1年前の文章が、誰かのやさしさに運ばれてきた日
先日、1年前に私が書いた記事に、ほのかさんからコメントがありました。
かかわりは、ほぼ初めてのほのかさん。
それでも、私の記事を読んで、ご自身のnote内で紹介したいと提案してくださったんです。
ほのかさんは、noteをはじめられて約2か月。
とても謙虚に、ていねいに声をかけてくださいました。
そして、その後すぐに記事を書いてくださり、読ませていただきました。
私もその記事を書いたのは、noteをはじめてまだ2か月のころ。
まとまりのない文章を、ほのかさんはとてもわかりやすく、私の伝えたかったことを丁寧に綴ってくださっていました。
その中でも、特にうれしかったのは、
「私、この家の子になりたい…」
という言葉。
私は、この言葉を何度も言われてきました。
それは、noteの中だけではありません。
関係性の深さも関係ありません。
ほのかさんが選んでくださったこの言葉が、本当にうれしかったです。
そして、もう一つうれしかったことがあります。
それは、ほのかさんの記事を読んでコメントしてくださった方や、ほのかさんの記事をきっかけに、私の記事を読んでくださった方がいたことです。
noteって、誰のために書いているのかな、と思うことがあると思います。
1人で淡々と書いているように感じることもあります。
でも、こうして読んでくださる方がいて、それをまた他の人に伝えてくださる方がいて。
まぁるくつながっていくご縁や、誰かの優しさで運んでくださる想いに、あたたかなうれしさを感じました。
ほのかさんのおかげです。
本当にありがとうございました。
記事にも書いた通り、おせちが苦手な方、好きな方、いろいろおられますね。
わが子はというと、先月、私が体調を崩していたときに、夫が子どもたちと買ってきてくれた「ほっともっと」のドラえもんランチとドラミちゃんランチ。
食べ終わると、子どもたちが言いました。
5歳の娘は「これでお弁当を」。
7歳の息子は「これでおせちを」と。
そのため、今年はそのお弁当箱におせちを詰めました。
好き嫌いの多い子どもたちが、「おせちが食べたい」と言ってくれるだけで、うれしいことです。



おかずの意味は、今回も一つひとつ絵本を頼りに、子どもたちが食べられるものに変えて作りました。

1月号 『おせち』
完食したときのうれしさは、親子でしか味わえない喜びです。
正直、私の中では「もっとこうしたい」という思いもあります。
お重に本格的なおせちを。
キャラクターではなく、美味しそうなものに、と。
でも、子どもたちは求めていません。
食べられないおせちが並んでいても、きっとがっかりさせてしまいます。
私は、子どもたちに喜んでほしいという思いがあります。
私が目指す母の姿ではなく、できるだけズレが生まれないように、子どもたちの気持ちを聞き取って形にしていくことに、とてもやりがいを感じています。
子どもたちが「このママでよかった」と思ってくれること。
それが、私の幸せなんです。
なので、みなさんの
「この家の子になりたい」
という言葉は、とても大切で、うれしい言葉なんです。
母親には終わりがありません。
成人しても、手が離れたとしても、私は子どもたちにとって一生、母親です。
これからも、子どもたちのことを見て、感じて、
ときには教えてもらいながら、
子どもたちにとって「うれしい母」でいたいと思います。
