。この魔獣は、あなたの手に負える相手ではない」

アカネはそっと身体の位置を変えて、大人魔獣から子ども魔獣が見えやすいようにした。
アカネの手にしがみついている子ども魔獣の前足に力がこめられる。岩の間から身を乗り出そうとしているのがわかる。一方、大人魔獣は、グガガと低く唸って息を吹きかけてきた。
――こちらに来て。一緒にこの子を助けましょう。
アカネは心の中でそう言いながら、大人魔獣に、こちらにくるように顔と目の動きで合図した。手招きしたいところだが、子ども魔獣を割れ目に落とさないため、両手は子ども魔獣から離すことができない。
魔獣がそろそろと近づいてきた。
アカネの頭の3倍はありそうな魔獣の頭がすぐ隣まできた。両手で捕まえている子ども魔獣を除けば、魔獣とこれほど接近するのは初めてだった。魔獣が鼻から吐く息がアカネの顔にかかり続けるが、特に匂いがないのは助かる。

大人魔獣が鼻先を子ども魔獣に寄せて鼻から息を吐きかけた。子ども魔獣が「ピィピィ」と今まで出したことのない声で鳴いて返す。
大人魔獣の目がアカネに「離れろ」と言っているように見えた。
しかし、手を離したら子ども魔獣が岩の割れ目にさらにはまりこんでしまうのではないか? アカネは自分の不安を身振りで伝えた。
大人魔獣が、子ども魔獣を埋めている岩のかけらに向けて、口から息を吐きかけた。岩の塊が砕け、土の粒になって宙に舞い、その一部はアカネの顔を打った。
大人魔獣が息を吹きかけるのを止めて、アカネを見る。
アカネはうなずいて、子ども魔獣から手を離した。

大人魔獣が勢いよく息を吹きかけ始めた。子ども魔獣のまわりに土埃が立ち込めるのを、アカネは息を詰めて見守った。
しばらくして、土埃の中から子ども魔獣が姿を現し、大人魔獣の脚元に転げよった。大人魔獣が子ども魔獣を埋めていた岩のかけらを吹き飛ばしたおかげで、自力で割れ目から脱出できたのだ。
「先輩、良かったですね」
後ろから聞こえた声に振り向くと、サチが真後ろに立っていた。
「あら」
とアカネが声を上げると、サチが
「ごめんなさい。気になって見に来ちゃいました」
と言ってペコリと頭を下げる。
「何もなかったから、良いと言うか……いや、良くないでしょう...…」
アカネが言いよどんでいると、サチが満面の笑顔になった。
「わたし、感動しちゃいました。人助けって、いいですね」
目に涙があふれ、声が涙声になる。
「ほんとに、ほんとうに、良かったです」
サチの目から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
半年指導してきて、この子のことはわかったつもりでいたが、実は何もわかっていなかったのではないか?……そんな気がしてきた。
――そうだ、それより、魔獣たちは?
アカネが立ち上がると、魔獣たちは並んで結界の裂け目の方へと歩き去るところだった。子ども魔獣が立ち止まって、こちらを振り向いた。アカネが軽く手を振ってやると、子ども魔獣は前へ向き直り、駆け足で大人魔獣に追いついた。
二頭が裂け目を通って向こうの世界へ戻ったら、裂け目を閉じて、何もなかったことにしよう。
アカネは、自分の頭から「封印」という考えが完全に消えていることに気づいた。
――あれ、でも、「封印ポイント」が必要な人は?
と思って振り向くと、そのサチは、巫女服の裾で涙をぬぐいながら、去り行く魔獣たちに手を振っていた。

――あはは、この子も見事に忘れてるわ。
アカネの顔がほころんだ。
――終わり良ければ、すべて良し。
アカネは、結界の向こうに去っていく魔獣たちを見送りながら、大好きなことわざを呟いた。もっとも、「結果だけでなく過程も大事」と「ナイス・トライ」も、彼女の好きな言葉だったが。
(つづく)
