南京事件考8):日本軍軍隊内の“ビンタ”の社会学的考察
緒言:日本軍の構造的暴力と「ビンタ」の社会学的意味
1937年の南京事件における非人道的な殺戮等の背景には、単なる軍紀の欠如に留まらず、より根深い日本の軍隊の構造的暴力が存在していたという学説が存在する。この構造的暴力の一端を象徴的に示すのが、日本軍内部で常態化していた上官から下級兵士への「ビンタ」に代表される私的制裁である。
本稿の目的は、日本軍隊内部における「ビンタ」を含む日常的な暴力を、階級構造に制度化された構造的暴力として捉え直し、この内部で制度化された暴力が、兵士の心理をいかに形成し、南京事件のような「外部」への残虐行為へといかに転嫁・再生産されたかという学説(構造的暴力論)を提示するとともに、この学説を裏付ける文学・映画作品が、戦後社会においていかに社会的受容を得たかを考察することにある。本稿は、あくまでこのような見解が存在することを提示するものであり、その正当性について最終的な判断を下すものではない。
本論
2.1 暴力によって強化された階級構造と「ビンタ」の機能:暴力の制度化
日本軍の階級構造は、暴力的な方法によって規律が体系的に強化された暴力の制度化されたシステムであったという見解がある。軍事史家のエドワード・ドレアは、日本陸軍内部の残虐への教化と暴力による階級構造が、その構成員の多くを、弱いと見做された者に対する冷酷な文化を受け入れるように社会化させたのだと記述している。
日本軍の構造的暴力
南京における日本兵の残虐性は、暴力的な方法によって規律が体系的に強化された日本軍の階級構造に一部起因していたともされる。新兵は多くの場合において訓練中に過酷な暴力を受け、現役兵士は将校によって平手打ちから殴打に至るまでの暴力的な調練を受けることが多く、その将校たちもまた上官から同様の扱いを受けていた[104]。
軍事史家のエドワード・ドレア(英語版)は、日本陸軍内部の残虐への教化と暴力による階級構造は、その構成員の多くを、弱いと見做された者に対する冷酷な文化を受け入れるように社会化したのだと記述している。この結果、日本軍の一般兵士の多くは、無力な民間人に対して自らの怒りや不満を日常的にぶつけることになった[267]。
この構造において、「ビンタ」は以下のような複合的な機能を担っていたと考えられる。
規律の維持と絶対服従の強制: 暴力の連鎖は、軍隊内の上下関係における絶対服従の精神を、身体的な恐怖を伴いながら植え付ける機能を果たした。将校自身も上官から同様の扱いを受けていたという階層構造を通じて、暴力が規範として確立されていたのである。
感情のガス抜きと不満の転嫁: 外部と隔絶された兵営内の抑圧と緊張状態は、兵士の内に蓄積された怒りや不満を、下位の階層へ転嫁させることを促した。これは、上官から下位兵士への「暴力の流動性」を許容し、階級内の不満を一時的に解消する安全弁として機能したという指摘がある。
人間性の剥奪と非人間的な「兵隊」の形成: 身体的な暴力は「調練」の一部であり、個人の尊厳を喪失させる機能を果たした。野間宏の小説『真空地帯』が描いたように、兵営は外部の論理が通用しない「真空地帯」として、人間を「兵隊」という記号に還元する非人間化のプロセスを象徴している。
2.2 内部の構造的抑圧と外部への暴力の再生産
日本軍の内部で構造的に常態化した暴力は、戦場という特殊な環境下において、中国の捕虜や民間人へと容易に転嫁されたという見解がある。ドレアは、日本軍の一般兵士の多くが、内部で受けた暴力による社会化の結果、無力な民間人に対して自らの怒りや不満を日常的にぶつけるようになったと記述している。
南京事件における残虐行為は、この構造的暴力の外部転嫁を象徴する事例の一つと見做される。軍規が厳しく却って証拠隠滅のために相手を刺殺してしまったという事実は、軍隊の規範が、人道的行動を促すどころか、非人道的な行動を構造的に強いる歪んだシステムであったことを示しているという指摘がある。内部で暴力を内面化した兵士が、戦場でより弱い対象に対してその暴力を再生産し、自己の不満を解消したと分析される。
114師団の一等兵であった元兵士の田所耕三は以下のように回想した[150][142][151]。
"強姦をやらない兵士なんかいなかった。そしてたいがいやった後で殺しちまう。[...] 憲兵にわかると軍法会議だからね。殺したくないけど殺した。……もっとも南京にはほとんど憲兵はいなかったけど。"
2.3 文学・映画作品にみる「暴力の再生産」と社会的受容
戦後文学やそれを原作とした映画像作品は、この軍隊内部の暴力構造の再生産メカニズムを深く告発し、戦後社会の集合的感情を動かした。
野間宏『真空地帯』:
この作品(1952年)は、世間から隔絶された兵営内の非人間的な暴力やいじめ、理不尽な訓練を描き、戦争と軍隊の構造的な問題点を告発した作品である。
作品中、兵営は「真空地帯」と呼ばれ、外部の論理が通用せず、上官の命令は天皇の命令であり、絶対服従が鉄則であり、そこにいる人間は「兵隊」という記号に還元されてしまう構造を表している。
AI解説:「真空地帯」という言葉の意味
・作品中で「真空地帯」とは、世間から隔離され、外部の論理が通用しない兵営(兵士のいる場所)を指します。
・その空間では、権力者(上官)の理不尽な命令が絶対となり、そこにいる人間は「兵隊」という記号に還元されてしまう、という構造を表しています。
映画版では、刑務所帰りのレッテルを貼られた主人公(木村功)がいじめと暴力の渦に巻き込まれていく様子が描かれる。理不尽に耐え切れず爆発した主人公が、今度は下の者にビンタを食らわす側に回るというクライマックスは、軍隊の空気感染的な腐敗、すなわち暴力の連鎖と再生産が完了するメカニズムを鮮明に物語っている。
五味川純平『人間の條件』:
五味川純平の小説、およびそれを原作とした映画(監督:小林正樹)は、軍隊内の虐待とそれに対する人間の反応を描いている。
映画の第三部では、田中邦衛が演じた上官の虐待に耐えられなくなり自殺した下級兵士の姿が描かれている(映画では最後、自殺を思いとどまるが銃が暴発し命を落とす)。
映画の第五部では、上官の卑劣さを許すことが出来ず腹に据えかねて憤り、耐えきれなくなった主人公が、上官を肥溜めに沈めて殺害してしまう場面がある。この時の主人公の台詞「貴様みたいな奴がいるから…」には、構造的暴力を担う者への告発の意図が込められていたことが推察できる。
これらの描写は、内部暴力が兵士に極限的な反応、すなわち自殺や殺人といった破滅的な行動を引き起こした実態を示している。
『兵隊やくざ』:
この作品で描かれる主人公は、上官のビンタに屈せず、暴力的なシステムへの従属を拒否する気概を見せる。
これは、上記の『真空地帯』や『人間の條件』に描かれた「暴力の再生産」や「破滅」の図式とは対照的に、構造的暴力のシステムに組み込まれることを拒否・逃亡し、個人の尊厳を最後まで守ろうとする「抵抗の人間像」を象徴的に示している。
2.4 戦後社会における作品の受容と「兵隊やくざ」への喝采
これらの作品がいずれも軍隊経験をして、日本軍隊内部のことをよく知っていた者たちが生存していた時期に発表・封切られたことで、高い評価と強い共感をもって迎えられた。
特に、軍隊の理不尽な構造と、そこでの人間の尊厳の喪失を告発する『真空地帯』や『人間の條件』が観客に強く響いた背景には、上官の権威に逆らえない自らの軍隊経験の記憶を重ね合わせたという側面があったと推察される。
その後に公開された『兵隊やくざ』において、上官に楯突くことが出来ないという当時の軍隊の現実があったからこそ、勝新太郎が演じた主人公の行動に、観客が代理的な「拍手喝采する気持ちをいだいた」という側面がある。これは、軍隊内部の構造的暴力に対する、戦後社会の鬱屈した感情の投影と解放を象徴するものとして解釈できる。
結論
日本軍隊における「ビンタ」は、兵士の非人間化を目的とした構造的暴力が制度化されたことを象徴する。この暴力的階層構造が、南京事件のような外部への残虐行為という暴力の再生産の温床となったという見解は、有力な学説の一つである。
これらの作品は、軍隊経験者らが多数生存していた戦後社会において、内部の理不尽な暴力への集合的共感と抵抗の意識を呼び起こし、高い社会的受容を得た。特に『兵隊やくざ』への喝采は、構造的暴力への服従を強いられた社会の集合的な感情を解放するものであったと解釈できる。
本稿は、これらの学説と社会的受容のされ方を提示し詳述したものであり、この構造的暴力論が、南京事件の複雑な要因の全てを説明するものであると断定するものではない。しかし、軍隊内部の構造的抑圧が、対外的な残虐行為として噴出する「暴力の再生産」のメカニズムを解明し、これを歴史の教訓として位置づけることこそが、「ビンタ」に象徴される日本軍の構造的暴力を社会学的に考察する上での一つの重要な視点であることは確かであろう。

