見出し画像

人は、もっとも小さな自然 05|自然の一部として生きる

多くの人は、自然と自分は別なものとして認識している。しかし実際には、食べること、身を覆うこと、道具を使うことなど、その一つひとつが、自然との繋がりの中で成立している。

日々の食事は、その素材すべてが命ある動植物に由来する。他者の生命を取り込みながら身体を更新し続けるという点で、人の生は自然のプロセスそのものでもある。衣料や器、鉄や石油といった工業製品でさえ、形を変えた自然資源にほかならない。どれほど近代化が進もうとも、人は自然なしに一瞬たりとも存在できない。

この単純だが逃れようのない事実を、もっとも深く生き切った社会の一つが、日本列島に一万年以上存続した縄文社会であった。

縄文時代は、地球規模の温暖化が始まった約一万五千年前に成立した。
寒冷乾燥した氷期が終わり、温暖湿潤な環境へと移行するなかで、人びとの生業は大きく変化した。大型草食獣を追う遊動生活は終わり、河川や海の魚介、森の堅果類など、身近な自然資源を基盤とする定住的な生活が可能になったのである。ここに人種の交代はなく、同じ人びとが環境変化に応答した結果として、生活様式が変わっただけである。

世界の多くの地域では、農耕や牧畜によって食料の安定供給が可能になってから定住が実現した。しかし日本列島では、山・川・海という周辺の自然資源だけで定住生活が成立し、それが一万年以上持続した。この特異性の背景には、日本列島の地形的特徴がある。

日本列島は4つの移動するプレートが活動することで、高い山から深い海まで起伏に富んだ地形となっている。狭いエリアの中に複雑な地理的環境が形成されたことで、多様な生態系が重なり合い、人びとは食料を求めて移動せずとも、季節ごとに異なる資源を得ることができた。この「狭いエリアの中の生物多様性」こそが、縄文的な定住を可能にした条件である。
したがって、自然資源だけで定住生活を実現した縄文を説明する時、プレート活動と火山は必須となる。

しかし同時に、プレート活動は地震や津波、噴火といった破壊的な災害をもたらす。人びとは、自然が恵みであると同時に、決して制御できない存在であることを、繰り返し体験してきた。こうした記憶の蓄積が、人は自然の一部として生かされているという感覚、さらには、自然に対する畏敬の念を育んだと考えられる。

その自然観は、貝塚や盛土遺構といった遺構に読み取ることができる。そこには、食料となった生き物の残滓だけでなく、土器や石器など、土や石から生まれた道具類も大量に積み重ねられている。不要な物の廃棄場ではなく、命を支えた存在すべてを弔い、感謝する場であったと考えられる。貝塚が「塚」と呼ばれ、そこに人も葬られることの意味は重い。生き物だけでなく、土や石にも命を見いだす感覚が、ここに表れている。

ここには、「自然との共生」という現代的な発想とは異なる世界観がある。共生という言葉は、人と自然を「分けた」うえで、人が主体となり自然を守るという構図を前提としてしまう。しかし自然は、人がいなくとも全く困らない。生きていけなくなるのは、人の側である。人は自然の一部として、動物や植物、土や石、そして水や風といった他の自然に支えられている存在にすぎない。

人は、自然であり、その中でもっとも小さな存在である。

それは、縄文人が長い時間をかけて磨き上げた、人が巨大な自然の円環の中で生きるための「知」であった。近代以降、私たちは人と自然を分け、管理し、制御する知と技術によって発展を遂げてきたが、その過程で、この根源的な知の存在を忘れてしまった。

いま求められているのは、新しい思想を提示することではない。かつて人類が確かに持っていた「自然に生かされている」という感覚を、現代の文脈の中で、もう一度立ち上げ直すことである。それこそが、「人は、もっとも小さな自然」というテーゼを掲げた理由なのである。

前の記事


いいなと思ったら応援しよう!