経済的自由の先に、幸福度を最大化できる人生が待っているのではないだろうか?
その当時は幸福度について考える余裕はなかった
昔の私は毎日を生きるので精一杯でした。
当時は仕事にもやりがいを感じて朝から終電近くまで働き、プライベートの中で起こる問題にも、夫婦で一つ一つ向き合っていました。
「子供は諦めて下さい」
という厳しい宣告をされた状況ではありましたが、
今振り返ると、諦めずに夫婦で頑張ったあの時間もまた良き思い出であり、あっという間に過ぎていった、良き日々だったと感じています。
置かれた環境による幸福度の物差しの違い
最近、ふと考えることがあります。
人の「幸福の捉え方」は、その人が人生の中で、
どういう経験をしてきたかによって各々変わってくるのではないか、ということです。
例えば、
家庭環境や境遇に恵まれない状況で
日々を過ごしてきた人は、どうすれば今の悪い状況を打開できるか、という問いに自然と心血を注ぐのではないでしょうか。
一方で、
家庭環境や境遇に恵まれてきた人は、
また違った感受性や価値観を持つのだと思います。
この違いは、国を跨いだ先進国と発展途上国の関係でも、同じように起こり得るものだと感じています。
(私自身、将来的に恵まれない子どもたちの支援をしたい!という思いを持つようになったのも、こうした問題意識が原動力の一つになっているのだと思います。)
言いたいことは、
人はそれぞれがインプットしてきた情報や経験の中で、その時点で最大限だと思える目標を立て、そこに向けて努力するものなのではないか、ということです。
それはつまり、
その人なりに「幸福度が高まる選択」を、
置かれた環境の中で行っている、
ということなのだと私は捉えています。
生きやすい人生を選ぶべきなのか?
「郷に入っては郷に従え」という言葉がありますが、
生きやすさという観点で見れば、確かにその通りだなと感じる場面は多いです。
しかし、私は挑戦を選びました。
”人と同じことをしていたら、どこかつまらない人生になってしまうのではないか”そんな思いを、常に持っていた気がします。
今振り返ると、この価値観こそが、現状維持を良しとしない自分を作ってきた一因なのかもしれません。
一時は、「このままでいいのではないか」と考えたことも、正直ありました。
それでも日々を過ごす中で、「本当にこの人生で悔いはないと言えるのだろうか」という心の声が、ずっとどこかで聞こえてきました。
結果的に私は、
サラリーマンという生き方だけでなく、
株式投資や不動産経営、自身のライフプランニングの経験を生かして近しい人のFP相談に乗ること、そして、このモヤモヤを同じ境遇の人たちと共有したいという思いから、今日noteを書くことを選びました。
ただ、毎日を生きるので精一杯だった頃には、こんなことを考える余裕は、微塵もなかったと思います。
自分らしさとは…?
今は、自分でやりたいことを選択できる自由さ、言い換えればノンストレスな状態の中で、「どうすれば社会に貢献できるのか」ということを軸に行動を取捨選択するようになりました。
選択肢が増えた分、人生に悩む機会は、むしろ増えたかもしれません。
それでも改めて感じるのは、分からないなりにも、さまざまなことに挑戦してきて良かった、ということです。
今後については、今も試行錯誤の途中ですが、これまでの取り組みに対して後悔は一切ありません。
おそらくこれからも、藻掻き続けるのだと思います。
それでも、考え続け、行動し続けていれば、いつかは自分なりに納得できる人生の形を見つけられるのではないか ― そんなうっすらとした確信は、今も持っています。
長々と書いてしまいましたが、
自分の人生に真剣に向き合っている方々と、
この気持ちを少しでも共有できたらと思い、今回の記事を書きました。
※今を幸せに過ごす方々の人生を、否定するつもりは一切ありません。その生き方も、とても納得できるものです。
本記事は、資本主義社会の仕組みをある程度理解した上で、「では自分はどう生きたいのか」という視点から、私自身の考えを整理したものです。その点をご理解いただいた上で、一つの考え方として読んでいただけたら幸いです。
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